○山岡
委員 山岡
達丸と申します。
本日は、質疑の時間をいただきまして、
委員長、
理事の皆様、そして
委員の皆様に、心から感謝を申し上げます。また、
菅官房長官におかれましては、日々の公務御多端の大変お忙しい中、また、
国会対応ということで、きょうは
質問をさせていただきまして、本当に敬意を表しながら、きょうの質疑に入らせていただければと思うんです。
きょうは、ちょっと、お配りさせていただいた資料、皆様にもお手元にあろうかと
思いますが、昨年の九月六日、時間にして三時七分五十九秒ということで、深夜、朝の早い時間といいますか、夜の時間でありますが、北海道胆振東部地震、厚真町を中心とした震度七、厚真、安平、むかわ、いわゆる被災三町と言われましたけれども、その震災の状況、今の現状のことを少しお伝えする、そのために私がまた撮影させていただいてきた写真であります。撮影日時は、四月十三日、先週の土曜日であります。
一枚目の右上でありますけれども、これは、むかわ町というところのお寺であります。法城寺というお寺でありますが、これは今も、震災後もう半年以上たつわけでありますけれども、入り口から入ってくるとこのままになっているところであります。その左側は、裏側に回ってきた写真でありますけれども、これは左下にありますとおり、大きな鐘がここに
設置されていて、御存じのとおり、お寺でありますので、除夜の鐘とかそうしたことに毎年使われていたりした、そういう状況が、ここはそのままになっているということであります。
次のページでありますけれども、これは神社であります。むかわ町の神社でありますが、これはもう見た目からもわかるとおり、左上でありますけれども、ブルーシートがかかって、今も、これはリアルタイムの状況でありますけれども、今まだ
機能として果たしていないという状況であります。特別に、御神体は別の場所に保管されているということで、中に上がらせていただいて中の様子もいろいろ拝見させていただきましたが、本当に、写真にあるとおり、非常にひどい。右上にある私が撮影しているのは、ちょっと上の方もひびが相当入っていたりずれていたりして、なかなか、本当に立ち行かない状況であると。
三つ目の写真は、これは厚真町の神社でありますけれども、こちらもいわゆる石塔とかそうしたところが被害のあったままになっているところであります。
こうしたいわゆるお寺とか神社の被害額を
伺いますと、一枚目の写真に一回戻りますが、この一枚目のお寺に関しては、自己資金と義援金で本堂の方は一千五百万円ぐらいかけながら何とか補修をしたりして、これは倒れているところの左側にある建物が本堂のところになろうかと
思いますが、それは何とか維持しても、この鐘の
部分を建て直すとしたら、やはり四千万ぐらい見積りとしてはかかるのではないかと言われています。
神社等も、ここの写真以外の場所も、直接お訪ねして写真を撮れたところと、あるいは、お電話で状況をまた改めて伺ったところもあるんですが、やはり、四千万であったり七千万であったり、少し、見積りを何とかとって、いろいろとっても三千万円台ぐらいまでにしか下がらないとか、いろいろな状況が今、神社そしてお寺の状況ではありまして、あるいは、見積りすらとれないまま、立ち行かないまま、今この状況、資金的なめども立たず、放置されたままとなっているのがお寺とか神社の状況であります。
実は、このお寺とか神社、いろいろ、震災以降、もう
政府の皆様にも本当に多数の方に厚真町、安平町、むかわ町に入っていただき、また議員の皆様にも本当に多数入っていただき、私は、被災地で活動させていただいている議員として、この厚真町の隣の苫小牧というところに居住地があるんですけれども、当時、苫小牧も震度六であったんですけれども、本当に、初日から現場に入らせていただいて、いろいろお話を伺っていく中で、本当に大きな
政府の力と、そして議員の皆様の本当に御理解の中で、今いろいろな事業が動いていて、住宅とか、道路とか、あるいは森林とか、さまざまなものが、今、復旧復興のために動いているわけでありますけれども、この神社仏閣というのは、一切公的な資金、
支援が入っていません。
もちろん、皆様御存じのとおりでありますが、いわゆる
地方でありますから、大都市とはまた違って、
地域の住民が集まる場所というのも限られている中で、お寺とか神社というのは、駐車場もあり、緑もあり、広場もあり、皆様が本当に
地域の中で集まるということにはすごく適しているわけでもありまして、当然ながら毎年いわゆるお祭りも開かれる。そしてまた、お祭り以外にも、この一枚目のお寺さんではマージャン
大会を開いたり、子供の集いを開いて昔遊びをしたりとか、いろいろな本当に工夫の中で、
地域の住民の方のまさにコミュニティーの場所としての
機能も、役割と、そして心のよりどころの役割も果たしているんだろうということを私は感じさせていただきました。
鐘がこんな状況でありますから、昨年末は
平成最後の大みそかというときでありましたけれども、何とか除夜の鐘ということをできないのかということで、住民の方でちょっとミニチュアサイズの鐘をお持ちだった方がいたということで、その方の鐘をレンタルして、十四時に子供たちも集めて、直した本堂で除夜の鐘のかわりに少し
行事をやって、そしてまた、いろいろ皆様の御希望もあって、やはり夜の時間、鐘だけは鳴らそうということで、ミニチュアサイズの、胸元におさまるぐらいのサイズの鐘でありましたけれども、それを鳴らして年を越したという状況であるというのが、この状況でありました。
令和の時代を迎えるという中で、被災地は復興元年だという
思いで今非常に動いているわけでありますけれども、こうした寺とか神社とかは全くそのままになってしまっている、公的
支援が入っていない。これはなぜ公的
支援をしていないのか、まず、そのことを
政府にお
伺いしたいと
思います。