○
鈴木宗男君 もう
大臣、さらには前
大臣の
河野大臣は既にもう十分御認識、頭に入っていると思いますけれども、私は、ここにいる
委員の先生方にも、やはり北方領土問題が起きた経緯、歴史の事実を、しっかり真実を認識しなければいけないと、こう思っております。少なくとも、一九四一年に不幸なことに戦争が始まりました。それ以後、どういう経緯であったかということ。
一九四三年の十二月、カイロ宣言があります。このカイロ宣言では、一九一四年の第一次世界大戦で
日本が奪取、占領した領土の返還というものが明確に書かれております。四五年二月にはヤルタ
協定がありました。この中には、南樺太をソ連に返還、千島列島をソ連に引渡しとなっております。同時に、このときは密約ですから、
日本は知らないでその後のポツダム宣言受諾と行くわけでありますけれども、その一年後にはアメリカ国務省から
日本に通告があって、これは公になって、今でも
外務省の
資料等にもヤルタ
協定、皆さん方も学校でも習ってきた経緯であります。そして、四五年の六月には国連憲章ができまして、これも国連憲章には、既に
日本は、敵国条項と書かれているわけであります。戦争の終わる三か月前であります。
四五年の七月、ポツダム宣言が作られました。その八項にはカイロ宣言の履行が書かれております。
日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国、諸小島に制限と、こう書かれております。それをもって一九四五年九月の二日、ミズリー号で署名して戦争が終わったということであります。
よく八月十五日が戦争終結と言いますけれども、十四日にポツダム宣言受諾を受け入れ、決めて、十五日、陛下のお言葉があったということであって、国際法的の戦争終結はこれは九月二日であるということもしっかりこれは事実として認識しなければいけないと、こう思っております。
そして、一九五一年九月にサンフランシスコ講和条約が結ばれて、その二条(c)項に、
日本国は、千島列島並びに
日本国が一九〇五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに隣接する諸島に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄するとなっております。
同時に、このときの吉田茂全権の受諾演説も皆さん方には是非とも読んでいただきたいし、読む必要があると思っております。この中でよく、
外務省も「われらの北方領土」の中では吉田全権の前段の演説文だけは利用しておりますけれども、第二に、
日本はこの条約を受諾するに当たって四五%の領土を喪失するのでありますと明確に述べているんです。それは、樺太も入れば、台湾も入れば、国後、択捉も入っているということであります。これは今でも文書として残っておりますし、これは私も国会図書館でも取り寄せて、これ皆さん方の、いつでも引き出しできますから、ここは是非とも目にしていただきたいものだと思います。
それを踏まえて、五六年十月に日ソ共同宣言が作られまして、その九項に、ソ連は、
日本国の要望に応えかつ
日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を
日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、
日本国とソビエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとすると、こう書かれております。
あわせて、これも皆さん方に分かってほしいのは、
日本はサンフランシスコで講和条約に署名しました、いわゆる平和条約に。国際社会に復帰はできましたが、正式な復帰はできませんでした。それはなぜか。ソ連が拒否権を使って、五一年からですよ、国連の加盟は認められなかったんです。この五六年宣言を発して、その二か月後の十二月にソ連の協力で
日本は晴れて国連に加盟されたということであります。このことをいかほどの国
会議員がしっかり認識しているかどうか、私は、ここら辺がこの領土問題が時間掛かってきた私は問題点もあると思っております。
同時に、吉田全権が何を言ったかということをここで分かっている先生方が何人いるかということも私はお尋ねしたいぐらいのこれは話であります。
同時に、この五六年宣言が発せられた頃、東西冷戦が厳しくなってまいりました。そして、一九六〇年には安保条約の改定もありました。ここが大きな転機です。外国軍が
駐留する国は領土問題はないという当時のグロムイコさんの話があって、それからまた
日本は四島一括返還という強硬な物言いに行ったわけであります。
この点もどうぞ皆さん、歴史の事実を踏まえて、私はこの平和条約交渉は世論喚起と、さらにバックアップ体制を取るべきだと、こう思っております。
その後、田中角栄先生がモスクワに行って、平和条約交渉を継続するというだけの合意で、領土問題についての具体的な話はなく、ずっと来ました。
そしてまた、皆さん、大きな転機は九一年であります。ソ連が崩壊して
ロシア連邦共和国になりました。十二月に正式に
ロシア連邦共和国でありますけれども、その前年の九月に
ロシア共和国、エリツィン大統領がなっております。
そして、エリツィン大統領はこう言っております。戦後の国際社会の枠組みは、戦勝国、敗戦国に分けられているが、私はその垣根を取っ払う、クリル、いわゆる千島です、千島列島ですね、これは未解決の地域だから、法と正義に基づいて話合いで解決すると言ってくれたんです。
当時は海部政権でした。中山
太郎さん、あのお茶の水博士みたいな頭した
外務大臣が、十月、モスクワに行ってですよ、そこで
日本は四島一括返還の旗を下ろしたんです。いわゆるソ連の変化を鑑みて、四島の帰属の問題を解決して平和条約の締結、大きくかじを切ったということ。今でもこの国会で四島一括返還が
日本の国是だと言う国
会議員はいますけれども、しっかり私はこれは勉強してもらいたい。
外交は積み重ねでありますから、信頼でありますから、このことを私はしっかり踏まえなければいけないと思っております。
その後、
橋本政権でのクラスノ合意だとか、あるいは小渕政権でのモスクワ宣言もありましたし、森総理の二〇〇一年の三月二十六日のイルクーツクが一番近づいたと思います。しかし、その後、残念ながら、小泉政権ができて、空白の日ロ
関係十年になって、今、日ロが具体的に動き始めたのは七年前から、安倍総理が復帰してからであります。で、その間もウクライナ問題等がありましたけれども、安倍総理は地道に努力されて、今、先ほど
茂木大臣からもお話があったように、二十七回の首脳会談、今度行えば二十八回目まで来ております。
そして、昨年の十一月十四日、大きな決断をされております。私は、この安倍総理の判断しか領土問題の解決と平和条約の締結はない、歴史の事実を踏まえてもですね。
当時、東西対立の中で
日本も翻弄された場面もありましたけれども、しかし、間違いなく今、日ロ両首脳は、平和条約の重要性と、さらに日ロ
関係の世界における大きな価値、重みというものを踏まえて私は交渉されている。その点でも、是非とも私は
茂木大臣には、五六年宣言を基礎にして安倍総理がカードを切った、これはもう
河野大臣のときでもありますから、このお二人が外務、
防衛の両
大臣でいるわけでありますから、国家の基本は国家
安全保障と
外交でありますから、しっかりここはスクラムを組んで、私は、
茂木大臣にはより一層安倍総理を支えていただきたいし、現実的解決するしかないと、こう思っておりますので、この点、
茂木大臣の決意と将来に向けてのタイムスケジュール等、分かる範囲で、細かな中身は結構であります、
外交でありますから。大きな柱だけを
国民に訴えていただきたいと、こう思いますのでよろしくお願いします。