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吉良委員 大臣の
答弁については理解はします。ただ、私が、なかなかこれは、究極の目的である、貧困層を固定化させない、連鎖を断ち切るということに寄与しないと申し上げる理由は二点あります。
資料をごらんいただきたいんですけれども、これは前回も出した二枚物、実は
中身的には同じものです。
その第一に、公立中学、公立高校の補助
教員を全学年に五人ずつ配置した場合に、しかも、年間一人当たりの費用を二百万円と見込んだ場合に三千八百六十八億円という見積りを私の方で試算させてもらいました。
私、ここで一学年五人ということを試算の材料として出していまして、前回の質疑のときに、この五人のうち、例えば二人ないし三人は、いわゆる授業についていけない子を下支えする補習授業的なもの、そして二、三人については、もっと上の
学校に進学するために勉強したいと思う子のためにということを申し上げました。
ただ、実は、私はそれよりももっともっと大事なことがあると思っていまして、それはどういうことかといいますと、やはり貧困家庭の場合は、学習する意欲、進学する意欲、そのために勉強しようという意欲をなかなか持ち得ない家庭環境がある、それが一番大きな問題だろうというふうに思っているんです。
前回、私の方から、ある時点の学力というものはどういう構成要素があるのかということを聞かせてもらって、
答弁には納得せず、私の持論を展開させてもらいました。それは、
一つには親からの遺伝的なもの、そして努力度、そして家庭環境だと。家庭環境というのは、今申し上げましたように、家庭環境によっては、努力しようにもできない。
実は、もっと大きいことは、学習してどうなるんだ、進学してどうなるんだ、
大学に行ってどうなるんだということが思い描けない人
たちが多い、そういう家庭環境。そして、そういう家庭環境の
子供たちが仲よくなってしまうという環境がある。
実は、ある新聞記者のブログを私自身が読んだんですけれども、少しだけ長くなりますけれども、こういうブログがありました。
そのブログを書いたきっかけは、紳士でエリートで人間的には非常にいい人が、自動車教習所に行ったらしいんですね、自動車教習所に行って、ふだんだったら会うことができない層、人
たちと会ってきたよ、ふだんはどこにいるんだろうねということを悪気なく、人柄はいい人ですから、言ったんだそうです。その言葉が非常にショックだったというブログです。
どう言ったかというと、こういうふうにブログでは書いています。あれ、普通に生きていたら接点のない微妙な人
たちと時間と空間を共有する貴重な
機会ですよね、僕
たち、会ったことがないよね、みんな、ふだんどこにいるのという感じで、そのブログを書いた人に、ねえ、何々さん、そうだよねと同意を求めた。そのブログを書いた人は、私は曖昧なつくり笑いでやり過ごした、なぜなら、自分は、そのどこにいるのという社会階層で育ったんだと。
大学に進んだ方が将来の選択肢が広がるとかいう絵が描けない。貧乏であることは
一つの構成要素ではあるけれども、重要なのは環境なんだと。具体的には、周囲にはロールモデルがなく、コミュニティー内部に人生における広い選択肢を提示するメカニズムがない。選択できないのではない、そんな選択自体が思いも寄らないということなんですね。
ですから、幾ら、今四〇%の貧困家庭の進学率を高めよう、こういう
制度をつくったとしても、そのこと自体に、その情報にも接することもない、それを聞いたとしても、何の意味があるのかわからないという層がいる。層がいるというのは、これは私、断っておくけれども、私は社会の縮図があるような小
学校、中
学校で育ちましたので、もう本当に生身の貧困層、家庭というのをよく知った環境で自分は育っています。
注意しなきゃいけないのは、文科省の、
事務方全員とは言いませんけれども、多くのエリートと言われる人
たちが、話には聞いたことがあるけれども、自分の小
学校、中
学校、特に有名
私立だ国立だに行った人
たちは、それ以降、そういう生身の貧困層と実際接したことのない人がたくさんいるんですよ。だから、
制度をつくればみんな経済的負担なく行けるんだと思って、そこに飛びつくという言い方はよくないかもしれない、そこを利用する、しようとするだろうと思っているかもしれないけれども、実際はそうじゃない人
たちがたくさんいる。
だからこそ、学力を高めるということも必要だし、ある意味で、そういう学力を高める、進学をする、よりよい高等
教育機関に行くことによって人生の可能性が広がるんだ、選択肢が広がるんだ、貧困から抜け出せるんだということを指南するような
教師が要る。さっき言った、ついていけない
子供たちを補助するとか進学したい人
たちに受験的な勉強を教えるという以上に、そういうことを教える
教師を公立だからこそ配置する必要があるんじゃないか。(発言する者あり)ですよね。
そういう意味で、私は、四〇%を八〇%にする目的やよし、だけれども、そのためには、今言った、進学して人生の幅を広げる、選択肢を広げるという導き手が要るということ。
そして、前回も
指摘させてもらいましたように、学力が向上しないまま、行けるところに行く、それだけで本当に貧困から脱却できるんだろうか。今でも、
大学を出た人の中でも、俗に言う非正規だったりで、
大学は出たけれども低い収入で甘んじている人
たちがたくさんいる。だからこそ、奨学金も返せないということで悩んでいる人
たちがたくさんいるわけです。
そういう意味では、本当に貧困の連鎖を断ち切って、貧困から脱却するためには、
大学等高等
教育機関に行く前に、まずは学力を高めること。そして、繰り返しになりますけれども、進学することによって、もっと勉強することによって人生の幅が広がる、貧困から脱却できるという導きができる人を近くに置く、それを公立
学校に配置する、そのことが重要なんじゃないかと思います。
再度、私のこの
問題意識についての
大臣の見解をお聞きします。