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公述人(
三浦瑠麗君) 本日は、公述の機会をいただきまして、ありがとうございます。
国際政治学者、シンクタンク山猫総合
研究所代表を務めております
三浦瑠麗と申します。よろしく
お願いします。
既に、今日午前中から新型
コロナウイルスという
感染症に関する専門家の御
意見を披露されたということで、
感染症の専門家の
方々、そして経済への
影響を論じた
方々の御
意見がこちらで開陳されたことと思います。
私
自身は、本来は二〇二〇年の内政と外交の相互の関わりを論じなければいけないのですが、しかし、新型
コロナウイルスの
世界的な広がりによって、この新型
コロナウイルスという、本来は
感染症であるところのものが国際政治的にも、そして内政的にも大きな
影響を持ってしまいましたので、その観点から、比較政治的な視点を交えつつ、国際社会にどのような
影響を与えているかという視点からお話を申し上げたいと思っております。
一言でまず申し上げますと、今般の新型
コロナウイルスをめぐる
状況というのは非常に深刻であるというふうに思っております。ここ数日、特に
世界経済の中心であるニューヨーク市場に危機感が広がったことによって深刻度というのは急速に高まっております。二〇〇一年には九・一一の危機がございました。二〇〇八年の金融危機もございましたが、それに匹敵するような経済的かつ地政学的な危機になる
可能性があると考えております。
ただし、それは、今般の伝染病が直接的にその伝染病そのものに起因する危機であるという
意味では必ずしもございません。むしろ、
ウイルスをめぐる各
国内の
対応及び国際的な反応によって危機が増幅されている部分があるのではないかと思っております。
第一の問題は、各国の反応が非常に情緒的であり、自国中心主義的な発想であるとか排外主義的な考え方に基づいてしまっているからでございます。
各国の政策が科学に基づく知見よりも大衆の感情を優先する傾向が強まっております。これは憂慮すべきあしきポピュリズムであると考えます。ポピュリズムというのは一概に悪というふうに私は捉えているわけではございません。ただし、大衆の感情にのみ基づいて、もちろんいい方向に行く場合もあれば悪い方向に行く場合もあるということで、今回のケースは悪い部分が際立ち始めているように思います。
かつて
日本においても、安全と安心は異なるなどといって科学的知見を矮小化するような政策的失敗が繰り返されてまいりました。政治、行政、メディアは社会における
プロフェッショナルでありますから、科学的知見に基づいて安全を確保する責任がございます。間違っても安全と安心を混同しては
プロフェッショナルの責任は全うできません。文字どおり、
プロ意識を持って当たっていただきたいし、いきたいというふうに思っております。
そもそも人間社会というのは、未知の
リスクについては高く見積もってしまう傾向があります。今般の新型
コロナウイルスに関しましてはまだまだ解明されていない点が多いのは事実でございます。特に、
ウイルスは突然に変異して性質が変化する
可能性もありますから、それまでも視野に置いて十全な
対策を行うことは当然です。ただ、社会に存在する無数の
リスクと比較して均衡ある
対応を行っているかどうかについては絶えず検証が必要であろうと思います。
一例を挙げますと、二〇一八年のインフルエンザの死者数は約三千三百二十五人というのが厚労省から発表されておりますし、二〇一九年の交通事故の
死亡者数も約三千二百十五人ということでございます。かといって我々は、冬の間は大型のイベントは自粛しようであるとか、交通事故をなくすために自動車を廃止しようというふうなことはもちろん言わないのでございまして、それはなぜかといいますと、我々の社会がインフルエンザや交通事故の
リスクについては既に織り込んでいるからです。ところが、新型
コロナウイルスに対する
リスクは未知の部分が多い。新型
コロナウイルスに関しては、
リスクにまだ不明な点が多いものの、分かってきていることもございます。
最も重要な点は、被害を重大にしないためには
医療崩壊を起こさないことであるということだと思います。つまり、
感染者をゼロにすることは現実的な目標ではなくて、一定の
感染者を許容しつつ、
重症化しやすい
高齢者や持病を持っていらっしゃる方に
医療リソースを効率的に振り向けることが重要であるということです。
国内における報道についても、私はさんざん繰り返してまいりましたが、各地で何人の
患者さんが生じたかを追いかけるのはそれほど生産的とは思われません。むしろ、各国で検査方法が違う、検査の数も違うわけですから、一番参考になるのは死者数であって、
感染者数ではないのではないでしょうか。
今般の危機において問題となった
クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号における
対応ですが、これも、
感染をゼロにするという目標を立ててしまうと船内にとどめ置くという
判断になってしまうところ、
患者を集中させず重篤な
患者をなるべく出さないようにしようという目標設定に立てば、異なる
判断があり得るだろうということです。実際、米国で類似の状態が起きておりますが、そこで
日本の教訓が生かされているのは喜ばしいことだと思っております。
ただし、全体として見ますと、危機が深刻さを増すに従って、各国の政治的
対応が、科学的知見よりも果断な決断を演出することで人々の安心に訴えかける政策、自国中心主義的で、時に排外主義的な反応が多く見られていることは誠に残念と言わざるを得ません。必ずしも科学的な根拠に乏しいにもかかわらず一定の国からの渡航者を全面的に排除すること、あるいは、一定国からの渡航者の制限を科学的見地ではなく政治的な見地から徐々にエスカレートさせてしまうといったことです。
実は、このような動きは各国で生じております。イタリアについては、ちょうど昨日でしたでしょうか、フォーリン・ポリシーで詳細なレポートが論文という形で載りまして、そこで起きてきたことというのは、
日本よりもはるかに政治利用された新型
コロナウイルスの議論、そして、その政治利用された結果として、国と中央がお互いに責任を押し付け合うであるとか、あるいは、州知事が、我々はみんな
中国人が生のネズミを食べることを知っているよねというようなどうしようもない発言が繰り出されるなど、そのようなことが起きている。
それに加えて、より憂慮すべき方向として挙げられていたのは、科学者でさえ分断されているということです。時には、メディアの注目を求める科学者が、結果的には異なる処方箋であるとか、あるいは異なる思想をツイッター、テレビ番組その他の、恐らく議会においても発信をすることによって、どんどんどんどん人々が分断されていくと。科学がそのように分断されてしまうと、ほかの人々はどうしていいか分からなくなるというのは当然のことでございます。
つまり、現在、私が特に具体例を挙げなくても、
日本で起きていることについて、
皆さん、参議院議員の
皆様方、それぞれ憂慮する心をお持ちだろうと思いますが、実はこれはユニバーサルに起きる、普通の民主主義国であれば普通に起きてしまうことなんだと。逆に言えば、
日本の方がまだ大分ましに見えるという
状況でございます。
アメリカでも早速、株価の暴落に続いて、FOXテレビを皮切りに物事の政争化が今朝も始まっておりました。韓国についてもしかりです。こういった構造を見るにつけ、物事の事象を批判するだけではなくて、その裏に潜む構造というのを見て取る必要がございます。
政府への一定の信頼がある場合に、危機の際には必ずどこの国においても政権与党の求心力が高まる傾向にあります。その際、野党にはジレンマが生じます。政権に協力をすると自らは政治的に埋没してしまう傾向があるからです。反対に、危機に際して政権を攻撃し続けると、国難のときに自らの政治的利益ばかりを追求するのは利己的だという批判が高まるわけです。
結果的にどういう構造になりやすいかというと、もっと果断に
対応しろ、あるいはもっと厳しい政策を採用すべきという
意見に流れがちであるということです。これは各国においてそのような展開があった。したがって、イタリアはまさにこのような与野党対立によって事態のコンテインメントに失敗したのだということは、我々はしっかりと教訓としなければなりません。こういった圧力が生じると、政権側も、科学的には大して根拠がない、つまり安全には大して
効果はないけれ
ども安心には効くかもしれない政策を乱発するようになります。
こういった与野党対立の構造に加えて、今回の新型
コロナウイルスに関するポピュリズムの発生で顕著に見られたのが
中国恐怖症の文脈でございます。
先ほどの生のネズミ発言がございました。これはイタリアの北部のとある州知事の発言ですが、ほかにも、人種差別的意識に基づいた普通の
一般市民の行動であるとか、あるいは政治家、政策絡みの
研究者、その他新聞記者などの
中国に対するナショナリズム的、対抗心的見地からする誹謗中傷やこの問題の自分のアジェンダへの利用が見られた。あるいは、イタリアで顕著だったわけですが、元々排外主義を取っていた政治家による問題の政治利用というのもございました。
与野党の
皆様にはこの種の構造というものをしっかり意識していただいて、無駄に果断に見える政策ではなく、しっかりとした科学的根拠のある政策を論議していただきたいと要望したいと思います。
次に、国際社会への
影響でございますが、最大の点は、国際経済の停滞は非常に深刻であろうということです。
直近数日の国際的な経済
指標は非常に不安定な動きでございます。御案内のとおり、各国の株式市場は大きく下落しており、為替相場、エネルギー相場も相当な荒れ模様でございます。
国際社会はかつてもパンデミックを経験しています。例えばSARSの
感染などがあったわけですが、
世界経済への
影響はそれほど大きくはありませんでした。今般、国際経済への
影響が
拡大しているのは、幾つかの要因が重なった結果だと思います。第一に、震源地が
中国であったということ。国際経済に占める
中国の存在感はSARS当時の約四倍となっています。もう
一つは、
世界的なサプライチェーンのグローバル化がはるかに進んだこと。その中でも
中国の存在感が非常に大きいことで、現に新聞記事などでは、
アメリカで抗生物質を使用した医薬品が足りなくなる、なぜかというと、実はインドから輸入している医薬品なのに原材料は実は
中国であったというふうな報道さえ出ているわけで、相当なパニックにつながりやすいということです。新型
コロナウイルスよりもはるかに致死性の高いエボラ出血熱が
世界経済にそれほどの
影響が出なかったのは、やはり
世界経済における重要性の差分に基づいていると思います。
日本にとっては残念なことですが、今般の危機を狭い発想に基づいた産業政策に結び付けようという発想は、やはり筋が悪いと言わざるを得ません。御案内のとおり、一応休戦中とはいえ、今般の危機の直前まで米中は激しい貿易対立のさなかにありました。危機の初期、ロス商務長官が
中国からの製造業の
国内回帰を促進する好機であるという趣旨の発言を行っていますが、先進各国にとって
中国への過大な集中
リスクは取り組むべき課題であるとはいえ、直近の優先順位はむしろ
世界的な景気後退を防ぐことではないでしょうか。
各国における経済
活動の停滞、国際的なサプライチェーンの寸断、国境を越えた人、物、金の移動の停滞は、それぞれが
世界経済への強烈なマイナス要因であると思います。二〇〇八年の金融危機直後と同様に、各国には協調して需要を喚起するような政策を期待したいと思います。
パンデミックそのものが峠を越える頃、最も重要となるのが
世界的な不況の連鎖を起こさせないことであります。
国際社会をどのような構造として見るかは
国際政治学者の中でも長らく
意見が分かれてきましたが、
一つには各国を対立関係で捉えるリアリズム的な
見方、もう
一つには各国がより協力するというリベラリズム的な
見方がございます。
ただし、各国がこのような新型
コロナウイルスに基づくいわゆる安全保障化、本来、安全保障問題とはみなされなかった問題の安全保障化が起きてしまうと、本来、共通に危機に対処しなければいけない性質の課題であるにもかかわらず、かえって協力が阻まれてしまうということで、
日本政府に対しては、今後まさに、新型
コロナウイルスの
リスクを直面しつつもまあまあ
程度に抑えている国としての経験をしっかり
世界に伝えるとともに、自国さえよければという立場ではなく、これから南半球で、そして発展途上国に新型
コロナウイルスが伝播していく際に、
日本が率先してリーダーシップを発揮していただきたいというふうに思います。
今日はありがとうございました。