○
串田委員 知らないからといって責めるつもりはないんですけれども、昭和五十一年に発覚したロッキード
事件、これが、東京地裁で昭和五十二年から係属をし、判決は昭和五十八年なんです。御存じのように、証人尋問というのは公判で集中的に行われる。昭和五十六年のときには、蜂の一刺し、そういう証人尋問が行われ、連日のようにそれが報道されていた真っ最中のときなんですよ。私は、恐らく、自民党にとって歴史的に一番厳しい、一番
国民の信頼をつなぎとめなければいけない、そういう時期だと思います。
当時の総理
大臣は鈴木善幸総理
大臣、
法務大臣は奥野誠亮、セイリョウさんと呼ばれることもあるんでしょうけれども、奥野
法務大臣でございました。
私も、毎日のように、その国会
質疑、いろいろな
質疑を読ませていただいております。ロッキードという言葉を検索します。五十八年が判決ですけれども、五十一年から五十六年だけを検索しても、
会議数千百七十六回、該当箇所は八千九百十九。ロッキードという言葉がこの国会を飛び交っていた時代なんですね。
そのとき、やはり
国民の信頼をかち得ようと思って鈴木善幸内閣が行ったのは、人事院の勧告を無視したことなんです。
国家公務員の給料を上げなかった。そして、民間の
定年、年齢が来たらいや応なしにやめさせられていた民間が、
国家公務員は理論的にいつまでも働ける、これは民間格差が余りにもひどいじゃないかということで、
国家公務員にも
定年を認めた。要するに、身を切る改革をしていったのが
国家公務員法
改正なんですよ。
そして、その
質疑の中には、ロッキード
事件、これは本当に厳正に、検察官は本当にすごいな、時の権力者を刑事被告人にしてしまうんですからすごいなという中で、これは、やはり検察官に対して公正な判断をしてもらいたいということで、国会でも、圧力を加えるということはないでしょうねということでさんざん国会の
質疑がなされた。だからこの回数になっていったんですけれども。その際には、奥野
法務大臣が人の道発言などをして、国会が紛糾していたこともありました。そして、弁護人に検察官のOBがいるというだけで、圧力を加えるんじゃないかというような
質疑までなされていたときなんですね。
ですから、この時代は、検察官への人事への介入などということを一言でもしゃべっていたら、恐らく政権は維持されていないと思いますよ。このときに、そんなことは一切ないんだということで想定問答集もつくられ、そして、もしも
社会的情勢が変化したら
改正されるんですかなんという
質問をされて、そんなことあるわけないじゃないか、時の、昭和五十六年の内閣はそう答えていたと思いますよ。そうでなかったら、次の中曽根内閣につながっていかないですよ。
国民も、その真摯な奥野
法務大臣や鈴木善幸総理の答弁を聞いて、検察官への人事介入はないんだと、これは公正に自由にやるんだという奥野
法務大臣の答弁も何度も何度も出てきて、それを信頼して今の自民党があるんじゃないですか。
それを、事もあろうに、昭和五十六年のこの
改正でもって検察官の人事への解釈変更をする。これに対して一番残念に、憤慨しているのは、私は昭和五十六年の内閣の面々だと思います。今いらっしゃらない方ばかりですけれどもね。本当に残念だな、そんなつもりでこの
改正をしたんじゃないんだというふうに私は思っていると思うんですが。
森
法務大臣、この大きな
事件というのを知らなかったというお答えでしたけれども、立案者という話がされました。
法務大臣に私、二度聞いたんですよ、前回ね。それに対して、
政府だと。なぜかといったら、
内閣提出法案だと。私は、
内閣提出法案は百も承知で二度も聞いたんですよ。
昨年の会社法に関しても、困惑という言葉で、削除に応じていただきました。そうやって国会が
質疑をし、解釈の
質疑を議事録に残し、そして狭め、そして場合によっては
附帯決議がつけられる。そういうことの最終的な形に関して
法務委員会が採決をとって、そして私たちの代表である
松島委員長が衆議院の本
会議に提案をし、皆さんの賛同を問うんじゃないですか。私はそこが立案者だと思っているんですよ。それを、
政府だと答えるものだから。
国会
質疑なんて、時代
背景なんて
関係なく、
定年制という言葉を三つに、時の法学者が考えもつかなかった三つに分解して、
定年年齢と終期だけは適用されないけれども延長は適用される、
制度的にそうなんだと、
制度的に五十六年の内閣が
国民を欺いているような解釈のそういう考え方を披露しているということに関して、今、時代
背景、御存じだと思うんですけれども、今でも、解釈変更、それも口頭でやることに関して何ら問題がない、そういうお立場でしょうか。