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山尾委員 国民民主党の
山尾志桜里です。
この
自由討議の
対象、
憲法と
国民投票法の
二つ、つまり、
中身と
手続の
二つが
対象になっているので、区別してお話ししたいと思います。
まず、
手続法である
国民投票法についてです。
この
国民投票法については、七
項目、そして二
項目というように、
公選法並びで
投票機会を拡大していくもの、基本的に
答えの
方向性が出ているものと、
CM規制や
ネット規制やインターバルのように、自由と公正の
バランス調整が必要で、今後
課題も
答えも変化していく
可能性が高いものと大別されると思います。
とりわけ、この後者なんですけれども、デジタル技術、
AI、アルゴリズム、
ビッグデータ、こういったものが個人の
意思形成に影響を与え、結果、
民主主義そのものを変質させる
プロセスに今あるところで、
世界じゅうがこの
プロセスを注視しながら、各国で
バランスをとる工夫が今始まったところであります。
前者と後者について、並行
審議、一括
成立にこだわるのは無理があるのではないかと考える理由の
一つがここにあります。
答えが出ているものはきちっと
成立させて、やはりこういった難しい
バランスが必要なものは、見直しが必要なものは、時宜に合わせてきちっと
改正を繰り返していく方がいいのではないかなというふうに思っています。
次に、この
国民投票法にまつわる
論点ですけれども、
提案済みの
改正案の中には、スポットCMや
ネット広告規制、運動資金
規制、インター
ネット運動
規制などがありますが、きょうは三つお話ししたいと思います、短く。
一つが、当日運動の禁止です。
ここは、
前回、
鬼木委員から、
投票日当日の静ひつな環境という
趣旨は、一般の選挙だけではなくて、
憲法改正の
国民投票にも該当するのではないかという視点からお話がありました。そして、
辻元委員からは、やはり、大阪の住民
投票の経験を踏まえて、
最後は非常に過熱する中で、当日は静かな環境も必要なのではないかというお話もありました。
お聞きして、理論的にもあるいは経験則上も説得力がありますし、今、情報をとる手法も多様化している中で、必ずしも当日の運動を禁止しても当日
投票する方の情報収集が困難になるというような
状況では現在ないと思うので、もし大きな
異論がなければ、ここは
改正事項とするべきかなと思っています。
解散による衆議院の総選挙との重複の回避について。
ここは、回避すべきという
意見でおおよそこれまでも一致していたように思いますが、問題は、この
審査会での立法者、立憲者意思としてこれまでどおり
議事録にとどめることで十分とするのか、やはり法に明記するべきなのかということだと思います。
私としては、残念ながら、最近、
法案の
審査の過程で立法者の
発言の重みがどんどん軽くなっていて、
共通認識という不文律が、書いてなければ破られるような
状況が頻発しているように感じていて、大事なところ、今のようなところは明記すべきではないかなというふうに思っています。
また、この
憲法審査会で、
前回もインターバル
規制という
議論が出ました。
ここは、まだ成熟していない
論点ですけれども、今時点では、直近の
アメリカ大統領選挙で敗北宣言をしないトランプ大統領とか、大阪で住民
投票が五年で二回ありましたねとか、ちょっと生々しい光景が目の前にあって、立法事実までには昇華していないような気がします。また、通常は否決されたら少し変えて
提案をするわけで、案件の同一性を誰がどういう基準で判断するのかということを考えていくと、もしかしたら、そこは
民主主義の
プロセスに委ねていい部分なのかなという気もします。
ただ、ここは諸外国の例を調べてみる必要があると思いますので、また今後、
幹事会等で話をしていきたいなというふうに思っています。
そして、
中身、
憲法についてですけれども、私
たち国民民主党は、
憲法の基本原理である
国民主権、
基本的人権、平和主義、これはすばらしいものだ、しかし、この基本原理をきちっと守るために、部分的に
憲法を変える、あるいは加える必要が出てきたと考えています。
党の
憲法調査会で、例えば山本龍彦教授や横大道聡教授から学んだのは、
国民は、
主権者として大事なことを
憲法で決めたら、あとは眠ることを予定している、しかし、永久に眠り続けると、権力を
国民が託した他者に
主権を横取りされるので、いざというとき目覚めるための制度が
憲法改正である、しかも、
日本国憲法の統治機構の部分はとても規律密度が低いので、本来、
日本国憲法というのは眠れない
憲法である、そして、今やはり目覚めることが必要なのではないかというような、これは山尾訳ですけれども、こういう視点をいただきました。
また、井上武史先生からは、
憲法は本来
国民国家を統合する役割を果たすべきなのに、日本では
国民を分断する契機になっているという問題意識の
もとで、フランスの
改憲プロセス、それこそ、サルコジ、オランド、マクロンと政権政党がかわっても、統治機構をテーマに
改憲議論が進み、
改憲の結果の検証も含めてPDCAサイクルが回っている、もちろんいいことばかりではないんですけれども、そういうことも
紹介をされました。
また、宍戸常寿先生からは、幅広い観点から
質疑、討論を尽くし、
国民投票では、
国民に、何を
賛成、反対の
対象としているのか、そして
賛成、反対をしたときの帰結はどうなるのか、これをはっきりとさせなければいけないという重要性の指摘を受けました。
また、地方自治の観点からは、現知事
会長であります飯泉嘉門知事から、平成二十九年、知事会のワーキングチームでまとめられた地方自治の明確化と拡充に関する草案の説明もいただきました。
さらに、安全保障の観点からは、以前、創憲
会議として草案をまとめる一員となられた加藤秀治郎先生から、オーウェルの言葉として、絶対平和主義者が暴力を放棄できるのは、かわりに誰かが行使してくれるからという言葉、あるいは、細谷雄一先生からは、戦前の日本が軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、戦後の日本はむしろ平和主義という名前の孤立主義に陥っていると言うべきではないか、こういう御指摘もいただきました。あわせて、コンスティテューション、この国の形の
議論があってこその
憲法改正議論だと。
こう考えていくと、我が国の平和主義という価値観の本質を、
立場を超えて
議論すべきときが来ているというふうに感じます。そして、あえて言えば、自衛隊を明記するだけで何も変わらないというような
提案ではなくて、本当にこの本質に向き合った
議論を交わし、
論点と選択肢、そしてそれぞれの選択肢をとった場合のメリットとデメリットを
国民に正直に提示をする、こういう役割の一端あるいは多くを担うのがこの
憲法審査会ではないかというふうに思っています。
また、
最後に、このグローバリズムの時代に、国境を越えて個人の人権を制約してくる社会的権力、こういったものからどうやって個人を守り、
民主主義を守るのかという疑問に対し、小山先生からは、国家による基本権保護義務という考え方をいただきました。
憲法は、
国民が権力を統制する、これが最も大事な目的であることは間違いないと思いますが、一方で、
憲法を通じてこの国の国家像や社会像を示すという役割もあってはいいのではないかというふうに考えています。
ぜひ、今後、この
憲法審査会で、こうしたさまざまな先生から、新たな時代、新たな
課題を踏まえてこの国の形をデザインするという思考方法を伺う機会を持てたらと思っております。
以上です。ありがとうございました。