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義家委員 一回立ちどまって、この普通というものを、
普通科というものを考えていかなければならないと我々は思っております。
普通という
言葉を辞書で引くとどうなっているか。ごくありふれたもの、特に変わっていないもの、一般的、平均的という、これが普通という定義です。
私が教壇に立っていて一番びっくりしたのは、これは二〇〇〇年代に入ってからですけれども、ある
大学で講義をしたときに、一人の学生が
授業に三十分ぐらいおくれてきたんですね。
出席のカードがありますから、それをとりに来たときに私は聞いたんです。何で遅刻したんだと言ったら、えっ、普通にと言ったんですよ。びっくりしましたね。おい、普通に遅刻するって一体何なんだ、そう私から問われたら、その子は、ついつい昼休みに
学食で友達と盛り上がっちゃって、気づいたらこの時間になって遅刻しちゃいました、済みませんなんですね。でも、彼らは、普通に遅刻すると表現する。この普通というものの使い方が随分
現代は変わってきている。
例えば、普通においしい。何ですか、それは。おいしいというのは普通の上にあるわけでありまして、だからこそ、この普通の中に込められたものというものを我々は考えていかなければならないものです。
とりわけ、これから
時代は大きく変革して、平均的なものや普通なものは、みんなこれは
人工知能により代替されちゃうわけですよ。つまり、
人間にしかできないこと、その子にしかできない
能力をいかに伸ばしてあげるかが、
大人になる
高校三年間の
高校あるいは
教育行政の
責任だと私は思います。
確かに、
国語や
地歴、公民、数学、理科、
保健体育、芸術、
外国語、
家庭、
情報など、さらなる
学びの
基礎となる
知識を
高校時代に習得する、あるいは、その弱いところがあったら強くしてあげるというのは大事ですけれども、やはり全
教科の
内申点と
五教科の
平均点のみをもって序列化していって、そして何となく
高校に行って、そして多くの
若者が、何をしたいのかわからない、将来どんなふうに生きていきたいのかわからないなんという
状況になって、本当に
令和の
未来をつくっていけるのか。
そのことを我々はしっかりと考えながら、現在の
高校受験は、チャレンジではなくて
選択なんです。
平均評定と
五教科の
平均点の高い一部の
生徒は、
先ほども言ったとおり、
積極的選択ができる。しかし、それ以外の大半の
生徒は、
消極的選択により
進学している現状なわけです。
党の
教育再生実行本部では、現在の
普通科については、
共通認識を必要とする力を育成する
教育をベースとしながらも、
入学者選抜、どんな
生徒に来てほしいのか、
教育課程の
編成、
実施、どんな
教育課程で、どこに力を入れて、どういう力を伸ばしていくのか、それから
単位認定、さらには
卒業認定の各
段階で一貫した
教育が行われるように、それぞれの
高校に
スクールポリシーの
策定を義務化するという
提言をまとめました。
例えば、これはあくまで例示ですけれども、
社会や
国語は
中学時代は苦手だった、
暗記教科は苦手だった、しかし、
理系分野やプログラミングなど
コンピューター分野で突出した力を持っているという
生徒がいるわけです。
平均点で判断していくわけじゃなくて、突出した
能力を評価して、例えば
社会、
国語が
平均評定五
段階で二だったとしても、この突出した
能力を認めて
入学を許可して、更にその
能力を伸ばしていく。例えば、我々の
提言では、サイエンス・
テクノロジー科なんという類型も
具体的事例として出しました。
あるいは、
国際教育だけではなくて、海外の
大学に
進学するんだ、そんな
希望者を受け入れる、バカロレアも採用するような
グローバル科、あるいは、
スクールポリシーに掲げた幾つもの
課題について徹底的にそれぞれが
探求を行っていく
探求科などに分けることも考えられます。
高校の
消極的選択から
令和の
時代は脱却し、
子供たちが
積極的選択にかじを切る、それこそが本来のアクティブラーニングなのではないかというふうに思います。
もちろん、こんな声も聞きます。まだ
高校生のうちに
自分の
人生や強みなんてわからないだろう、これは
子供と向き合っていない人の
言葉です。大体、
自分は
文系分野が強い、
理系分野が強い、うちの息子も
高校一年生ですが、
自分でわかっていますよ、どこに
課題があって、どの
分野が
自分が得意なのか。そして、どの
分野に
関心があるのかだって本来わかっているわけで、
子供と向き合いもせずに、それがわかっていないと嘆いていることの方がむしろ問題なわけでありまして、では、
高校になって変わらないかといったら、それは変わります、
思春期ですから。では、変わったときにどうするのか。これは
進路変更をして、何度でもチャレンジすればいいじゃないですか。
例えば、
グローバルに行ったけれども、やはり
地域人材として僕は
学びたいんだといったら、全部、
設置者は、
公立高校であったならば単一の
教育委員会なわけですから、
進路が変わるときは、こういう
転校手続で、この科に今度は路線変更することができるというような
複線化をつくっていくことによって、より積極的に、十八歳で
成人を迎える
高校生たちに、みずからの判断で選んでいくという
体制をつくっていけるというふうに思っております。
このことについて、
大臣、いかがお考えでしょうか。