○
参考人(金澤
美浩君) 本日はこういう場にお招きいただきまして、本当にありがとうございます。全国の育種を手掛けている生産
農家の代表として、今回の発言をさせていただきます。
まず私の自己紹介で、私は、福島県の矢祭町というところで、東北の一番最南端で、さらに二十数年前、合併しない宣言をしたあの町だと思えば思い出していただけるかと思います。そこで、私は花の鉢植えの生産をしております。
高校を卒業後、どうしても花が作りたくて、実際のいわき地区にある花生産
農家に一年ほど研修に行き、そして昭和四十九年から鉢花の栽培を始めました。
周りには、コンニャク、それから
水稲、そういう畑作のメーンの町ですので、花など作っているのは誰もおりません。そのために、自分からいろんな市場さん、花屋さんに出向いていっては、
情報を集めながら販売をしていたわけでございますが、平成のちょっと前ですけれども、ガーデニングブームと称した花の需要がすごく伸びてきて、それで、花を、やはり注目される作物として、みんなから注目を集めるようになってきました。その中で、今後、やはりこの田舎の米麦、それにコンニャクとかシイタケよりも、4Hクラブの仲間に、この花作りというものを
皆さんにお教えしながら、平成元年に矢祭鉢物研究会という鉢物専門の団体をつくりました。
その中で、自分たちの花作りを
地域産業の一つの核にしようということで、八人のメンバーでいろいろと勉強していきながら、さらに私が育種という部分のところを、育種
開発、新しい、地元に根付くような新
品種を作りながら、その会員のみんなに配りながら、その中での、広いフィールドの中で更に優良な
品種を選びまして、更に改良を進めていって、矢祭町の独自のオリジナル商品を多数作出してまいりました。そういう流れもありまして、育種はその時代から少しずつ本格的なものになってきました。
その後に、そういったものの市場での評価、それから花屋さんからの評価を聞いて
種苗メーカーさんもある
程度見に来るようになりまして、そういう研究室の人たちとの交流がすごく多くなってきて、そういう中で、余剰の、余った分の種を何とか、
種苗会社のカタログに載せて全国販売しないかということも始まりまして、そこから本格的に販売のための育種
開発ということ、それに併せて
種苗登録と、そういったものもそういう人たちのお力を得て少しずつ
登録をしてまいりました。現在、
登録数も七十以上の
登録数、それ以上に
登録を申請していましたけれども、現在五十数種類くらいが今農林省の
品種登録としてまた生き続けております。
そういうことで、その間に自分も、いろいろ研さんも含めまして、当時の全国の生産協会の品評会と称したものも含めて農林
大臣賞を三度ほど受賞しております。
そういったこともありまして、さらに、
種苗メーカーさんとの協力も得ていろんなものを手掛けるようになりました。特に育種をしていて、ごく最近ですけれども、ジャパンフラワーセレクションって、自分も
委員にはなっていたんですけれども、この度
委員を退職しましたけれども、何とかそのジャパンフラワーセレクションの中に何か金澤さんのものを出展してくれないかと言われて、先日出したところ、自分の作ったシクラメンのフルダブルのものが今年のジャパンフラワーセレクションの第一席のフラワー・オブ・イヤーという賞を昨日いただいたということで報告を受けました。
そういった形でそういったものも含めてメーカーさんと育種をしていきながら、新しい
品種を作出しながら、今度はメリクロンという、もうこれ以上種では増やせない部分のところをクローンで何とかできないかということで、再三、昔からメーカーさんとも自分の商品を提供しながらやり取りしまして、今回の賞をいただくことになりました。病気のない
心配の苗を安定的に供給できるので、我々にとってみれば大きなメリットがありました。
この頃からカーネーションも育種を手掛けまして、現在、商品名で
国内ではマジカルチュチュと言っていますけれども、近年、
許諾先を通してこの
品種系統群の一部をアメリカの方でも発売が始まっております。また、アネモネ属の
品種の中のシュウメイギクというものも、私がこういう形にできればいいなと思っていろいろと交配した中で、それがヨーロッパの
種苗メーカーに見初められまして、それで今アメリカとヨーロッパで向こうのパテントを取りながら、
許諾を進めながら今販売しております。どれも結構な数量を
海外で売ってもらっております。
それにつけて、また、自分の所属している会の中でいろいろ
海外との研究若しくは視察ということで本格的に行っていて、今
海外のミニトマトや、そして米、それからその他の野菜も含めてサンプリングしてまいりまして、
日本の風土に合う生産性の高いものをどうやって作ろうかと今改良しております。なかなか、
海外から来るものの
品種においては
日本の風土に合わないものが非常に多くて、非常に生産性が低い、そういったものもございます。やはり
農家さんの、
日本のこの気候に、風土に合う、そういうものを改良していきながら、今
開発しております。
十五年掛けてやっと国産のラズベリーのめどが立ちました。というのは、ある
国内の大手の果物の輸入会社から十五年前に打診がありまして、今、その当時、一千トン、アメリカ、メキシコからラズベリーの冷凍物を輸入していると、そういう中で、国産を何度か、いろんなJAに
お願いして苗を配って、生産してくれと
お願いしたんですけれども、なかなか商品が上がってこない、みんなやりたがらないということで、そういった部分を、何とか国産のそういう
品種を作って、生産性を高めるための
品種を作ってくれないかと、そういう依頼を受けましたので、何となく、私は本業が花なので、だけれども、まあ、私の会のメンバーの中にはたくさん
果樹やそういったいろんな育種をされている方がいまして、そういう人たちに
お話を聞くことができたので、私も面白そうなのでそれを引き受けました。
それで、十五年の年月でいろいろと、
国内に売られている、販売されているラズベリーの苗木集めまして、実際に栽培をして、何が悪いのかということでいろいろ検索をしてきて、種をまいて、交配をしていって、そういったものを恐らく何万本というほど捨てたでしょう。その中の何個体かは優良なものを残していきながら、実際の畑で作って生き残って、非常に丈夫でなおかつ収量が非常に多い
品種が、一群が何
品種か見付かりました。それを合わせて、
海外のものと比べても全然収量が違う。そういったものを今、
地域興しとして作り始めているところです。
今は二千五百トンの輸入で、国産が何と五トン未満なんだそうです。そういう中で、四十億ぐらいの輸入量だと聞き及んでおります。
何とかこういった部分の、ラズベリー、そのほかの野菜類も、欧米ではポピュラーですけれども
日本では全くなじみのないものがたくさんございます。こういった、オリンピックを契機に、こういう地方の在の中に欧米のいそしんだ野菜、果物とかそういったものをできていたら、本当のそれがおもてなしになるのかなという気はします。
また、こういったものも
地域興しの、耕作放棄地を開墾したりして、また、総務省である
地域づくり協力隊の隊員が今二人うちに来ております。そういうことで、こういう地方の過疎の地区で、そういう人たちの部分の定住、それに
地域の産業として雇用を創出していく、そういったものも含めて、今、町でも一生懸命応援していただいておるところです。
それから、全国新
品種育成者の会についてちょっと
お話ししたいと思いますが、我々
個人の生産者、育種者は本当に、
農業の
品種開発に取り組んではいるんですけれども、国の研究所や県の試験場のような組織もない中ではなかなか
情報も集まりません。そこで、全国の
個人育種家が集まって、全国新
品種育成者の会という
情報交換を行う組織をつくって、もう三十年以上たっております。私は二十数年前に
皆さんから勧誘を受けて組織に参加しております。
私は花がメーンですけれども、
果樹や野菜の育種家さんたちもたくさんいらっしゃいます。例えば、シャインマスカットよりも十年も前に、シャインマスカットと同じ手法で、実は、瀬戸ジャイアンツという、そういう、作られている花澤ぶどう研究所の花澤さんもおられますし、また、その影響力を受けて、同じ地区でいろいろと育種の方法、
開発の方法を教わった、今、あの
山田元農林
大臣さんと対談をウエブサイトでしました岡山の林ぶどう研究所の林君も今副
会長をしております。今、林さんはマスカットジパングという
品種を
開発しまして、
農家との直接契約でブランディングに取り組まれております。
会員を始め
我が国の
個人の育種家は、公共機関や
種苗会社の
開発に負けず、いい
品種を
開発しています。新
品種を
開発した場合、それぞれお互いに応じて展開を図っていますので、必ずしも権利化せずにオープンに利用してもらう場合もありますが、いいものを持続的に供給できるような権利化をして、きちんと供給を行うという方もいらっしゃいます。