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片山虎之助君 税を払わなくてもいい
特例を相当広げましたのでね、まあこれで一段落と、こういうことだと
思いますね。しばらくこの
状況が続いた方が私もいいと
思いますので、
是非ひとつよろしく
お願いいたします。
それで、今日は
合併特例法なので、
平成の大
合併といったら私も当事者、あるいは、ある
意味では被告というのかね、
皆さんにいろいろ言われる方ではないかと、こういうふうに、今いろいろ
思いながらやっているんですが、数は確かに成功なんですよ。ただ、実態がどうだったかということについては私自身も反省があります。
今までに我が国の歴史で大きい
合併三回あるんですよね、明治の大
合併、昭和の大
合併、
平成の大
合併ですよ。明治の大
合併は、近代国家になるために基礎的な自治体の骨格をきちっとつくったんです。それまでは、
市町村といっても戸籍か何かやっているだけの、本当に
市町村じゃなかったんです。昭和の大
合併は、戦後の民主主義を入れてがらがらと変わった中で
市町村を使うという、そういう
合併だったんです。しかも、日本が伸びていくときです、経済も人口も。だから、攻めの
体制をつくるための
合併だった。
ところが、
平成の
合併はそうじゃないんですよ。私自身がそういうことを言っちゃいかぬのですけど、守りの
合併なんですよ。これから人口が減っていく、
少子高齢化になっていく、ある
意味では経済も相対的に弱くなっていく。その中で、基礎的な自治体で国民のための基礎的なサービスをどうやって守っていくかと、そのためには強くならなきゃいかぬと。
強くせぬ方がいいんですよ、小さくした方がいいんですよ、みんな仲よくできるし、お互いのコミュニケーションはいいし。ところが、あのときの私の
大臣になったときの
状況じゃ、今のような小さいばらばらな
市町村に権限なんかやれるかと、財源がやれるかと、こういうことなの。それは経済
財政諮問会議というのがありましてね、そこでも大
議論で、もうわあわあわあわあやるんだけれども、そういう意見が通るんですよね、ある
意味では。まず
市町村をしっかりしたものにしてくれと、しっかりしたものに権限を与えようと、財源を与えようと、発想はそういうことなんですよ。
それで、例えば、昭和の
合併のときには、学制を変えて新制中学校を
市町村の方が建設管理をやれるようになりましたから、それが維持できるようなことを考えたんです、昭和の大
合併は。だから、八千なんですよ、あのときの目標とする人口は。ところが、
平成はそれがないんです、守りだから。だから、私は一万が一つの目安かなと、こういう中でやってきたんです。
おかげで、数は三千二百三十二あったのが、千七百十八ですか、そこになりましたから、数は成功なんですよ。ところが、東と西で違うんですよ。西の方が進んでいるんです、数だけは。東の方が遅れているんですよ、気象やいろんな条件が違いますから。それから、一つ一つの単位の人口ばらばらなんですよ、正直言って、大きいのから小さいところまで。面積が物すごい、村か町で県ぐらいの面積があるようなところもあるし。そういう
意味では、大変ふぞろいなんですよ。しかし、一生懸命関係者が努力して今の形にしたんですね。だから、その形を基礎にこれからの
地方自治をどう考えていくか。特に中心になる基礎的な自治体をどうやって強くしていくかが私
課題だと思っているんですよ。
そこで、この小規模
町村というのはどのくらい残りましたか。仮に五千以下にすると、五千人以下、人口。