○津村
委員 そのとおりだというふうに
思います。
硫黄島の近郊では、火山活動が活発になって新しい島が生まれるかもしれないというような、そういう報道もございます。今、日本の領海が広がるかもしれないというテーマでもあるので、大変注目されているわけですけれども、ことしになって火山活動が活発化しているという報道もございます。
そうした中で、またもう
一つ、この昭和五十九年の
小笠原諸島振興審議会の根拠としているものは、そのときの判断というのはこういうロジックなんです。
そもそも硫黄島と父島、母島の条件が違う
四つの要素というのがまず掲げられていまして、ア、イ、ウ、エと書いていますけれども、まずアは、火山活動による異常現象が著しいこと。イ、
産業の成立条件が厳しいこと。ウ、戦没者の遺骨が残存すること。エ、多くの不発弾があること。この昭和五十九年の時点で、戦没者の遺骨や不発弾の問題は、今日においてそれらが硫黄島のあり方を左右する要因とは考えられない、
復帰当初のテーマだったと。私は戦没者の遺骨の話はこの後やりますけれども、そういった上で、火山活動による異常現象が著しいことと
産業の成立条件が厳しいことに対する客観的かつ適切な評価によって決定されるべきものであるというロジックのもと、さっきの結論になっているんですね。
大臣がおっしゃったように、火山活動による異常現象が著しいことというのは、今なおそうですし、もっとそうなんですね。
産業の成立条件が厳しいことも、条件は変わらないと
思いますし、当時の旧
島民の
方々が高齢化している、何しろ七十四年たっているわけですから、そのことを考えると、更にこの条件も厳しくなっていると言えるかもしれません。
そう考えると、この硫黄島と父島、母島は、やはりしっかりと峻別して議論をしていかなきゃいけないんだということがまず
一つあると
思います。
そうした問題
意識のもとで、
冒頭御紹介しました小作人
制度の話に、農水省さんと議論に入っていきたいというふうに
思います。
ごらんいただきますと、先ほどちょっと私が早目に触れましたので、御関心のある方はもしかしたらこのブログをもうお読みになったかもしれませんけれども、
小笠原諸島は、当時アメリカ統治下だったものですから、農地解放の対象にならなかったわけですね。その状態で一九六八年に
小笠原返還となったわけですけれども、そのときには、もともとの、小作人だった
方々、農地解放を何しろしていませんから、小作人だった
方々の権利をどう守るのかという議論があって、そして特別賃借権という
小笠原特有の
制度を設けてそういう
方々の帰島を促す措置をした。これは当時の知恵なんでしょう。
そして、そのことも含めて、農地法が適用されないということになったものですから、農地法の本来の
役割である、農地を農地以外のものにすることを規制するという部分が抜け落ちてしまって、いまだに
小笠原の、これはもう旧小作人の方かどうかにかかわらず、今
小笠原で
農業をやっている方はみんなこの状態にあるわけです。農地法の適用外。
これは非常に不自然な
状況でありまして、ここにも下線をしておりますけれども、
一つは、特別賃借権というのは、登記に出てこない、見えない権利なものですから、自分たちが、例えば
皆さんが
小笠原で土地を買ったとして、そこには見えない状態で、もしかしたらこの特別賃借権なるものが後々権利主張されるかもしれないという今不安定な
状況にあるんです。そうすると、そんな
状況では何が出てくるかわからないから、土地を買うのをためらうという方が当然出てくると思うんですね。その結果、
小笠原諸島全体の
産業振興がなかなか進まない原因の
一つというふうに村議
会議員さんが言っているわけです。
もう
一つは、農地が宅地転用できやすいという
特性を持っているために、農地法の適用外にあるために、農地の価格が上がってしまって農地の流動化が進まない、
農業生産向上に支障を来してしまいます、こうなっているわけです。
もし、今なお旧小作人の
方々が大勢いらっしゃって、その
方々の権利との調整ということが大きな問題として今なお残っているということであれば、これは歴史的経緯のあるものですから大切にしていかなきゃいけないと
思いますし、これまでの経緯を否定しようと言っているのではないんです。
左側をごらんください。特別賃借権は今どうなっているのか。
昭和四十五年当時は、ございますように、父島が二十九件、母島が三十一件、硫黄島と北硫黄島がそれぞれ百と三、合計百六十三件申出があったそうです。その後、
平成十一年、今からちょうど二十年前の三月ですけれども、に調査をしたところ、これは、硫黄島と北硫黄島は何しろ帰っちゃだめなわけですから、もうそこで耕作している方は当然転移によりゼロですけれども、父島で三人、母島で一人という
状況です。
私、ちょっと人を介してですけれども、昨日、
小笠原村の役場に、この四人の方は今どうなっているんですかということを
伺いました。今、お一人だけだそうです。息子さんが継がれて耕作をされている方がお一人だけ。その方の権利は当然守られるべきだと
思いますし、これまできちっと措置されてきたものを正当に継がれているわけですから、それは当然そうすべきだと思うんですけれども、それ以外の方、お一人を除くと、旧小作人の方がここで耕作しているという
状況は、息子さんの代までたどっても、ないんですね。
この
状況で、私は、特別賃借権の
制度を、今後についてを申し上げているんですが、維持していくメリットが見出せないと思っていまして、
小笠原諸島の
産業振興がなかなか進まない原因の
一つなのであれば取り除くべきだというふうに
思います。
まさに、
平成から新しい時代に変わるというのはたまたまかもしれませんが、
小笠原返還から五十年を経てこの
特措法を今議論するのであれば、そういう政治判断があってしかるべきだと思うんですが、農水省はいかがですか。