○松沢成文君 まあそういう答弁になってしまうと思うんですが、私は、結構以前から、この
京都遷宮構想というのをもっと議論していいんじゃないかと
考えているんですね。幾つか理由がありますので、
大臣に聞いていただいて、是非とも感想を聞きたいんですけれども。
まず、歴史的にも日本が誇るべき万世一系の天皇家というのは、実はもう二千六百年の歴史がありますけれども、千年以上、奈良とか飛鳥の時代を含めると千二百年近く、
京都でも千年以上、継続、発展してきたわけですね。で、明治維新になって、
東京遷都というか、
東京に来て、天皇陛下も幕末の混乱から公武合体論、倒幕という中で明治維新が起きて、そこで政治のリーダーにということで祭り上げられて
東京に来たわけです。それからは僅か百五十年であります。つまり、日本の長い悠久の歴史を見ると、天皇家が発展してきたのは関西であり、やはり
京都なんですね。
もう一つ、大変重要な特徴は、日本の場合は政祭分離、つまり天皇が直接政治権力を握って支配する国ではなくて、政治というのは、時には平安時代のように公家が、貴族が、あるいは戦国時代、江戸時代も含めて、これは武家が政治権力を握って政をつかさどると。しかし、その上に立って天皇は日本国統合の、何というか、象徴として、政治権力を持つのではなくて、一つの大きな権威として存在することによって日本の国がまとまってきたと。逆に言えば、天皇家が政治権力に手を出して政治権力を奪おうとすると、必ず南北朝の時代の後醍醐天皇のように失敗をしてきているわけですね。
ですから、そう
考えると、天皇は政治権力の近くにいないのが日本の歴史、伝統
文化なんです。政治権力の近くにいてチャンスがあったら政治権力を取ってやろうという歴史はほぼなかったわけで、むしろ、あったとすれば明治維新の大日本帝国憲法下の国の形がそうなってしまったんです。あれは中央集権国家を欧米列強に負けないようにつくるためにやっぱり必要な
体制だったかもしれませんが、そういう意味で、政治権力とは距離を置いてきたというのが日本の私は伝統であったんじゃないかと思っています。
そして実は、現実的な話をすると、
京都の政財界も、天皇陛下が
京都に帰ってくるのであればと、これ本音では大歓迎をしたいところなんですね。実は、
東京遷都のときも、これは遷都が法律で決まったわけでもないんです。明治維新になって、天皇陛下は
東京に行幸したわけですね。行幸して一回帰ってきて、もう一度といって行ったときに、まあお住まいもここで、新しい
政府ができたのでこちらでということで、住まわっちゃったわけです。だから、
京都の皆さんからしてみると、一時的にお貸ししているだけだと、いつ頃帰ってくるんでしょうかという感覚もあるぐらいなんですよね。
更に言うと、今度は、現世の日本の悩みというのは
東京一極集中であります。
地方創生をやろうと思ってもなかなか進まないです。これ二十年ぐらい前には一度、首都
移転といって、新首都建設だと。
東京に政治も経済も
文化も情報も全部集まり過ぎちゃって、もうこれじゃいびつな国の
体制になっちゃうので、政治の首都は小さな都市をつくって、経済は
東京だけれども政治はそちらに分権しようということで、
推進法までできたんですね、多分
大臣覚えていると思いますけれども。栃木に持っていくとかあるいは岐阜に持っていくとか、いろいろやりましたよね。でも、結局、いろんな抵抗があってこれもできなかった。
その後に盛り上がって、もう少し分散をして均衡ある発展を目指そうとやって、システム的に議論されたのが道州制であります。道州制だって、結局、まず
地方自治体が反対始まっちゃったりするんですね。やっぱり中央
政府からの補助金、確実にもらった方がいいと、こんな論理もあるんでしょう。それから、当然、今の既得権を持っている霞が関、これも、道州制で全部分割されちゃったら自分らの仕事はどうなるのといって、みんな反対です。ですから、こういう国家構造を改革するような大改革は、やっぱり抵抗勢力が強過ぎてできないんですね、なかなかね。
私は、最後に、もし本当に
東京の
一極集中を抜本的に打破するとしたら、やはり
文化の
機能を
京都に持っていく。そのためには、
文化庁の一部
移転で二百五十人の職員が行くようじゃ、これは砂漠に水まくようなものです。もっと日本の国の国体、まあ国体という言葉がいいか分かりませんが、抜本的にこの国の構造を変えなきゃいけない。そのためには、
文化の中心である皇室、天皇陛下、宮内庁含めてルーツである
京都に御
移転いただいて、そこで様々な
文化の
発信、あるいは皇室の行事も行っていただくことによって初めて、日本が
東京一極集中から、経済、政治の首都の
東京、
文化の首都の
京都、もっと言えば大阪にも頑張っていただいて、大阪にももっともっと経済の
機能を持っていく、そういう多極構造にしていかないと、これは日本の
一極集中は終わりません。
東京の二十三区内の大学にキャップ掛けたって、そんなんじゃ全然駄目ですから。全くもって私は
効果がないと思っていまして、今やそういう議論をしていくべきだと思います。
こういうことを言うと必ず、天皇陛下の国事行為や公的行為も行事もいろいろあって、これはやっぱり首都の近くにいないと難しいんだよ、これは
工夫で幾らでもできるし、あと、物理的な距離を言う人もいますけど、そのためにもリニアができるんじゃないですか。人口減の時代にリニア造ったって、お客さんがなかなかいなくてJR東海は今のようにもうからないですよ。もっともっと交流を盛んにする。リニアだったら一時間で行けるわけですから、
大臣の承認式だって、
大臣、一時間で
京都まで行ってくればいいじゃないですか、そういうことができる時代ですよね。
もっと言えば、
京都には御所が残っています。宮内庁が管理しています。そして、天皇陛下も時々泊まっているんです。それで、大宮御所というんですかね、天皇が泊まる御所の隣には仙洞御所といって、引退した天皇陛下、皇后陛下も泊まれるようにもなるわけですね。こういって、私は、大きな国家プロジェクトとして天皇陛下というか皇室の
京都移転というのも
考えていく、それを議論することによって、私は
東京一極集中のこのいびつな国の
体制を変えていくための様々な知恵が出てくるんじゃないかと思います。
以上が私の
考えている
京都遷宮構想なんですけれども、
大臣……