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石田昌宏君 自由民主党の
石田昌宏です。おはようございます。
一昨日、
厚生労働委員会で
国立ハンセン病療養所多磨全生園と
国立ハンセン病資料館の方を訪問させていただき、
当事者の
方々や
関係者の
方々から
お話を聞き、また、お亡くなりになった
方々に献花することができました。大変御無理を申し上げたにもかかわらず快く受けてくださいまして、貴重な機会をいただけましたこと、誠に感謝申し上げます。
ハンセン病元
患者家族に対する
補償金の
支給等に関する
法律案、そして
ハンセン病問題の
解決の
促進に関する
法律の一部を
改正する
法律案、この
二つの
法律を少しでも早く成立させたいという
思いから、
衆議院の方でも
審議中であった
法案の順番を入れ替えて
審議して、そして昨日、本
会議で可決していただきました。それを受けて参議院でも速やかに
審議に入ることができました。また、
内容も判決よりも手厚いものになっていると
思います。このことにつきましては、元
ハンセン病患者の
皆様も、おとつい、良かったというふうに評価をしていただきました。
この
法律の
審議に当たっては、与野党を超えた
国会議員の
思いがあり、それを
是非国民の
皆様に伝わっていけばなというふうに考えております。それを踏まえて
質問をさせていただきます。
まず、私、若い頃に
精神科の
病院で働いておりまして、当時、
収容主義という
言葉があったんですけど、二十年も三十年も
入院していた
患者さんを担当して、その
方々が
退院して
地域で暮らすための
支援をしていました。また、
地域で
訪問看護なども行い、
生活のサポートもしていました。
受け持った六十代の
患者さんがいまして、その方は三十年以上
入院をなさっていたんですけど、何とか、本当に大変だったんですが、御
本人の努力が実り、
退院をすることができました。
退院後も彼女の家に
訪問看護をずっと繰り返して、
地域での
生活も順調に進められていたんですけど、私はしばらくして
病院を辞めて別な仕事に就きました。
その後、五年ぐらいたったと思うんですけど、その
病院の病棟に行ったら、その
患者さんがまた
入院をしていました。どうしたのかなと思って、話を聞こうと思って
患者さんのところに行ったら、まず第一声が、私はもう二度と
退院なんてしないわというふうに、そういう
言葉を言われて、かなり正直、ぐさっときました。一生懸命やったんだけれども、それはかえって悪いことをしたんじゃないかという
思いに駆られました。が、その後、
患者さんは、もう二度と
退院はしない、私はここで一生を過ごすんだというふうにおっしゃりました。それは、聞いてみると、もう年を取って独り暮らしをやっていくのがとてもしんどい、かといって、
自分の病気でなかなかほかに入るところもない、
病院だけが頼りであって、ここで
是非一生を穏やかに終えていきたいということをおっしゃっていました。
ただ
一つ、僕に言ってくれたのは、それでもね、
退院したことはとても大事で、あれが私の一生の中の一番いい
思い出になった、私はその
思い出を胸にして、これから一生ここでゆっくりと最期を迎える
人生を送るんだという話をされていました。
いろんなことがあるのかもしれませんけど、少なくとも、
人生の
最後で、
退院して、ある
意味名誉を
回復し、誇りを持って暮らしたということがその方の
人生の中で何か幸せにつながっていたらいいなというふうに思っています。もうお亡くなりになりましたから、そこは直接は聞いてはいませんが、きっとそんな
思いで
人生を終えられたんじゃないかなというふうに思っています。
一九九六年、
らい予防法が
廃止されました。一言に
廃止と言っても、なかなか大変だった、
議論や苦悩があったというふうに聞いています。
予防法の中に
療養生活に関連する
規定もあったので、単純に
廃止するか、そして
あとは
自分でやりなさいという話でもないし、かといって、
法律がある限りは、どんな
改正、例えば
差別規定の部分がざくっとなくなったとしても、
法律の
存在そのものがやはりどこかで
差別を
前提にした
法律であったので、
差別の呪縛からは逃れることはできない、そういった複雑な
思いの中での
改正の
議論だったというふうに聞いています。
かなり
工夫をしたそうで、
工夫に
工夫を重ねて、例えば
法律を
廃止した上で
療養に関連する新法を作る、そういった
やり方も取らずに、最終的には
らい予防法の
廃止に関する
法律という
廃止法を作って、その
廃止法の本則の中に
処遇維持、継続のための
規定を盛り込むという形で最終的にはまとまったそうです。この
やり方は、まあ今もなかなかない
立法の仕方だと思うんですけど、相当
苦難の上で決断したことだったというふうに聞いています。これによって、
当事者たちが今少なくとも
人生に夢や希望や、又は安全、安心、安寧といったものを感じながら生きていて、また
人生を終えていくことができるのであれば、この
法改正は、
やり方は苦悩したけれども、良かったんじゃないかというふうに思っています。
やはり、名誉を
回復することはとても大事です。ただ、その後に、
あとは
自分で頑張れではなくて、
当事者が穏やかに
人生が送れるような
環境をつくっていくということもとても大事で、この
二つをしっかりと
政府としても進めていくことが重要だと思っています。もちろん、それは
当事者だけじゃなくて、一方で
家族も同じ
思いをしています。
ハンセン病を出した、
ハンセン病の方を出した
家族だと偏った目で見られ、
差別を受けてきた
歴史があります。今日はこれに対する
一つの解を出そうとしている日だというふうに思っています。
当事者の
方々もそうだったように、この
法律が御
家族の
皆様がこれからの
人生を送る上で良かったと思えるようになるものと信じてこの
議員立法を進めています。
補償する
政府として、御
家族の方に良かったと思ってもらえるように、
一つは
名誉回復、そしてもう
一つは穏やかな
人生が送れる
環境をつくるという観点から、御
家族に対して
メッセージをお願いしたいと
思います。