○寺田静君 ありがとうございます。
動物愛護管理室、事前にお伺いしたところでは十二名の職員の方がいらっしゃるとお伺いをしております。本当に少ないんだなと。
一つ一つの省庁に、じゃ、窓口をということになったら、本当に一人ずつということになってしまうというような感じを印象として受けました。もちろん、
社会変革を担当するということですから、全体の数自体も私も増えてほしいと思っておりますけれども、この
動物愛護のところも何とかお願いできればというふうに思っております。
それで、
二つ目の二〇五〇年の
カーボンニュートラル達成のためにというところに移らせていただきたいと
思います。
私も、この臨時国会の
菅総理の二〇五〇年
カーボンニュートラル、ゼロを達成するんだというこの宣言には、大変画期的で、心動かされたということ、率直に感激をいたしました。この宣言に至るまでもなかなか大変だったんだろうなと、
大臣の御苦労もあっただろうということに
思いを致しますけれども、それをちゃんと前に進めるようにということの
菅総理の
思いが
大臣の再任なんだろうというふうに思っております。
これまでも、ここに至るまでも大変でしたけれども、ただ、ここまでいろいろ過去のものを見ると、
目標を立てたけれどもなかなか達成ができませんでしたということもあって、ただ、今回の宣言を受けて、そういうことはもう許されないんだろうと、午前中の
質疑の中で
大臣も絶対にできると明言をされておりましたけれども、絶対に成し遂げなければいけないんだろうというふうに思っております。
この宣言を受けて、友人が、小学生の息子がいる友人が、こんなことがあったんだよと、できるんじゃないかというふうにこのニュースのことを伝えたら、いや、そんなの絶対無理だよと、二〇五〇年に
総理生きていないじゃないかと言われたと。ちょっと失礼な例えですけれども、まあ小学生の
言葉だということでお許しをいただきたいんですけれども。ただ、私は、
大臣は生きているよと、三十代の
環境大臣は生きているよということを
思いました。
この若い世代の方、先日も、私も、実はヴォーグの、雑誌のヴォーグの若い世代との
環境大臣との対話というのを私も拝見しましたけれども、この若い世代からの期待というのは、私は
大臣に対して大きいんじゃないかなというふうに感じております。
これからの、私自身は
ライフスタイルのことを今回取り上げたいんですけれども、
ライフスタイルの
変革をしていかなければならないということで、どうしたら変えていけるんだろうということを突き詰めていきますと、やっぱり
教育なんじゃないかなというところに
思いを致しました。
今、もちろん様々な教科の中で、国語、算数、理科、
社会と、あと総合的な学習というものの中で
環境というものが取り扱われているというふうには、事前に
環境省の方と文科省の方からも教えていただきましたけれども、私は、義務
教育課程で
環境という科目を
一つつくって、これからの世代に、その
ライフスタイルの
変革のために、
環境にいい選択ができるようにという子供
たちを育てるために、
環境という
教育を、
教育の科目をつくったらいいんじゃないかなということを提案をさせていただきたいと思っています。
二〇一八年、少しあれですけれども、前ですけれども、
日本の
環境教育に関する論文を拝見しますと、やっぱりまだまだ諸外国と比べると量的にも少ないと。最新の
事例の例示ですとか、
環境をないがしろにするとどういうことになるのかというようなことも図解で示しているようなものも少ないというのは、論文を拝見をしております。
ただ、学習指導要領も改訂をされて、小学校はたしか今年から、中学校は来年度以降でしょうか、少し内容が変わるということでしたけれども、
環境だけではなくて、
世界では
SDGsに関する学習というものも必修化の流れがあるというふうに聞いております。
今の
日本の学校
教育は、各教科の中で
環境が取り上げられるということですけれども、ただ、その
環境ということを科目にして、その
環境の科目の中でほかの国語、算数、理科、
社会を学ぶということが私はもっと実際的なんではないかなということを思っています。
例えば、
気候変動がテーマであれば、現状がどうなっているか、国は何をやっているのか、
目標はどうなっているのかと、そして温暖化はそもそもどうして起こっているかとか、あるいはどうして駄目なんだろうかと、どうしたら変えられるかということを
考えていく中で、もちろん様々資料に当たらなければなりませんし、国語はそこで学ぶと。基本的な
科学的、理科の知識もなければいけない、もちろん数学、算数の知識もなければいけないと。話合いをする中でコミュニケーションも学べると。
海外のその事情に当たるためには英語もできた方がいいよねということで、実践の中で学んでいくということが実は成績の向上にもつながるというデータも出ております。
これはアメリカの
環境教育の例ですけれども、空き地に突然セミが大量に発生したということがあって、空き地に樹木がないのにどうしてセミが大発生をしたのかと。これ、アメリカの小学校の授業ですけれども、そのことを不思議に思って、かつてこの空き地が森林だったという仮説を立てて、古い地図や写真を調べて、十七年前、確かに空き地は森林だったということを見出したと。これは教師
たちにとっても
思い掛けぬ学習の展開だったと。
直接的に教科のテストの成績の改善を目指してはいないんですけれども、ただ、そのテストの勉強のために、テストのために勉強をして、一月たてば忘れてしまうというようなことではなくて、その知識の基盤となること、問題の解決をしたりより良く生きるということを教えるというのに役に立つんだと。現実的には、必ずしもテストの成績が良くなることを目指しているわけではないけれども、実際はテストの成績もすごく良くなって、州の学校の平均よりもかなり高いレベルになったと、質的にも高い
教育が実践されているということが
報告をされております。
環境という身近な現実
世界の文脈の中での学習においては、普通の学校の状況におけるよりも、勉強に対して自分のものだという感覚を持ちやすいと、オーナーシップを持ちやすいということがここに書かれておりますけれども、
環境を文脈にして様々なことを学んでいくというのは、私は大きく
一つ土台になるんではないかなと思っています。このことに対して見解をいただければと思っております。