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吉良委員 国民民主党の
吉良州司でございます。
きょうは、四十五分使って、
柴山大臣、
柴山大臣は総理の信任も厚く、将来の日本を担うリーダーとして御活躍でありますけれども、その
柴山大臣がこの文科を見ているという状況の中で、この
文部科学省所管領域の中で強いリーダーシップを発揮してもらいたいという
意味も込めて、
質問をさせていただきたいというふうに思っています。
それと、冒頭、いろいろ
質問通告はしているんですけれども、午前中からずっといい
議論がなされていますので、自分の
質問通告に基づいてというよりも、少し午前中の
議論を踏まえて話をさせてもらいたいと思っています。
質問という形式はとりませんので御安心を。お願いします。
本人いらっしゃらないですけれども、午前中、宮川典子
委員が、自分の教師経験も生かして、英語
教育かくあるべしという持論を展開されました。そういう
意味で、私自身も、この宮川典子
委員の
質問、提案に断固賛成の立場で討論といいますか話を冒頭させてもらいたいと思います。
というのは、前回の一般質疑のときに宮川さんと同じ視点での
質問をしようとしていたんですけれども、時間切れになってしまいましたので、前回は割愛せざるを得なかったということで、少し応援
質問をさせてもらいたいと思っています。
宮川典子
委員が提案した中で、大変、こういうふうに言うんだと思ったのは、英語で学ぶ、さまざまな教科において英語で学ぶという考え方なんですね。
このことは極めて重要でありまして、実は私、商社勤めで、ニューヨーク駐在をやりました。一般的に、商社マンでニューヨーク駐在というと、何か英語をべらべらやりながら格好いい姿を思い浮かべるんですが、私は全然そんなことなくて、多分、当時の商社マンの中で最も英語の下手な、英語で四苦八苦して苦労に苦労に苦労をしていた商社マンとして、英語
教育いかにあるべきかと言う資格が十分にあると思っています。
その中で、英語を教えるとかじゃなくて英語で学ぶということがどれだけ重要かというのは、実際の会話の中で一番重要なキーワードというのは、実は個人名だったり地域名だったり都市名だったりというところにあるんですよね。
又は、宮川
委員言っていましたけれども、日常会話で、一足す一は二だろうとやりますよね。だけれども、普通の英語
教育を受けていたら、なかなかそれはやらないんです。イコールがある、イズがあるという言い方をしていましたけれども、本当にいろいろな教科を、例えば週に四こまあるとして、一カ月十六こまある
うちの二こまでも三こまでも、英語でそれぞれの教科を教えるということは極めて意義があるというふうに思っています。
例えば、自分自身が物すごく苦労した経験としては、当時、中国のトウショウヘイさんが、総書記でもない国家主席でもないんだけれども実は中国の意思決定をしていると言うときに、アメリカ人に幾らトウショウヘイと言っても通じないわけですよね。一生懸命、今言ったように、国家主席でもない総書記でもないんだけれども実質的にナンバーワンの実力者でと言うと、向こうが、それはタオシャオピンだねと言ってくれて、そうそうそう、それだと。そういう経験がたくさんあるんですよね。
そういう
意味で、個人名、今言った都市名、地域名、例えば会社名、それを通じるように教わるということは極めて重要です。
まだアメリカ駐在する前に、アメリカからアメリカ人のある人が来て話をしていたときに、やはりハンバーグ好きかと言って、マクドナルドによく行くのかみたいな、マクドナルドと言っても、英語が達者な人は知っているけれども、全く通じませんよね。マクダーナルですよね。全く通じない。
だから、我々はこれだけ長いこと英語
教育したり普通の授業をしていながら、日本の社会の中でしか通用しないことを勉強しているんですね。そういう
意味で、同じように社会を勉強し、例えば歴史を勉強し、算数を勉強、数学を勉強するときに、そのキーワードをきちっと海外の人とコミュニケーションできる形で教えるということは極めて重要だと思っています。
会話の中で個人名、今言った個別名がわからないと全く会話についていけないというのが実情です。ほかの抽象名詞とか少々わからなくても、これも宮川
委員言っていましたけれども、何とか通じるんですけれども、今言った個人名、個別名が通じないと全く会話にならない。そういう
意味で、幅広い教科の中で、英語で教える、英語で学ぶというその論に私は断固賛成の立場で、今、論を展開させてもらっているところであります。
あともう一つは、先ほどの答弁の中で、小学校の教員が英語も教えるという話がありました。それはそれで一方でいい、身近な先生が教えてくれるのはいいんですけれども、ただやはり、なれていないと通じない英語を教えてしまうことになるんだろうと思います。
私たちは、サンキューと言われたらどう答えるか、大概、ユー・アー・ウエルカムと習いますよね。私も、今言った英語と悪戦苦闘する駐在員生活を送る中で、サンキューと言ってユー・アー・ウエルカムなんて言われたことはほとんどないですよ。普通、圧倒的な多くはシュアです。
例えば、窓側があいていてアイルシートに誰か座っていて、エクスキューズ・ミーと言って入ろうとする。ちょっとよけてくれたからサンキューと言うと、シュアですよ。ユー・アー・ウエルカムなんて、あなたは歓迎されていますなんて言わないですよね。
エレベーターが混んで、後ろの方からエクスキューズ・ミーとかエクスキューズ・アスと言って出ようとして、よけてくれたからサンキューと言うと、シュアかノープロブレムですよ。ノープロブレム、問題ないよ。
パソコンがうまく操作できなくて、プロの人を呼んで直してもらった。そのときにサンキュー・ジョンと言ったら何と言うかというと、ユー・アー・ウエルカムでもない、エニータイム。いつでも言ってくれよ、おまえのためならいつでもやってやるよ。
だから、言語とは生活だというふうに思うんですよね。だから……(発言する者あり)ありがとうございます。賛成討論です、いわゆる私の。そうなんです。ですから、私は一方で、小学校教員の質を高め、その
向上意欲を増すためにも、一方で大事だと思いますけれども、一方では、今インターネット時代ですから、どこかおもしろいと同時にみんなが食いつくような授業をやる、映像を見せながらやるということも大事だというふうに思っています。
ちょっと更に脱線しますけれども、やはり商社時代にフィリピンの
教育プロジェクトというのをやっていました。フィリピンというのは六千も離島があるんです。その七割が実は電気もないんです。教師も行きたがらないんです、生活インフラがほとんどないですから。でも、そういう
子供たちにも
教育の
機会をきちっと与えようということで、マニラで有名教諭の授業をやって、それを衛星で飛ばして、電気もないですから、まさに太陽光で受けて、スクリーンでそれを映すことで勉強させるというプロジェクトをやろうとしていました。ちょっと政変があったのでポシャりましたけれども、そういうことをやっていました。
そういう
意味では、さっき言った、英語で学ぶ、そして言語は生活であるということを現場でやっていくには、小学校教諭の教えと、それと、今言った、中央なのかどこかでやっているおもしろい食いつくようなスクリーン映像でもっての授業と組み合わせればいいのではないかということを、宮川
委員の
質問、提案を受けて、私からも提案させてもらいたいと思っています。
それでは、いよいよ……(発言する者あり)では、通告はしていないですけれども、大臣の所感をお願いします。