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参考人(
阿部真大君) 甲南大学の
阿部真大と申します。本日はどうもありがとうございます。よろしくお願いします。
私の方からは、
地方の
格差を考えるというタイトルで
お話しさせていただければと思います。(
資料映写)
先ほど高田参考人の方から指摘がありましたとおり、現在、いわゆるグローバライゼーションというものに伴う
資本と労働力、金と人ですね、の流動化によって国内の製造業、空洞化しております。いわゆる戦後
日本を支えていた分厚い
中間層というものが衰退、
没落しつつあるという現状
認識の方、
先ほど高田さんの方から
お話しされたと思います。
そんな中、二〇一四年に、今からもう五年も前なんですけど、マイルドヤンキーという言葉が流行語大賞の候補となって注目を集めました。この言葉、当時、博報堂におられた原田曜平さんという人が付けた言葉なんですけど、この言葉をめぐる様々な言説とかイメージ、表象というものが、特に
地方の若い
人々の
格差の問題について考える際、とても興味深い話だと思いましたので、本日はこのマイルドヤンキーというものの表象とその
実態について
お話ししつつ、
地方の
格差ですね、特に
地方の若者の
格差の問題について考えていきたいと思います。
このマイルドヤンキーという言葉は、マイルドになったヤンキー、ヤンキーって不良少年という
意味なんですけれども、まあマイルドになってしまったら不良少年も何もないと思うんですけれども、
地方都市に住んでいて、低学歴、低収入ながら地元が大好きで、人間関係を大切にして独特の消費文化を育んでいる若者たちのことを指すわけです。
私が注目したいのは、この言葉がすごくはやっていろんな人に使われたことで、彼らの、マイルドヤンキーは幸せだということを強調するような言説であるとか言葉がインターネットを始めとしたメディア上に氾濫したことなんですね。原田さん自身は、マーケッターとして、彼らが幸せかどうかという話については慎重なんですね。だから、余りそのことについては語っていないんですけれども。ただし、この言葉が流行語になった途端に
人々の間で、いわゆる市民の間でそういった彼らは幸せだという言葉が生まれてきたということにまず注目したいわけです。
具体的には
参考資料の方に配らせていただいたものの中で
幾つか紹介されているんですけれども、ここでは紹介していないんですけど、まあ簡単に言うと、都会に住んでいて高学歴ながら競争
社会にもまれながら生きている自分たちよりも、
地方で、学歴が低くて貧しいながらも、子だくさんで趣味を楽しんでいて家族と仲のいいマイルドヤンキーの方はひょっとして幸せなんじゃないかというような、そんなような言説ですね。そんなようなものがすごく氾濫したということに注目したいわけです。具体的にはちょっと
参考資料の方を見ていただきたいと思うんですけれども、ここではちょっと紹介しません。
私、
社会学をふだん教えているんですけど、
社会学では、やっぱり幸せというものをすごく大切な指標として見ていくわけですね。
人々の主観的な幸せというものは、その人の所属する、準拠集団というんですけど、準拠集団の中で測られるとされているわけですね。つまり、問題というものは、もちろんこれ相対的なもので、誰かに比べて私は奪われている、誰かに比べて自分は損しているという、相対的剥奪感というんですけれども、それこそが重要であるとされているわけです。
となると、同じような村的な
世界、まあ僕も
地方出身なので何となく
地方のリアリティー分かるんですけど、すごくよく似たもの同士で集まって生きるような、そういう村的な
世界に住んでいるマイルドヤンキーである彼らは、例えば、大都会に出てきた大卒の若者のように、外の
世界を知らない、東京を知らないため、いわゆる同じ生活水準の仲間同士、相対的剥奪感を感じることなく仲よくできるというわけですね。だから、この話自体は、僕がふだん学生に話していても何となく理解できるようで、確かに彼ら幸せそうだよね、こういった言説が流行するのも分かるような気がするわけです。ただしかし、これ
格差に関する問題で、このことが本当にそうだとしたら、ある
意味社会学の常識をひっくり返すような画期的な発見になるんですね。
ここで
一つ皆さんに知っていただきたいのは、アメリカの
社会学者のマートンという人の唱えたアノミーという
概念です。
ちょっと説明させてもらいますと、マートンは、メディア等を通して、目指すべきリッチなライフスタイル、これは文化的目標というんですけど、こうなりたい、ああなりたいというライフスタイルは喧伝されているが、
格差の下にいる貧しい
人々にはそれをかなえるすべ、これは制度的手段というんですけれども、がない。にもかかわらず、常に成功せよ、上に上がれという圧力が掛かり続ける状態が続いていると、これ、いわゆるアメリカンドリームというものなんですけど、この状態をマートンはアノミーと名付けたんですね。要するに、ああなりたいけれども手段がない
状況、これが問題であると。そうすると、彼らはどうするかというと、合法的でない手段、非合法な手段、制度にない手段で目的をかなえようとするわけですね。マートンはこのようにして、アメリカにおける犯罪発生率の高さを説明したんですね。
ここで、
先ほど御紹介したようなマイルドヤンキーはお金がなくても幸せだよというような、そんなような
議論が本当だとしたら、
日本というのはアノミー論の例外と考えられるわけなんですね。そうだとすると、これ
社会学的には大発見なわけです。要するに、
格差はある、でも彼ら
格差気にしない、なぜなら貧しい者同士生きているから。そうなると、問題の深刻さもアメリカと比べて
日本かなり変わってくるわけですね。
まず最初にちょっとこの
お話をした上で、
社会学ではそういったイメージだけじゃなくて
実態を見ていくというのが、これが
社会学者の仕事なわけですね。
最初に紹介したいのがこの本なんですけど、「
日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち」という本なんですね。これ、吉川徹先生という方が、二〇一八年、光文社の方から出された本なんですが、レッグスというのはライトリー・エデュケーテッド・ガイズということで、低学歴な
人々ということですね。
この本では、階層帰属
意識、自分がどの階層に属していると感じているか、あと生活満足度、あと幸福感、あと主観的自由というこの四つの指標から成るポジティブ感情のスコアが、二〇一五年に行われた階層と
社会意識全国
調査を基に示されているわけですね。となると、吉川先生の分析によりますと、ポジティブ感情は若年大卒女性が一番高い、その次に若年大卒
男性、若年非大卒女性、若年非大卒
男性の順に並んでいることが示されているわけですね。
最終的に吉川先生はこう言います。彼ら、いわゆる非大卒者のポジティブ感情は、比較的幸福、まあ若年層は比較的幸福度は高いんですけれども、中にあっても最も低く、
社会的活動については総じて活動頻度が低いと。
政治的な理解や関心は弱くて、選挙への参加にも消極的だと。他方で、留学や海外旅行など海外には目を向けない内向き志向が強く、教養や文化的活動への志向も希薄だというわけです。大学進学への志向も当然予想されることながら強くはない。その上、喫煙、飲酒の嗜好が強くて、自らの健康についての日常的な配慮も十分ではないということがこの二〇一五年の
調査から分かったということを言うわけですね。
この
調査は全国
調査でありますので、じゃ
地方はどうなっているかということで、続いて、轡田竜蔵さんという、現在同志社の先生をやっているんですけれども、彼が吉備国際大学という岡山の大学にいたときに、広島県三次市と府中町というところで
調査をして、その
調査をベースにした本の中からちょっとこの点について見ていきたいと思います。
この本でもやっぱり学歴による
格差というものは言われていまして、現在の生活水準が一般的家庭と比べて高い方である、又は自分の将来に明
るい希望を持っている、今までの人生を振り返って達成感がある、自分は幸せだと思う、毎日の生活が楽しいと感じられると答えた人が、大卒以上が高卒を上回っていることが示されているわけですね。
轡田さんいわく、こういうことを言いますね。学歴による満足度
格差は、単に
経済的な
意味だけでなく、これ
先ほどの吉川さんも指摘していますが、もちろん
経済的な
格差は学歴
格差とともにあるわけです、それだけでなく、収入やそういった生涯
年収だけでなく、経験値や人間関係などの存在論的な価値を含む
格差を
意味していると考えられると轡田さんはおっしゃっています。
ここまでは人のしてきた
データを使いながらちょっと話させてもらったんですけれども、私が今研究会のメンバーに入っています、トランスローカリティ研究会というのを今やっているんですけれども、そこで青森二十代—三十代住民
意識調査というものをやりまして、これつい最近、公益財団法人マツダ財団寄附研究で行わせていただいて、むつ市とおいらせ町で
調査を行ったんですね。こちらの方でも余り若い人に絞った住民
意識調査というのをやられていないのでやったんですけれども、岩田考さんという桃山学院大学の先生の書いた第六章「「自身の人生」「
日本社会・
政治」「学歴・
年収」から見たむつ市・おいらせ町の若者」というところの分析で、自分の人生に対する評価が、六項目中二項目、これどの項目かといいますと、自分と異なる
世界の人たちと出会う機会に恵まれ、視野を広げられていると思う、あと自分は人の役に立っていると思うという、その二項目において、いわゆる非大卒が大卒に劣っていることが示されている。一方で、大卒が非大卒の人たちに劣っている
部分は
一つもスコアとしてはなかったということが示されます。
要するに、どういうことを言いたいかといいますと、こういった実際の統計
調査の結果からは、いわゆる低収入、低学歴のマイルドヤンキーの人たちは幸せということは言えないということが分かるわけですね。物すごく分かりやすく言うと、やっぱり学歴であるとか階層というものと幸福度、人生の満足度というものは完全に比例関係にあるということが分かるということが言えると思います。
ここまでがいわゆる
実態ということなんですけれども、では、なぜそうでありながらこんなようなマイルドヤンキーは幸せだ論というのが流行したのかということをちょっと考えてみたいと思うんですね。
これには、大都市の
人々の事情、いわゆる都会に住む人たちの事情と当の
地方に住む若者の事情、両方があると思います。
大都市に住む
人々の事情としては、事彼らが
地方の姿みたいなものに自らの願望を投影してしまうということが考えられるわけですね。これは
社会学ではよく使う
議論で、オリエンタリズムと呼ばれるんですけれども、オリエンタリズムというのは、要するに、東洋の人を西洋の人が見るときに、西洋にない美しいものを東洋に見ようとするわけですね。そうすると、例えば、すごく分かりやすく言うと、
日本人の女性は家庭的だとかという、そういうすごく分かりやすいオリエンタリズムだと思うんですけど、要するに、自分たちにない何か願望をその
地方に投影するというのはよく言われることなんですね。
それはまさしく東京と
地方の間でも起きていまして、私、これを押し付け
地方論と呼んでいるんですね。去年出させていただいた本で、「「
地方ならお金がなくても幸せでしょ」とか言うな!」という本があるんですけど、これは物すごい分かりやすい単刀直入なタイトルだと思うんですけれども。どうしても、
地方の人たちというのは人間関係もすごく分厚いし、コミュニティーもあるから、
格差問題深刻と言われるけど、彼らは何となく幸せにやっているんじゃないとついつい東京にいると思ってしまいがちであると。でも、実際東京を見てみると、全然そんなことはないということなわけですね。
つまり、
地方というのは実際はグローバライゼーションの最前線なんですね。僕の出身である岐阜市の近郊に行っても、物すごく外国人の方増えていますし、実際は東京とか大阪以上にグローバライゼーションの最前線であり、そういった厳しい
格差にさらされているにもかかわらず、そこがグローバライゼーションの影響を受けていない昔ながらの田舎、桃源郷のように語られるという、そういった問題は、一方で都会から
地方を見る人の視点の側にはあると思います。
一方で、実際に
地方の若者たちの事情もあると思うんですね。それがいわゆる犯罪率の低さというものなんですけれども、ここで、
地方の若者の
格差はこれだけあるわけなので、犯罪率、マートンが言うようにこれだけ高いですよというような
データをお見せできれば話はきれいにまとまったと思うんですけど、どれだけ調べてもそういう
データは出てこないわけですね。むしろ、現在、犯罪率というと
高齢者の犯罪率の
増加ということが特に犯罪白書等では強調されているわけですね。若い人に関しては、いわゆる犯罪率というのはそれほどは高まっていないということです。
これがどうしてかということを考えたいわけですね。実際に
格差はある。不満は抱えているし、幸福度に関しても
格差はあると。しかし、彼らは幸せそうに見えるし、犯罪率も低い。彼らはアメリカの若者たちに比べて真面目なのかということをちょっと考えてみたいんです。
実際に、これも
データを見てみると真面目だということが分かるわけですね。そのヒントを、再び吉川先生の「
日本の分断」という本の中にこのヒントを求めたいと思うんですけれども、吉川先生、現代
日本のレッグス、いわゆる低学歴の若者たちの取っておきの長所として、努力主義のエートス、エートスって
社会学の用語なんですけど、心性、メンタリティーというものを挙げているわけですね。
これ、大きな
資産を持てるようになるかどうかは本人の努力次第だという努力主義のスコアですね。頑張れば何とかなる、頑張れば階層上昇がかなうというスコアは、若年非大卒
男性で一番高いと。そこから若年大卒
男性、若年非大卒女性、若年大卒女性の順になるんですけれども、そういう
データを示すわけですね。
また、
先ほどの私も参加しております青森
調査の方でも、岩田さんが挙げている分析だと、今後の人生では無理をしてでも高い目標を立ててチャレンジしようと思っているという問いに対して、学歴で余り差が出ないですね。これ、普通に考えると大卒の方が多分高くなるはずなんですけれども、彼らの方がチャンスを与えられているわけなので、でもそれ差が出ないわけです。
これ、まあ
マイナス方向で捉えると、いわゆる自己責任論というのが低学歴の
人々にも浸透していると考えることができるんですけれども、あえてここではちょっとプラスの方向で考えさせてもらうと、吉川先生も言っているとおり、いわゆる、彼らは実際、現状は結構厳しいんだけど、何かその文化的目標をかなえるための制度的手段がまだあると信じられているということが考えられると思うんですね。それはまさしく、総
中流社会であった戦後
日本社会の強みがまだ彼らの中のメンタリティーに残っているとも言えるわけですね。
ただ、このままほっておいていいのかと。このままほっておいて、
格差がどんどん広がっていって分断
状況が長引いていくと、いわゆるこの努力主義というもの、それも失われてしまうと思うんですね。吉川先生は、今から取り組めば、彼らの心が折れてしまう前に、近未来の
社会の軌道修正をすることが可能ですと言っています。
というわけで、最後に、この問題前にして何をすればよいのかという政策的な
課題について見ていきたいと思うんですね。
ポイントは、個人を強くする就労支援というものとキャリアラダーの
整備、この二つです。これが政策的な提言に当たると思うんですけれども、順に見ていきます。
まず、個人を強くする就労支援ということなんですけれども、なぜ個人というものを強調するのかというと、
地方の若者の支援というと、特に地域
経済を強くするというような話が出てきやすいわけですね。そうすると、地域先行の
議論になってしまうわけです。もちろんそれも大切なんですけれども、やっぱり大切なのは、地域の幸せじゃなくて彼ら一人一人の個人の幸せだと思うんですね。
先ほども紹介した轡田竜蔵さん、広島県での
調査結果について、
経済学者のアマルティア・センの潜在能力アプローチというものに注目しつつ、こう言っています。これ、実際の
データに出ていることなんですけれども、地元外での生活経験があって活動の範囲が居住地域を越えて広がっている人は、生活や人生の自己評価が高い傾向があることが分かったと。地元外の生活経験がない、ずっと地元層について言うと、居住地域以外に
世界が広がっておらず、そのためにネガティブな自己評価をしている者の
比率が高い。個々人の生活や人生の選択肢を広げるためには、地元、地域を越えた多様な他者との豊かな関係性に開けていることが大切であると言えると轡田さんは言っています。
就労支援ですね、いわゆる積極的労働市場政策、まあ働けない人又は低い地位にいる人をアクティベートして労働市場に包摂していくようなそういった政策なんですけれども、これが重要なのは、個人の潜在能力を高め、地域を越えるトランスローカルな力をその人に与えるからだと思うんですね。さきに挙げたように、自分と異なる
世界の人たちと出会う機会に恵まれ、視野を広げられていると思うという点において高卒者が劣っているとしたら、トランスローカルな関係性の構築、これが彼らのポテンシャルを引き出す
一つの方法になり得るかもしれないです。
もう時間になりましたので、最後にちょっと簡単に説明させてもらいます。
もう
一つはキャリアラダーの
整備ですね。
本当はここが一番言いたかったことなんですけど、就労支援を幾ら充実させても、その受皿がないと余り
意味がないわけです。例えば、この資格を取れ、こういった就労支援をして実際にもう少しお金が稼げるようになると言っても、その資格がいまいち使えないものだとしたら、それは彼らのやる気というか努力主義をくじけさせるような要因になってしまうということで、私が注目したいのがキャリアラダーという
概念ですね。この
概念は、低
賃金職といわゆるディーセントワーク、そこそこ稼げる仕事の間の、その差の間に、キャリアがないがゆえに実際にキャリアアップすることができないという、そういう問題について考えているものです。
日本の文脈に引き付けて言いますと、例えば介護と看護の問題があります。看護師足りていません、介護士も足りていません。でも、看護と介護は別建てで資格があるので、介護でどれだけ経験を積んでも看護の方にそのキャリアがつながっていくことがないわけですね。これはほかの国だと問題になっていて、ほぼ看護に関しては介護と看護は一本化されています。
そこで、その間に細かいキャリアアップの道を付けていって、
先ほども
お話にありましたようなシングルマザーの人が働きながらキャリアアップできるような、そういった仕組みが整えられているわけですので、これ私、介護と看護の一元化と言っているんですけれども、そういったキャリアアップと
賃金の上昇を伴うような、そういったキャリアシステムの
整備というものが必要であり、それに関しては
政治の役割というものが極めて重要であるということ、就労支援の充実とキャリアラダーの
整備、この二つの政策的重要性について
お話ししたところで、私からの報告を終えたいと思います。
ありがとうございます。