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高良鉄美君
沖縄の風の
高良鉄美でございます。
先ほど来から、
司法アクセスの問題、
司法サービスの問題ありましたけれども、私も
沖縄の方から来まして、最初、
山下委員のありました
離島の問題もありまして、
裁判官あるいは
裁判所その他
司法アクセスの問題というのは、今ちょうど山添
委員も言いましたように非常に重要なことですので、矛盾しないように整合性を持って、
司法アクセスそしてゼロ
ワン地域の解消、そういったもののために
司法改革をやってきたんじゃないかということを最初に申し上げまして、今回の
裁判官の
報酬等に関する
法律の一部を
改正する
法律案、それから
検察官の
俸給等に関する
法律の一部を
改正する
法律案には一応賛成ということを申し上げた上で、やはりこれの充実に向けて、
裁判官及び
検察官ということで
司法権の充実、特に私一番最初に
質問したときに法の支配というのがありましたけれども、そういったことを考えますと、やはり
司法権の役割というのをしっかりとまた全うする意味で、この
法案そのものには賛成をしたいと思います。
その上で、民法、前回少し時間を超過しましていろいろ御迷惑をお掛けしましたけれども、その件について少し
質問をしたいと思います。民法の選択的夫婦別姓問題と、それから難民政策、これは民法ではありませんけれども出入国管理の
関係で、この大きな二点について幾つか
質問をしたいと思います。
選択的夫婦別姓が
実現していない、こういった中で、通称使用が不便あるいは不利益を一定解消するということは理解をしています。ただ、通称がこういうふうに限りなくどんどん広がっていくということは、民法上の氏との
関係で、一体この
法律上、氏というのは何なのかと、その区別する意義というのは一体どういうことなのかということで御
質問いたしました。それ
大臣に対する
質問でしたけれども、残念ながら参考人の方が出ておられて答弁をされました。
その際に、ちょっとその答弁の内容を見て、聞きますとますます疑問が強くなりまして、
小出参考人の答えは、民法上の氏は、民法によって定める個人の呼称の一部であるとともに家族の呼称としての意義を有しておりまして、選択的夫婦別氏制度の導入に慎重な意見の方の中にはこの意義を重視する方がおられるものと承知しておりますと、こういうふうに答弁されました。
これ、明治民法下で、氏は家の呼称ということであり、戸主と家族は家の氏を称してまいりました。妻は婚姻により夫の家に入って家の氏を称する結果、言わば家制度の産物として夫婦同氏であったわけです。しかし、戦後の民法の大
改正によって家制度は廃止されました。で、氏は個人の呼称になりました。それで、最初に個人の呼称ということを言っておられました。
政府参考人は、家族の呼称としての意義を有しているということを言われ、そういった選択的夫婦別氏に慎重な意見の方にはこの意義を重視する方がおられるという答弁をされたわけですから、これが夫婦別姓に反対する理由なのでしょうかと。今の
憲法の下では、法
改正をしない理由となり得るのかと、そういう方々がいらっしゃるということですね。
氏は、名前と結合することによって社会的に自己を
認識させるもので、自己の人格と切り離して考えることはできないわけです。
最高裁も、これ、氏名は、個人から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するもの、こういうふうに判示をいたしました。この人格権の一部を構成するということで氏名があるならば、本人の意思によらないで氏の変更を強制するというのは人格権の侵害として許されないということになります。
家族の呼称としての意義を重視する方がいるからという理由で別姓を望む人たちには
法律婚を認めない、それが
憲法上許されるのか。あるいは、通称使用では不便が解消されないために民法
改正を求めている当事者がいらっしゃる。それから、通称使用の広がりで緩和されるから、もう要らないんだと、
改正はですね、ということでいいのでしょうか。
小出参考人の答弁を聞いておりますと、個人の呼称としてより家族の呼称ということに重点が置かれて、個人の尊厳や両性の本質的平等と、これに基づくんだということの
憲法の理念が念頭にない答弁だったと思います。
大臣に改めて伺います。
公的に通称を認めることで一定の不便は解消できることは理解できますが、ただ、限りなく通称が可能になれば、民法上の氏とは何か、あるいは通称と戸籍上の氏を区別する意味はあるのかというそもそも論になりますが、民法を所管する
大臣に、この民法上の氏というのをどのように捉えていらっしゃるかということを、前回参考人の方が答えましたけれども、
大臣に改めて伺いたいと思います。