○難波奨二君 立憲民主党の難波奨二でございます。
労働法制の
改正、
働き方改革を、国民の皆さんはいまだ六割以上の方が、この
働き方改革、この国会で成立すべきでないという、こういう御意見がある中、審議が参議院に移ってきたわけでございますが、今日はもう時間もございません。総論的に私は
お話をしてまいりたいと思いますし、自戒も込めて
お話をしたいというふうに思います。
これ見て驚いたんですけど、働き方の未来二〇三五というのを二〇一六年の八月に厚労省が出されておるわけですけれども、一言で私申し上げまして、これ中身読んで、驚愕でございます。これからの
社会や
労働環境が変わってくるということは、私は十分その認識というのは変わらないけれども、しかし、働く者のこの方向付け、働き方含めてでございますが、今回の裁量
労働制の拡大、裁量制の拡大というのはこれは撤回されましたけど、高プロを併せて、全てこの
報告書のその流れによって作られているものなんですよ。
大臣の御答弁も、そして官僚、役所の皆さんの御答弁も全てこの中身に沿った答弁なんですよ。
私は三十三歳から五十一歳まで
労働運動をなりわいにして生きてきた人間でございますけれども、
労働行政がこういう方向でこの後進められることは、断固として私は許しませんよ。言いたいことがいっぱいある。この中にも、揚げ足を取るようなことは言いたくないけれども、伝統的な
労働法なんという文字もあるんですよ、何か所か。こんなこと何で認めるんですか、
労働省の皆さんが。
ずっと
お話ございました、今日も。各
委員の方から
お話がございました。働く者は立場が弱いんですよ。どこを見てこれからの
労働行政を進めていこうとしているのか、本当にここに書かれている方向で
我が国の働く
労働者をこういう形に、立場に置こうとしているのかというのは私は全く
理解できないし、こんなことを私は許しちゃならないし、
労働行政を改めるべきですよ。誰のための
労働行政なのか、ここは明確にやっぱりしないと。
経営者の方に向いた、そんな
労働行政やっていってもしようがないじゃないですか。
私の経験でいうと、巡り合ってきた
労働省、厚労省、携わってきた役人の皆さんは、私よりも働く者に対して本当に強い強い思いを持っていたし、
社会の不条理に対しても本当に徹底的に闘ってこられたのが、私は旧
労働省、そして今の厚労省の役人の皆さんだったというふうに、印象的にもそうだし、実体験からもそのように思っているんですよ。ところが、全く働く者というもの、働く側に立った
行政をやることなく、今回のように
経済界の要求によって大きく
我が国の
労働法制を変えようなんていうようなことは、私はやっぱり許されるものじゃないというふうに思いますよ。
最高裁の判決が出ました。非
正規労働者が何でこんなに生まれてきたか。自戒あります、私も自戒がある。
しかし、導入当時と今の非
正規労働者の現状というのは大きく変わってきたんですよ。正社員と非
正規労働者というのはきちっと役割分担があって、そして法的にも、その根拠となるように、
経営の側は、あるいは企業というのはその導入を進めてきた。しかし、今は正社員も非
正規労働者も全く同様の
仕事をさせ、そしてその結果、成果も同じものを求め、それが今の企業じゃないですか。何でこんなに
我が国に非
正規労働者が増えてきたのか。四割、二千万人、
賃金は六割、雇用の調整弁、
労働力の調整弁。企業優先で全てこの非
正規労働者の問題というのは、今の現状が生まれてきたんですよ。
そういう中で最高裁の判決が出たわけですけれども、私は重ねて申し上げたいというふうに思いますけれども、
労働行政というのは、働く者の側に立ったやっぱり
行政というものをきちっとやるべきだと。そして、企業の側にも求めるものは求めなくちゃならないですよ。フィフティー・フィフティーの関係でなくちゃ、
制度上は。
しかし、戦後作られた
労働三法、ずっと
お話があるように、働く者というのは弱い立場だから、
法律によって働く者を守っていくんだというのが私は
労働三法だというふうに
理解をしておりますけれども、それを伝統的な
労働法だなんて言うようなことを、厚労省自らそんな
報告書を認めて、そして今回の裁量
労働制の拡大、そして高プロの導入に一瀉千里進んでいるというふうに私は指摘をせざるを得ないというふうに思います。
正社員という概念がなくなるんですよ、この
報告書でいくと。正社員という概念は全くなくなる。雇用
労働という形態も、当事者間の自由な契約によって成り立つという、成立するという、そういう中身なんです。正社員という概念なくして、そして個人の請負、そういう
制度を
我が国に導入しようとしていることに対しては、重ねて私は強い憤りを持って訴えてまいりたいというふうに思います。
そして、今回の
法改正は、先ほど来からも議論が出ているんですけれども、基本的にはこうなんですよ、不合理な
待遇差の
是正を求める
労働者が裁判で争える根拠となる
法律を作ろうというふうにこれ言われているんです。これ分かっていただけると思いますけれども、私
労働組合で飯食ってきましたけれども、もう
労働組合無用論なんですよ、これ。集団的労使関係というものを形骸化して、個別的労使関係というものを重要視する、こういう考え方なんです。
実は、近年の裁判の判例というのは、集団的労使関係で起きた問題というのはほとんど裁判所は認めてくれないんですよ、実は。ほとんど認めてくれないんです。だけど、難波奨二が訴えた不合理な事案については、これ裁判所はもうこの間随分認めてきているんです。だから、今回の最高裁の判例というのは大体予測されたとおりなんですね。
本当に、判例主義、こうしたものを、
我が国のこの
労働の中にそういう概念というものを持ち込んで、労使の議論というものを、あるいは労使の約束事というものを重要視しないような、そういう
社会をつくっていいのかどうなのか。
自戒を込めて言うと、
労働組合の組織率ももう一七%なんですよ。御案内のとおりでございます。つまり、組織された
労働者をいかに守っていくかというのは、ある
意味、どちらかというと、もう……(発言する者あり)そこまでは私は申しませんけれども、これはなかなかやっぱり、これは
労働界にも大きな問題があるとは思いますけれども、私は、限界がそろそろ出てきている。だから、個人の組織されない
労働者が増えてきたものだから、
労働組合にそこは組織できないのならばこれはいわゆる司法に様々な問題を、解決を委ねようという考え方がそこに生まれてくるというのは、それは正直なところしようがないかなというふうに思っているんです。これは
労働組合のまさに弱さであるわけですけれども。
しかし、そういう現状の中にあっても、申し上げておりますように、
経営者に何も求めることなくて働く側ばかりに様々な
制度の
改正というものを、私は、それも、働く者にとってウインの問題ならいいけれども、決してそうじゃないものを、
労働行政を進めていくというのは大きな間違いだというふうに思うんですね。
質問する時間が全くないわけですけれども、
大臣、今まで申し上げたことに対してどういうお受け止めをされておられますか。感想をお聞きしたいと思います。