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竹内分科員 ありがとうございます。ひとつ、何とぞよろしくお願いしたいと思っております。
それでは、残された時間、
大学入試の
あり方につきましてちょっと私なりの意見を述べさせていただきたいというふうに思って、きょうはやってまいりました。
いろいろ経緯があったところでございますけれども、私の結論、現時点での
考えは、やはり、
高校までの履修内容の達成度を測定することが主
目的の
共通テストというものと、また
大学が求める個別の
試験と、この二つに分類されるわけでありますけれども、
共通テストにつきましては、
センター試験法の法律を見てもわかりますように、知識、
技能の確実な習得ができているか、これをもとにした思考力、判断力が備わっているかということが
目的であるというふうに書いてあるわけでございまして、それを踏まえて、私なりに留意点として四つぐらい
考えております。
生徒の
学習の達成度を正確に評価できるかどうか。それから二つ目に、
受験生の負担を少なくした方がいいんじゃないか。
地域面、経済面という問題があります。三つ目に、平等な
受験の保証、それから同時に、公正な採点の保証ということが大事ではないか。そして四つ目に、短時間で効率よく採点ができることということだというふうに思っております、五十万人以上の
受験者がいるわけでありますので。
こういう留意点があるんだろうというふうに思っておりまして、いろいろ私どもも今
考えておるところでございますが、学力の三要素を
共通テストで評価するには、現在のところ、やはりマークシート方式しかないのではないかなというふうに思っております。記述
試験、面接
試験などは、やはり各
大学が求める
試験で行うのがベターではないかというふうに現時点では
考えているところであります。
それに関連しまして、
英語の四
技能評価の
あり方につきましても、きょう、私なりの意見を申し上げたいと思っておるんです。
四
技能習得は理想ではあります。これは理想であります。習得できた方がいいに決まっています。しかし、この四
技能全ての評価を、一回の
共通テストでこれをしっかりと評価するということは現状ではなかなか難しいのではないかというのが私の意見であります。
なぜこんなことをきょう申し上げるかというと、実は私、昨年に、
日本の政治、この十年間の政治につきまして、
英語の本を
自分で書いてみたんですね。十年間、実際かかっているんですけれども。この十年間の
日本の、民主党政権から現在の自公政権までの
状況とか、それから私どもの
考え方を世界に発信するために書いてみたんですね。それで非常によく改めてわかったことがあるんですね、
英語の勉強の仕方につきまして。それで、ちょっとだけ僣越ながら申し上げているんですけれども。
やはり、
日本で、聞く、書く、話す
能力を上達させるのはなかなか容易ではない。これらの中でも、しかし、その中でも、書くということが最も重要だと私は
考えたんです、残された、読む以外の三つの中でもですね。書くことで主張が明確になって、主張が明確になれば話すことができるようになるというふうに
考えたんですね。主張が明確になれば、それに必要な情報を収集するために、当然、聞く
能力も高まってくるというのを私なりに感じた次第です。
そして、当然、もっと基礎的な話として、中
学校、
高校の
教科書とか参考書をもう一回取り出しまして、単語集などももう一回チェックをいたしました。やはり、単語とか文法とか熟語とか、そういうことを知らなかったらまず読めないし、書けない、当たり前ですけれどもね。単語、熟語、文法の知識がなかったら聞くこともできないし、当然話すこともできない、そういうのを改めて私なりに痛感をした次第であります。
もっとも、これを本にまとめるには、世間に出すんですから、最終的にチェックしてくれる
ネーティブの人に見てもらわないといけないんですよ、やはり、一回一回。私の場合は、一回一回これをブログ形式にしておりますので、テーマごとに書いて、チェックしてもらっただけではなくて、
ネーティブと
議論をして、同時に話しているんですね。聞いて、話して、
議論して、再度、その論旨がきちっとしているかどうか、間違いないかということを確認した上で
海外に発信していたんですけれども。
そういうことをやった経験から、五十の手習いじゃないですけれども、五十過ぎてからそんなことをやり出して改めて感じたんですけれども、やはり、語
学習得には順番があって、単語、熟語、文法の知識をしっかりやる、それからしっかり読む、その上であとの三
技能に挑戦するしかない、
日本で暮らす以上は、
ネーティブじゃありませんので。
ただし、
英語を聞く、書く、話す
能力を習得するには、やはり、大半の
高校生が
日本で育っていますから、ハンディキャップがある。帰国子女や外国人のように、そううまくはいかないということを痛感した次第であります。
そういう
意味で、私のちょっと感想めいた話ですけれども、来年から施行の
共通テストでも、読む、聞くを半々の配点にしておるんですけれども、これまでは二百点対五十点だったんですよね、四対一だったんです。これを一対一にしているんですけれども、ちょっと
受験生には気の毒な感じがします、はっきり申し上げて。今ごろこんなことを私が言うと問題になるかもわかりませんが。
日本ではなかなか
ヒアリング授業が少ないものですから、その辺どう
考えるかという点はあると思います。
それから、全ての
高校生に
共通テストで四
技能全てを求めることは、経済的にも時間的にもなかなかちょっと困難があるのではないか、ほかにもやらねばならないことがたくさんあるという感じがしました。
私の感じでは、感覚ですけれども、書く、聞く、話すなどの
能力評価は、やはり個別の
大学入試試験に委ねた方がいいのではないかと思っております。
共通テストでは、その基礎となる単語、熟語、文法、読む力、そしてまた基礎的な聞く力、これは一つのノウハウはできていますので、これはしっかり問えることはできると思います。
そういう
意味で、より高い
能力を持つ、書く、聞く、話す
能力のある
高校生は、それにふさわしい
大学を当然
受験されるでしょうから、そういう努力もされているでしょうから、やはり、一つの、ある一種の、何もかも国で抱えようとするのはちょっと無理があって、個別の
大学入試と
共通テストと、ある程度の割り切りをどこかでするしかないんじゃないかというふうに思っております。
国語、数学など、他の
科目にも共通することをちょっとだけ申し上げておきますと、やはり、そういう
意味では、塾や予備校に行かなければ解けないような問題ではなくて、
教科書をしっかり履修して本質を理解した上で、素直に
考えれば解けるような問題が望ましいと思います。難問奇問は避けるべきでしょう。
センター試験は、私もいろいろやってみましたけれども、
高校の勉強をするだけではちょっと無理でありまして、特別の訓練を受けないと、あの短時間で解くことはなかなか難しいんじゃないかというふうに思った次第であります。それから、小規模
大学なども、今後、
共通テストは、使いやすい、そういうレベルの
試験にすべきであろうというふうに思っております。
その
意味で、各
大学の個別
試験こそ、求める
人材の
能力を評価できる良問をつくるように努力すべきであって、何でもかんでも国にお任せで、各
大学が楽をして、国に全部お任せする、いろんな高い
能力を国が評価しないといけないとか、それはちょっとおかしいんじゃないか。各個別
大学はかつてはやっていたんですから、しっかりとやはり
入試選抜のいい問題をつくるべきである、このように思っている次第であります。
そういう
意味で、私のきょうの質問は、私は実は共通一次
試験より前の世代なんですよ、もう古い古い世代なんですけれども、旧
試験がやめになって、かつて共通一次
試験が
実施された、そしてまた
センター試験がことし最後となったわけでありますけれども、このような共通一次
試験、また
センター試験の総括的な評価を踏まえて、新たな
共通テストが必要になった理由を改めてお伺いしておきたいと思います。