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屋良委員 僕は今、
部隊の話をしていて、戦略的な話ではないということをまず断っておきたいと思います。必要があって師団とかが配備されていて、それが何で沖縄に移転してきたのかということを今
質問しているわけでありまして。それは、確かにはっきりしていないんですよ。そこは
防衛上あるいは戦略上、なかなか説明ができないというのが事実だと私は認識しておりまして。
五〇年代に何があったかということをちょっと振り返ってみますと、反基地闘争が各地であったんですね。石川県の内灘、
長野県の浅間山、群馬県の妙義山、これが五〇年代、ずっとあちこちで。それから六〇年代の安保闘争にとエスカレートしていくわけですね。そんな中だったんですよ。最後のとどめが砂川闘争。そんな中で沖縄に海兵隊がやってきたという社会的な情勢ですね。
これが直結していたかどうかというところがまだはっきり学説的に分かっていないところでありますけれども、そういったことを、多分そうじゃないかと推測するような論文はたくさん出ております。
その中で
指摘されている、取り上げられる文献の
一つとして、アメリカ国務省がまとめた、
日本における米国の
軍事的立場の再考、一九五六年十二月。米軍駐留の政治的コストが看過できないほど高騰した場合、沖縄を主要基地として保持し続けると書いてあるんですよ。
その文書の中には、不可視化ということが出てくるんですね。アメリカの駐留、これは負担ですよね。負担を不可視化する、
日本国民の目に見えなくしてしまう、それでもって沖縄にやってきたというふうなのが、多分、歴史的な、社会的な
背景にあったはずだと。
そこで、非常に注目される
資料が、十年ぐらい前にですか、アメリカ公文書館から見つかっておりまして、これは、一九五〇年代の、海兵隊が沖縄にやってくることがほぼほぼ決まりかけた頃の沖縄駐留のアメリカ総領事館、スティーブスという方が書いた書簡があります。アメリカ・ワシントンの国務省の本庁に何通か手紙を書いているんですね、同僚に。その中身が、沖縄に海兵隊が来るその理由については誰も分からないと書いてあるんですよ。当時の陸軍次官ですら分かっていなかった、これには驚いたというふうに書いてあるんですね。
このスティーブスが心配したのは、確かに当時から沖縄は戦略拠点として言われているんだけれども、別に海兵隊がいたわけじゃなくて、陸軍と空軍が主力
部隊だったんですよ。もう既に沖縄という島は基地であふれていたわけですよ。そこに海兵隊がやってくる、これは大変だと思ってスティーブスは心配になって、これはどうなっているんだとワシントンに何度も問い合わせたり、これは厳しいよというふうなことを一生懸命手紙で訴えて、ちょっと
考え直してちょうだいよというふうに言っておった。
なぜかというと、海兵隊がやってくると、新たに沖縄の土地を接収しないといけない。銃剣とブルドーザーという言葉が今残っていますけれども、銃剣で住民を家屋から追い出して、それでもってブルドーザーで田畑を潰して基地にしちゃった、これが歴史の事実であります。
それが行われたんだけれども、そういった事態が起きるということをスティーブスはとても心配して、そうすると沖縄の基地の問題というのはずっとこれから解決不能になってしまうというようなことを予見した。まさに今、そのとおりになっているというのが沖縄の実態ではないのかというふうに
考えております。
だから、なぜ沖縄にという問いかけというのは物すごく重要でありまして、それに答えがないうちに、ちゃんと答え切れないうちに沖縄の地理的優位性とか抑止力とか
安全保障上のというふうな言葉を使うというのは、僕は非常に、歴史に背を向けて、今だけの都合よい、新しい、歴史を修正するような動きを今
政府が一生懸命やっているような感じがします。
普天間の返還
合意をしたときの橋本総理とか、当時の梶山静六さんとか、物すごく一生懸命やってくれていたというのが、私たちの、私の印象であります。ところが、今どうかというと、例えば、普天間のオスプレイの飛行訓練の一部を佐賀県の佐賀空港に移転しようというふうに、菅総理、当時、官房長官として一生懸命試みたんですよ。ところが、それもみんな反対した。それで実現しなかったということじゃないですか。なので、沖縄の普天間の問題も含めて、沖縄の基地の集中というのは、そうした歴史的な、政治的な妥協が生み出した歴史の悲劇だ、私たちにとっては悲劇だというふうに思っております。
沖縄の海兵隊の移転などが決定的に恐らく決まったであろうと思われる日米間の交換公文が、
岸大臣のおじい様であります岸信介首相とアイゼンハワー、共同コミュニケというのが出されておりまして、その一部ですけれども、アメリカ合衆国は、
日本の
防衛力整備
計画を歓迎し、よって、
安全保障条約の文言及び精神に従って、明年中に、この共同文書が一九五七年、だから明年中に、五八年までに
日本国内の合衆国軍隊の兵力を、全て、陸上戦闘
部隊の速やかな撤退を含み、大幅に削減すると。陸上兵力については撤退をする、兵力は大幅に削減するよというふうな共同コミュニケを出しているわけです。
海兵隊は地上兵力なんですよ。
日本国の領土からどこかへ撤退するよ、全て
日本国外に持っていきますと。当時、沖縄は
日本国の外でありました。アメリカの占領下でありました。そこに持ってきたということに今なっているというふうに
考えれば、これは
軍事的、戦略的な理由じゃなく、極めて政治的な判断であり、沖縄に負担を集めてしまったということが大きな、沖縄の基地問題の基本、本質的なことだと思うんですね。
これは、私の分析が正しければですけれども、非常に重いテーマです。これは
岸大臣にどうにかしろと言ったって、もう時もたっているし。しかし、少なくとも、
岸大臣がいつもおっしゃっている沖縄の負担軽減、それをいま一度
全国民で分かち合うときだと、
大臣、四月十四日の本
会議場での私の
質問に対してそのようにおっしゃっていましたね。これをどうやって具体的に進めていくかということがないままに、これが唯一だとか抑止力の維持だとか、そういったことを言われても、これはなかなか協力しにくいなというのが
一般的な感情だと思いますよ。
大臣、もしお
考えがあれば。