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参考人(
三井絹子君)(陳述補佐) 就学猶予の悲しい経験。私は学校へ行ったことがありません。私はみんなと学校に行きたかった。みんなと一緒に勉強がしたかった。私が学齢児になったのは一九五一年頃でした。母親が学校側から、おたくのお子さんは自分の身の回りのことはできない、自分で通ってこれないと言われ、就学猶予の手紙が来たのです。猶予とは、分かりやすく言うと、ぐずぐず先延ばしにすること。七十五歳になった今でも猶予です。
小さい頃の私の家は学校が近くにあって、毎日、子供たちの行ってきますの声を聞き、私も行きたいという気持ちが募っていました。運動会の日、会の進行の曲が流れ、もうたまらなく気持ちをかき立てられました。家のそばでござを敷いて遊んでいたら近所の子供たちが数人寄ってきて、おまえ、しゃべれないのか、歩けないのか、何も言えないのか、変な子、変な子と口々に言ってきたのです。悔しかった。一緒に学校に行って一緒に遊んでいたら、もっと理解は進んでいただろうと思います。その後、家庭の事情で施設に入りました。ますます障害を負った。私は社会から引き離され、隔離された。義務教育といいながら、私の教育を受ける権利は奪われたままになっています。
今の学生たちは、私のような重度障害者がそばを通ろうがよけようとしないし、見ようともしない、無視の状態です。声を掛けようとしてそばに行くと、するりと行ってしまいます。これは一緒の場で育たなかったことの弊害だと思います。要するに、私とあの人は違う、関わる必要がないと
認識してしまっているんです。私は大学の講演を依頼されます。しかし、終わればさっさと学生は帰っていってしまいます。
やはり生まれたときから、幼児期、少年期、青年期まで一緒の学校で育ち、成人期、熟年期、老年期、社会の中で共に生きて共に泣き笑いをして考えをぶつけ合ってこそ、相手の存在を互いに受け入れられるというものです。学校は子供たちが育っていく
一つの社会です。社会にはいろいろな人が生きている、そのことを知らせていくべきです。分けていくのではなく、また少しの交流でもなく、生まれたときから一緒に育っていくことが必要なんです。目に見えない心の交流が育っていくんです。
私は今、
参考人としてここに立っていますが、なぜこの場に立とうとしたか。私は、ここまで差別され、排除され、隙あらば社会から外されてきました。外されないように闘ってきました。そのことを
皆さんに知ってほしかったんです。学齢期が来ても
通知一つで大事な成長期を奪われ、その後施設に入れられ、差別され、人間扱いされず、日夜泣き明かしてきました。
地域に飛び出しても重度障害者が生きられる介護保障はなく、全てが闘って勝ち取ってきました。こんなに苦しまなくても、生まれたときから同じ
地域社会で生きていれば理解はみんなにされるんです。
そして、道を、店を、駅を、乗り物を、全てバリアフリーになるには心のバリアフリーが重要です。フルインクルーシブ教育で共に生きてきた人たちが必要なんです。一緒にいた経験があれば、障害を持つ人が困っていたら助ける
方法も想像付くし、何を困っているのか、自然に本人に聞くことができるんです。
心のバリアフリーはどのようにつくられていくか。これは先ほ
ども言いましたが、共に学び、遊び、育ち合うフルインクルーシブ教育をしていくことが大変重要だと考えています。あえてフルインクルーシブ教育という表現を使っているのは、現在のインクルーシブ教育では、まだどんな障害を持っていても共に学ぶことが実現していないからです。当たり前にクラスにいる子は、障害を持っていてもいなくてもクラスメートになります。違う学校に行ったり違う学級にいると、自分たちと違うと子供たちは
認識してしまいます。これが心のバリアになってしまっているのです。
次のような研修を提案します。
例えば、車椅子で町に出ようという企画の中で、子供たちに障害者になる体験をしてもらいます。私を見ていただければ分かると思いますが、しゃべれないから文字盤でしゃべっています。そして、どこもかしこも動けないという経験をしながら、車椅子で町に出てもらいます。押している子はその文字盤を正確に読み、行く方向をしっかり聞いて進んでいくのです。指示を出すのは車椅子に乗った子です。車椅子に乗りながら、
公共交通機関、電車や
バスなどにも乗っていきます。道や電車、
バスなどで、車椅子で乗ってみて何か困ったことはなかったか考えてもらうことが必要です。介護をされる体験と介護をする体験と、バリアフリー点検を兼ねて研修することで、今まで持っていた、若しくは知らなかった心のバリアに気付き、相手の気持ちになって考えるきっかけになると思います。
交通機関
一つ取っても、現在、ハード面を充実させる取組は行われようとしています。しかし、ハード面のバリアだけが整っても重度障害者はバリアフリーにはならないんです。障害者の意見を聞くとき、重度の障害者に意見を聞くのは必須です。なぜなら、重度の障害者が言うバリアフリーが誰でも利用できるバリアフリーになるからです。そして、重度障害者にとってハード面の充実だけではバリアフリーとは言えません。小さいときに車椅子でどうやって町を歩くの、
バスに乗るの、電車に乗るのといった疑問を自分たちで体験し、様々な
方法を当事者から学ぶことで、困っている人がいる、じゃ、何を困っているのか尋ねて一緒に解決しようと考えられるようになるのです。
是非、心のバリアフリーの学習を実のあるものにしてください。