○櫻井
委員 立憲民主党・無所属フォーラムの櫻井周です。
本日は貴重な
質問の機会をいただきまして、まことにありがとうございます。また、先日は
京都大学に
視察に行くという貴重な機会をいただきました。これもまことにありがとうございます。
私自身、
京都大学の卒業生ということで、四年間、学部、それから
大学院修士課程、二年間、合わせて六年間通っていた
大学でございます。こうした形で母校に帰れるというのも非常にうれしいものでございました。
と同時に、
京都大学で過ごした六年間、当時言われていたことは、学生が千人いたら一人の天才と九百九十九人のばかを生む、そんな
大学だというふうにも言われておりました。私自身は九百九十九人の方に入っているんだなというふうに思いながら過ごしていたわけでございますが、
大学の雰囲気としましては、
大学の
先生方は、結構放任といいますか、学生が好きな
研究をするもよし、遊びほうけているのもよしというような形で、ただ、その中で
自分たちの人生なり
研究課題なりを見つけて、それで好きなものに熱中する、そういう雰囲気があったようにも感じております。そうした中で、
指導教官を超える、ある種すごく突出して優秀な
人材がごくごくまれに発生する、こういうことだったのかなというふうにも思っております。
本日は、この間の本庶佑
先生から
お話を伺った中で、先ほど古屋
委員からも御
質問がありました
若手研究者の三重苦という点について、まず
お話をさせていただきたいと思います。
三十代で独立して好きなことをやれる機会が少ない。それから、科学
研究補助金は採択率を維持するために金額が少額で、独立して
研究できない。運営交付金の減少と実質定年延長で若手定職の数が減少している。こうした
指摘がありました。
これに対する個別具体的な話については、先ほど古屋
委員の
質問の中で
政府委員から御答弁いただいたところでございますが、私自身、非常に問題点というのは、一つは、昔は、私が
大学生だったころは、教授、助教授、それから助手という形で、助手も一応正規雇用といいますか、給料は安かったかもしれないけれども、一応普通の正規職員としてしっかり雇われている。
研究の
成果が上がらないと、定年まで助手のままで過ごすということもごくごくまれにいたわけでございますが、ただ、ある種身分保障があったわけです。そうした中で、本当に好きなことをやって熱心にやっているうちに、すごい
研究成果を出すとか、いい
課題にめぐり会っていい
研究をするという方もいたというふうに感じております。
しかしながら、今はポスドクとかいうような形で任期つきのものが非常に多くなってきている。そうすると、任期終わり、三年なり五年なり、先ほどの答弁ではもう少し長いものもこれからふやしていくんだという
お話はございましたけれども、やはり、期限が区切られていると、その五年後にちゃんとした
成果が出せるということを逆算して
研究を組み立てていかないといけない。そうすると、今の時点から見てゴールが見えるような範囲でしか
研究をしないということになってしまっているのではないのか。
やはり、ゴールが見えるぐらいの距離感での
研究であればそんなに深いものにはならない。ゴールも何も見えないけれども、五里霧中だけれども、本当に自分がこれはおもしろいと思っているんだというところにもうまっしぐらで突っ込んでいくような壮大な
研究というのはなかなかやりにくいのかな、こういうふうにも感じております。
それから、あと、先ほど、本
庶先生は必ずしもパーマネントのポストでなくてもいいんだというような
お話を確かに
質疑応答でされておりました。しかしながら、これは多分医学部だから言えることで、医学部で医師免許を持っていて、
研究者としてうまくいかなかったということになった場合には、もう
医療の現場に戻ってお医者さんとしてしっかりやっていこう。ある種の資格による担保があるから言えることであって、そうでない理科系の学生にとっては、修士課程から博士課程に進むときに、やはり人生の大きな分岐点なわけですよね。
修士課程までだったら、普通のメーカーとかそういった形で、ある種、安定した仕事、職、身分保障のあるところで生きていける。ところが、博士課程に進んでしまうと、本当にその先、ポストが得られるかどうかわからないというところで大きく分かれてしまうわけですけれども、こうしたある種の不安定さといいますか期間の短さというのが壮大な
研究に取り組めない背景にあるのではないのか、このようにも考えるわけですが、大臣の御所見をお伺いしてよろしいでしょうか。