○
宮川(典)
委員 確かに副
大臣のおっしゃることは崇高な理念だというふうに私は思いますが、では、現在、
大学で本当にその狙った
教育が行われているかどうかということはもう一回よく
考え直さなきゃいけないと思うんです。
どういうことかというと、
識見の高い
学術者がある
意味では
教師側というか教える側にいて、そして、それを
学びに来る
学生がいるわけなんですけれども、この教える側の人は本当に
生徒の方を向いて、
学生の方を向いて仕事をしているのかということは、もう一回
考えなきゃいけないんじゃないでしょうか。
委員の
皆様、それぞれ
大学や
高等教育機関をお出になっていると思いますけれども、
先生の顔を覚えていらっしゃいますか。
先生の顔をぜひ思い出してもらいたいんですけれども。御
自身が授業を受けた教室を思い出して、その前に立っている
先生の顔をきちっとはっきり覚えているかといったときに、手の挙がった方もいますけれども、この会場から苦笑いが出るということはその
先生の
印象が薄いということ。
印象が薄いということは、もしかしたら背中しか見ていなかった
可能性があります。
つまり、御
自身の
研究には没頭されていて、確かに
識見がある、そして高い技能を持っていらっしゃる、高い知能を持っている。しかしながら、でも、それは
学生にとって本当に必要なものなのか、
学生が求めていたものなのかというふうにもう一回問い直すと、そこは全く一〇〇%オーケーだとは言えないんじゃないかなというふうに思うんです。
それはなぜかというと、私は
自分が
大学生のときから思っていたことでありますけれども、
大学というのは何で十九歳で行かなきゃいけないんですか、何で二十二歳で卒業しなきゃいけないのか、私には全くいまだ理解ができません。
大学というのは今まで
初等中等教育機関で学んできたことを更に花開かせるわけですから、そのタイミングというのは、別に十九歳じゃなくても、二十じゃなくても、二十二歳じゃなくてもいいわけですよね。ですけれども、こんな
固定観念というか
社会通念を一体誰がつくり、そして一体誰が
社会をこうしてしまったのかというふうに私は思っています。何で六十歳で
学び直しちゃいけないんですか。三十歳で
学び直しちゃいけないんですか。
大学が、今、
リカレント教育だとか
学び直し教育だとか、いろいろなことを言っていますけれども、十九歳や二十の
人たちに合わせてつくった
カリキュラムで六十歳の人が
勉強できるわけがないんですよ。その
人たちはもっと大きな
社会経験を積んでこれまでの
キャリアを積んできているわけですから、その
人たちに合うような
教育ができて初めて、
学識が広く深く、そして
大学というのはまさにそれぞれの国の
高等教育だというふうに言えるんじゃないかというふうに私は思っています。
だから、
大学というのは、どんな
世代の人でも学べて、そしてどんな
経験をしてきてもその人の
経験が生きる、そういう
学びの場であるわけであって、ただただ若い
世代の、十八歳で
高校を卒業したら何となく、十九歳や二十や、浪人すれば少し後かもしれませんけれども、そういうふうに
勉強をさせていく場ではなくて、いろいろな
人たちの
学びの場に合うべきなんじゃないかなというふうに思います。
ただ、はっきりここで私は申し上げますが、これはあくまで私見でございますけれども、私は、今の
大学できちっと
リカレント教育、
学び直しができる
大学はないと思っています。それはなぜかといったら、あくまで、ともに
学び合う場ではなくて、教え込む、まだ
自分たちが年齢が上で、学歴も上で、そして
学識も上で、だから私はあなた
たちに教えるんだという
教授陣の集まりでは、私は、
経営がよくなろうが何がよくなろうが、本来の
大学の果たすべき
役割を果たせないんじゃないかなというふうに思っていますが、これについて、副
大臣、どのようにお
考えでしょうか。