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山岡委員 山岡達丸と申します。
本日は、こうした
アイヌの
皆様をめぐるこの新しい
法案につきまして、私
山岡は、所属
委員会ではなかったわけでありますけれども、しかし
質問の希望をさせていただきまして、そして
質問の
機会をいただきました。
委員長を始め、本当に
皆様の御高配に
感謝申し上げますとともに、私、また
北海道で、今、
ウポポイという
議論が盛んに出ておりますが、まさにその
白老町も含め政治
活動をさせていただいている身として、先日は、
委員長を筆頭に、
理事の方を
中心にこの
北海道白老町に足を運んでくださって、
アイヌ民族のさまざまな
関係者との
交流も、あるいは状況の
視察も含めてしていただいたことに本当に心から
感謝を申し上げながら、いただいた時間の中で
質疑をさせていただければと
思います。
北海道は変わった
地名が多いと言われるわけでありますが、そのほとんどは
アイヌ語がもとになっていると言われております。そうしたさまざまな状況を見ても、
アイヌの
方々がやはり
北海道の
先住民族であったということは、状況からもこれは明らかなことであるということは言えるわけであります。
しかし、その一方で、今回、本当に厳粛な気持ちで私も
質疑に立たせていただくわけでありますけれども、
アイヌの
方々に対する
差別で、厳しい仕打ち、非情な対応というのは、これは、
歴史の書物にも残る、厳然たる事実として残っているという状況であるわけであります。
私も、
地域の中でさまざま
活動させていただくに当たって、
アイヌの
方々と何度も
交流をさせていただいて、もちろん公式な行事だけでなく、お酒の場であったり、さまざまお話をさせていただくわけでありますけれども、こういう場で申し上げるのも口が重くなる、本当に気持ちも重くなるお話であるわけでありますが、今生きておられる
高齢者の
方々も、例えば
小学校のころ、
アイヌという言葉をもじったのであると
思いますが、犬、犬と呼ばれて非常にいじめの対象になった、そうしたお話を、日ごろはお話しされない中でも、お酒の飲んだりした場で訥々とお話しされる。
そうした状況に触れさせていただきますと、やはり今なお残る、それは外形的な
差別もあったと
思いますし、あわせてそこに心の本当に大きな傷というのがあるということは、ぜひこの場をもちましても
委員の
皆様と
思いを共有させていただければと思うところであります。
北海道の命名者とも言われる方に松浦武四郎という方がおられるわけでありますが、一八一八年の三重県生まれの方でありますけれども、幕末から明治にかけての探検家。この探検家の方が幕府に報告するに当たっても、この方自身は、
現地で
先住民族である
アイヌの
方々と信頼
関係を結ばれて、非常に助けてもらいながら冒険を続けられて、そうした方であったわけでありますけれども、その方が幕府に対する報告として、和人の
アイヌの
方々の取扱いが余りにも非人道的であるということを記録に残しています。
一端を御紹介しますと、
アイヌ民族の方を、十代半ばぐらいになると、男女の区別なく国後などの別の
場所に強引に移動させて使役させている。男性は昼夜問わず酷使されて、女性はめかけとしてもてあそばれるような状況もある。病につく者は放置されて、一服の薬も一切の食事も与えられていない。それをふびんに思った身寄りの者が食事を運んできて生き長らえている。
これは日誌で幕府に奏上したものでありますけれども、今死なんとする
アイヌの人たちを救ってください、このままでは二十年も過ぎないうちに
アイヌは滅びてしまう、こうした記録が百三十年前に残っているわけであります。
同じく最上徳内という幕臣の方がいるわけでありますが、この方も本当にそうした事実を記録として残しているわけでありますけれども、松前藩支配下の
アイヌの
方々の状況は悲惨そのものだ、地獄だと、借金の傍らにおける人身売買の実態等も含めて報告しているわけであります。
主に和人の商人たちが行っているという状況であったわけでありますけれども、これは和人側の記録にもやはりこうした厳しい仕打ちをやってきているということが記録として明確に残っているということは、ぜひこのことは共通の
認識として
皆様とともにお持ちさせていただきたいという
思いであります。
今お話にもありましたが、一八九九年に明治
政府は、
北海道旧土人保護法、保護法という
名称の
法律をつくったわけでありますけれども、この
法律では農地を与えたということを表現しているわけでありますけれども、そもそも
アイヌの
方々は、狩猟とか漁業が
中心で、土地を持つとかそういう概念が乏しいという、そういう
文化的な違いもあった中で、和人側の理屈で農地を与えたという側面もあって、しかし、その
法律の中には、耕作放棄地は没収しますよとか、他人への譲渡は禁止しますよとか、あるいは、これは運用上の問題ですけれども、与えられた土地も決していい土地ではなかった、そうしたことが今に伝わっているわけであります。
あるいは、その中で就学援助とかそうしたことがうたわれているわけでありますけれども、これは
日本語教育ということになるわけでありますから、まさに同化
政策というような中で、文字を持たない
民族であるということもあって、どんどん
文化が侵食されていった、こうした実態があるということは記録等からもうかがい知ることができるわけであります。
私は本当に、今、この
法案が、また大きな前進をする
アイヌの
共生政策の一端であるということは
理解する中で、ただ、こうした厳しい
歴史にやはりきちんと向き合って、目を向けて、そしてその上で進めていかなければいけない、そうした
政策であるということを強く思うわけであります。
そのことをまず
大臣にお
伺いしたいと思うんですけれども、こうした
アイヌの
方々をめぐっての和人との間の不幸な
歴史、厳しいさまざまな仕打ちも含めて、
政府として、どのように向き合って、これはどのように考えて
認識され、そしてこれから
政策を進めていかれるのか、このことをまずお
伺いしたいと
思います。