○糸数慶子君 沖縄の風、糸数慶子です。
山下大臣、
法務大臣就任おめでとうございます。
山下大臣の派閥の先輩で政界を引退された谷垣元
大臣は、私とは立場の違いがありましたが、
委員会質疑では丁寧で、答弁をしていただきました。誠実に、丁寧に答弁をしてくださいました。
山下大臣とは、憲法、アベノミクス、カジノ、核武装など政策や主張で相入れないものはありますが、
法律家であり、建設的で分かりやすい御答弁を期待をしております。
今年の七月六日、
東京拘置所で三人、大阪拘置所で二人、広島拘置所で一人、福岡拘置所で一人、計七人が死刑執行されました。そのうち六人が再審請求中でありました。同時に、多数の死刑執行に驚きと失望を禁じることができません。しかも、署名をされた上川前
大臣は、死刑執行の前日、
山下大臣の
地元でもあります西
日本でのまさに
豪雨が予見され、気象庁の緊急会見が開かれた後、いわゆる赤坂自民亭という宴会のおかみとして参加されていたということは衝撃をもって受け止めました。
日弁連によりますと、昨年末現在、百四十二か国が
法律で廃止あるいは十年以上死刑を執行していない事実上の廃止国であり、うち百六か国が全ての
犯罪について死刑を廃止をしております。OECD加盟国のうち死刑を存置しているのは
日本、韓国、アメリカだけですが、韓国は十年以上死刑執行していない事実上の死刑廃止国であり、アメリカは十九の州が死刑を廃止し、四つの州が死刑執行モラトリアムを宣言しています。死刑を国家として統一して執行しているのは、OECD加盟国の中で
日本のみということです。
死刑廃止は国際的な潮流であり、国連の各人権
委員会は死刑執行を続ける
日本に対し、執行の停止と死刑廃止の
検討を行うよう度々勧告をしております。二〇二〇年はオリンピック、パラリンピックや
京都コングレスが開催され、
日本が国際的な注目を集めます。人権後進国という不名誉なレッテルを貼られるのではないかと大変憂慮しております。
改めて国家による重大かつ深刻な人権侵害である死刑執行に対し強く抗議をし、
質問に入ります。
まず、難民認定と入管法関連についてお伺いをいたします。
安倍政権は、言葉の誤用が非常に多いと言わざるを得ません。例えば、森友、加計問題でも、丁寧に
説明と答弁をされる一方で、納得できる
説明はされておりません。また、沖縄県民の心に寄り添いと言いながら、新基地建設においては県民の意思を踏みにじる行為を強行されています。
大臣、人は何に最も怒りを感じると思われるでしょうか。人は差別を受けたときに最も怒りを覚えるのではないでしょうか。
今年は明治百五十年で、
政府は記念式典を行いました。沖縄県民は苦難の原点と受け止めています。また、安倍政権が二〇一三年に定めた主権回復の日、四月二十八日ですが、サンフランシスコ講和条約発効の一九五二年、昭和二十七年、当時、沖縄、奄美、小笠原は米国の施政権下のまま、沖縄では屈辱の日、奄美では痛恨の日と呼ばれているのを
大臣は御存じでしょうか。明治維新後の富国強兵、帝国主義が、琉球処分、そして沖縄戦につながっているためです。沖縄戦が終わり、サンフランシスコ講和条約によって、
日本の独立と引換えに沖縄は米軍
支配下に置かれました。
復帰をして今日まで、現在も米軍専用
施設の約七〇%が沖縄に集中し、事件や事故が後を絶ちません。さらに、沖縄県民が選挙で新基地建設反対の民意を再三示したにもかかわらず、新基地建設が強行されようとしています。沖縄県民の心に寄り添うと言葉だけが誠実で態度が不誠実では信頼を得ることはできないということを申し上げ、在留外国人の処遇と入管の問題について
質問いたします。
私は、
法務委員会で技能実習生や難民認定と入管の問題を度々
質問してまいりました。残念ながら、改善されていないばかりか、適正の名の下にますます厳しい
状況になるのではないかと危惧しております。環境
整備が整わないまま新たな外国人を受け入れるための入管
法改正には反対です。
山下大臣は
所信表明で、
外国人材の受入れとして入管
法改正の必要性を強調されました。また、難民問題について、庇護が必要な申請者には早期に安定した在留許可をする等更なる配慮を行いと述べられました。
難民保護というのは受入れ国
社会の人権意識を映す鏡、あるいは、
刑務所を見ればその国の真の姿を見ることができると言われております。人権が制限された人をどう扱っているかで、その国のありようが見えるということだと
思います。
全国難民弁護団連絡
会議代表の渡邉彰悟
弁護士は、難民認定を受けられない多くの難民たちは入管
施設に無制限に収容され、心と体がむしばまれ、第二の迫害とも言える苦痛に直面していると訴えておられます。
現状を御
理解いただけるよう、具体的なケースを御紹介したいと
思います。
本日、ここにも御家族の方がお見えでございますが、二〇一四年の四月二十日に来日されました一九八一年一月一日生まれのクルド人のメメットさん、この方の御家族が今日こちらにいらしております。成田で捕まり、牛久入管に十か月収容されていたので、収容されたのは今回で二度目ということです。
二〇一七年十月三十日、一度目の難民申請が認められなかったことで収容されました。メメットさんはトルコのガジアンテップ出身でありますが、トルコではクルド人の差別や迫害があり、クルドの
国民民主主義党、HDPの党首ですら、与党エルドアン政権により逮捕されました。
メメットさんは、政治犯の疑いで逮捕され
刑務所に入ったことがあります。
出所後、二十四歳のときに徴兵されますが、要注意人物とみなされているため銃を持たされることはなく、ひたすらトイレやシャワーの掃除といった軍の中では最も下の地位に付けられたということであります。解放後、結婚したものの、トルコ
政府の監視下に置かれ、何度も家まで視察に来て、毎回サインをさせられたということであります。そこで、これ以上はトルコで暮らせないと判断をし、四年前に来日されました。
四年の半分近くを収容所で過ごされています。しかし、メメットさんは首のヘルニアの持病があり、左半身がしびれる状態にあります。病院に連れていってもらえずに血圧の下が百以上の日々が続いたにもかかわらず、監視カメラ付きの部屋に一日中入れられ、適切な処置は受けられませんでした。ついに倒れて高輪病院に運ばれましたが、目撃者によりますと、倒れている状態にもかかわらず、手錠を掛けられていたということなんです。病院では検査を受けたそうですが、病名などは本人には知らされておらず、いまだ病気は治らず、苦しい日々を過ごしていらっしゃると言われております。
御家族は、本日傍聴されていらっしゃる妻のネルギスさん、そして小学校五年生の男のお子さんと小学校一年生と五歳の女のお子さんであります。収容されているため、長女の入学式と次女のヘルニアの手術に立ち会うこともできませんでした。
妻のネルギスさんは三人の子供を抱え、ストレスの余り非常に不安定な状態になっていらっしゃいます。親戚からの手助けもありますが、基本的にはみんな自分のことで手がいっぱいなので、どうしても
負担が圧倒的に妻のネルギスさんに掛かってしまいます。
メメットさんに面会するときは二人のお子さんは学校を休まなければならないので、それこそ勉強どころではありません。最寄りの駅から家は遠いということですが、お金がないためバスは一切使わない。面会のために三人のお子さんを連れ川口から入管へ通うのに、電車賃が掛かる上、駅のホームや長時間の歩行は本当に危険であるという、そういう実態に置かれています。
こういうケースはまさに庇護が必要だと
思いますが、このような御家族の
方々の苦しみや悲しみを
山下大臣はどう受け止めておられるのでしょうか。受け止められるでしょうか。