○秋野
公造君 様々な
背景でこういった
租税条約に至ったことに、
外務省の皆さんの御
努力に敬意を表したいと思います。
その一つとして、私、今日、資料を配らせていただきました。
ウズベキスタンとの
背景についてお伺いをしたいと思います。
資料は、私たちの先輩であります中山恭子先生が大使を務めておられたときの
取組なども含まれておりますし、先ほど羽田理事からも過去の
取組などについてもお話をお伺いさせていただいたところであり、私が紹介するのもちょっと僣越ではありますが、一ページ目には、過去の
日本人抑留者の方々が
ウズベキスタンのナボイ・オペラ・バレエ劇場を建築をしたということ、そして数百名の
日本国民がこの完成に貢献したという銘板が記されているということが一ページ目に記されています。
二ページ目には、ベカバードでの水力発電所、これも先ほどのバレエ劇場と同じく災害があってもびくともしなかったということで、役割を果たし続けた事実について書き込まれておりまして、三ページ目、御覧をいただきますと、
日本人、当時の
日本人に対する高い
評価、きちょうめんで
自分の仕事をとても大切にする、時間が来ても仕事が終わらなければ続ける、うまくいかないときには工夫してやり遂げる、誰かが病気になるとみんなで助け合う、
日本人が作るものは全ていいものだった、いい人たちだった、大切な友達だったと、こういった
ウズベキスタンの皆さんの高い
評価について記されております。
四ページ目には、私たちは
海外で眠る御遺骨を一日も早く収容して
我が国に帰還をさせるという
取組を行ってきたわけでありますが、この
ウズベキスタンにおいては別のアプローチも取られている。すなわち、この御遺骨を、眠る墓地の整備に踏み切った
背景について四ページ目に書かれておりまして、特に、父はここで眠るのが一番幸せだと思いましたといったような記載は、私たちの、私の心も非常に刺すものでありました。
五ページ目には、この
ウズベキスタン、
日本で集めた二千万の浄財で
日本人の墓地を整備しようとしたところ、
ウズベキスタン政府としてそれを受け取ることなく、住民の人たちも集まってくれて、手厚く葬ってくれたといった、そういう
背景もあり、そこには、
日本に帰って桜を見よう、そんな思いに応えるように桜が植えられているといったような事実も書かれているわけであります。
この先人の
努力で今の
ウズベキスタンとの友好があるのならば、
日本国民として宣揚してくれているならば、この事実を国民に広く共有して、法律はありますけれども、遺骨を収容する法律ありますけれども、今後この
取組については
ウズベキスタンとの友好という
観点から行うことが重要ではないかと思われますが、これ
外務大臣にお伺いをしたいと思います。