○大西(健)
委員 私の地元は自動車産業の盛んな
地域ですけれども、従来はタイとかインドネシアとか、最近ではベトナムとか、でも、だんだんとそういうところも
経済発展して人件費も上がってきているということで、やはりミャンマーとかカンボジア、次はミャンマーだ、カンボジアだ、こういう非常に鼻息の荒いところも聞こえてきますので、特にミャンマーなんてもう本当にこれだけ多くの要望があるわけですから、ぜひとも積極的に
租税条約の
締結を進めていただきたいというふうに思います。
次に、今回
租税条約を結ぶ
ウズベキスタンについてちょっとお聞きをしたいというふうに思うんですけれども、
ウズベキスタン、実は非常な親日国であるということで、先ほどちょっと山内
委員とお話をしていたら、山内
委員は昨年行かれたということで、山内
委員に教えてもらったんですけれども、アブドゥハキーモフ副首相、一橋大学に二年間留学されていて、
日本語が非常に達者であるということで、この副首相が観光
大臣のときには、
日本のテレビ番組を呼んで、イモトアヤコさんが
ウズベキスタンに行って、そして、非常に流暢な
日本語でこの今の副首相が
ウズベキスタンの魅力や
日本と
ウズベキスタンとの
関係についてテレビ番組でも紹介をしたということがネットにも載っています。
何でこんなに親日的かということなんですけれども、実は、シベリア抑留者のうち二万四千人が
ウズベキスタンに送られて強制労働させられたという非常に残念な歴史があります。しかし、実は一九六六年の四月、首都タシケントで震度八の大地震があった。そのときには三分の二の建物が倒壊するという大被害が起きたんですけれども、そのとき、
日本人抑留者によって建てられたと言われているナボイ劇場は無傷だった。このことから、この劇場を建てた
日本人の働きぶりはすばらしかったんだという称賛する声が上がって、以来、
ウズベキスタンでは子供たちに、規律正しく勤勉で律儀な
日本人を見習いなさい、こういうふうに言われるようになったということであります。一九九一年には、ナボイ劇場に
日本人の功績をたたえるプレートが設置をされました。
また、きょうちょっとここに持ってきたんですけれども、
中山恭子大使が書かれた「
ウズベキスタンの桜」という本です。この本を私は読ませていただきましたけれども、この中には、
ウズベキスタンの
日本人墓地の整備についてのエピソードが載せられています。
ソ連時代には、
日本人墓地は二カ所のみに制限をして、それ以外は全部更地にしろという指令が出たけれども、
ウズベキスタンの人たちは
日本人墓地を大切に墓守をしてくれていた。そして、
中山大使のときに、そういう
日本人墓地を整備しようということになったそうなんですけれども、当時のスルタノフ首相は、
日本との友好
関係のあかしとして、
ウズベキスタン政府が責任を持ってこれを行う、これまでできていなかったことは大変恥ずかしいと言って、協力を惜しまなかったということであります。
シベリア抑留者の
日本人墓地、他の国々との間の場合では、
日本政府がお金を出して、やる。それが、向こうの
政府が責任を持ってやりますと言ってくれたというのは異例のことだということで、非常に感動的なエピソードだというふうに思います。
強制労働で大変な御苦労をされた先人の残した
ウズベキスタンとの友好の礎というのを守って、発展させていくのが我々の責任だというふうに思いますけれども、
大臣、この点について御所見を伺えればと思います。