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枝野幸男君(続) ミズタ議員、黙っていていただけますか。
この八億円もの値引きがどうしてされようとしていたのか。
財務省の
皆さんは、それには批判もあるかもしれませんが、国民の
皆さんから、納めるべき税金は一円とも間違いなく、落ちなく納めていただくために努力をされています。国有財産などを売るに当たっては、一円でも高く売るために努力をされています。
私は、そうした財務省の基本的な姿勢は、それは、少しでも税金を安くしてほしい、少しでも安く国有財産を手にしたいという
皆さんには残念なことであるかもしれませんけれども、正しい姿勢だと思っていますが、その財務省がなぜ八億円も値引きを認めようとしたのか、一旦は認めたのかという、これは深刻な問題であります。こんなことが日常茶飯に起きたとしたら、まさに
我が国の財政は、どんなに国民から税金をいただいても回るはずがありません。
したがって、なぜこんなことが起こったのか、その原因、本質を明確にすること、そしてそのことに基づいて再発防止策をとること。原因もわかっていないのに、全貌も解明されていないのに、再発防止を打てるはずがありません。
後で述べる改ざん問題なども含めて、責任を痛感していますとか、真摯な反省とか、再発防止とか、言葉だけは躍っていますが、全貌解明の妨害をし続けてきているのは誰なんですか。全貌解明に抵抗しているのは誰なんですか。全貌解明に協力をしない政府・与党の姿勢こそが、まさに税金の無駄遣いを生み出すうみそのものではありませんか。
そもそも、これだけでも問題なのでありますが、第二に申し上げなければならないのは、
安倍総理の昭恵夫人が、夫人付の公務員である谷査恵子氏を通じて行政に問い合わせるという関与をしていました。このことは既に明らかになっています。このことだけで大問題じゃないですか。
ほかに、こんなおかしな値引きをしたことについての合理的な説明が一切なされていない以上は、このことが影響を与えていたという以外、現状では推認しようがないじゃないですか。
安倍総理は、関係していたら総理も議員もやめるという発言をされました。この発言があろうとなかろうと、この事実をもってしてだけでも、まさに権力の公私混同の問題として深刻な問題であることは明らかであります。にもかかわらず、昭恵夫人も谷氏も、国会はおろか、
記者会見などの場も含めて全く説明をしておられません。
財務省が改ざん、隠蔽してきた文書の多くを、この国会で野党の協力によって公開にまで持ち込むことができました。
野党各党が粘り強く追及してきた成果であると思っていますが、そもそも、本来であれば総理や政府自身あるいは自民党が積極的に真相解明に努力すべきであると思いますが、全くそうした姿勢は一貫して示されませんでした。
そして、非常にわかりやすいのは、関連する文書の多くがようやく野党の追及に応じて出てきましたが、なぜか昭恵夫人や谷査恵子氏が関与していたとされる時期の文書だけ、いまだに出てきておりません。
更に言うと、びっくりしましたが、これは共産党さんが指摘をされました、最高裁まで争ってでも公開はしないとされる打合せ文書が出てきました。こうした文書が本物でないという否定もできていません。本物かどうかわからないというか、答えないという状況であります。まあ、本物だから否定できないんですよね。
最高裁まで争ってでも公開しないというそんな姿勢、まさに総理が指導力を発揮して、公開できるものは全部公開しろと言うべきじゃないですか。こんな姿勢で、自分の配偶者は関与していないと幾ら言い張ったって、誰も信用しないのは当たり前のことじゃないですか。
モリカケ問題に関連しては三つ目、加計学園問題であります。
国家戦略特区に至るプロセス、獣医学部の設置認可に至るプロセス、まさに行政の中立性、公平性を損ないかねない疑惑であります。これに全く真摯に対応していないどころか、真実に目を向けぬ姿勢がもはや明確であります。
何度も指摘をされていますが、改めて申し上げたいと思います。
公開された愛媛県の文書、平成二十七年の三月付の文書には、三月三日の打合せ会において加計学園のした報告が記載をされています。二月二十五日に加計理事長が総理と面談し、いいねと言われた。公文書であるのかどうかということはいろいろな議論がありますが、愛媛県の地域政策課がつくり保管していた文書において、加計理事長が総理と面談し、いいねと言われたということが明確に書かれているところであります。
すごいのは、加計理事長などが、事務局長がその場の雰囲気で作り話をしたと釈明をされたことであります。愛媛県の一連の記録と照らし合わせれば、明らかにこの加計理事長の説明は矛盾をしており、この理事長の、雰囲気で作り話をしたという釈明こそが虚偽であるのは明らかであります。
一つには、当該その三月の文書の冒頭に何と書いてあったか。「加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申出があり、」というのが冒頭の記載です。
つまり、この会合そのものが、打合せ結果、
安倍総理との面談結果を報告したいという申出に基づいてこの会合がセットされているんですから、その場の思いつきで
安倍総理との会談の話がしゃべられたわけではないというのは記録上明々白々じゃないですか。これだけでも加計学園は大うそつきだということがはっきりしています。
一つだけではなんなので。
愛媛県の公表文書、一つ前の文書は二月付の文書です。その二月付の文書にはどう書いてあったか。理事長が
安倍総理と面談する動きもあると明記されているんです。
二月の会合で、理事長が
安倍総理と面談する動きもあるという報告をし、三月の会合は、理事長と
安倍総理との面談結果等を報告したいとの申出でセットされ、そこでいいねと言われたと報告をした、これが全部、記録上明確に残っているんです。これが作り話、あり得ないですね。
まだあります。
この三月付の文書、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったとの加計学園からの報告が記載をされています。そして、次の文書で、資料提出指示を受けて、柳瀬秘書官と加計学園が協議の日程を調整しているとの加計学園からの報告内容が記載をされていて、実際にこの流れの中で、いわゆる問題となっている柳瀬秘書官との面談が実現をされているわけでありまして、総理と加計理事長との面談からこの一連の流れが進んでいるということは記録上はっきりとしているんじゃないでしょうか。
そもそも、学校の設立認可という公権力の行使、行政行為の選択に当たって、こうした形で
政治家が関与をしていたとすれば、そのこと自体大きな問題でありますが、県や市も多額の金をこの加計学園に出していますが、学校を設立されてしまった以上は、ここには毎年、私学助成金という形で国費も出ていくんです。
獣医学部のような実験などを多々行う学部が、私学助成金の中で、経営が回っていくというのは、これは現実的にあり得ません。学校が存続する限り、私学助成金がない限りは経営は成り立たない。これもまた税金の使われ方、使い方の問題であり、しかも、愛媛県や今治市だけではない、国費の問題でもあるんです。
安倍総理は、国家戦略特区のワーキンググループのプロセスに瑕疵がないことを繰り返し強調していますが、全くピント外れの言いわけだと言わざるを得ません。
仮にワーキンググループの手続本体には瑕疵がなかったとしても、総理との関係を背景にして総理秘書官から特別な指導助言を受けていれば、行政の中立性、公平性を損ねるものになります。あるいは、国家戦略特区としての正式な申請の前段階のプロセスであったとしても、それこそ加計理事長の言いわけのように、総理の名をかたって県や市をだますなどという決定的な瑕疵があるならば、設立認可そのものに瑕疵があると言わざるを得ません。
そもそも、申し上げたいんですが、この柳瀬秘書官というのは、私も経済産業大臣をやらせていただいたので存じ上げていますが、経済産業省から総理秘書官に出ていらっしゃるんですよね。
この国家戦略特区は、その結果、学校の設立の問題という意味では文部科学省に影響する話です、獣医師さんという話では農林水産省に影響する話でありますが、内閣府の所管であります。私立の大学の学部を設置する、しかも一次産業系の学部を設置するということについて、そもそも柳瀬秘書官は知見もなければ所掌したこともないんです。何で柳瀬秘書官が関与して指導助言をしているのか。それはまさに総理秘書官だからにほかならないじゃないですか。
総理秘書官が関与しているから、内閣府を始め各省庁はそれをそんたくするなり、私は事実上の指示が出ていたと思っていますが、それは断定はしません。
しかしながら、まさに、なぜ所掌ではない経済産業省出身の秘書官が関与をしていたのかということ一点をもって、まさに官邸としての影響力を行使させようとしていたということは、これだけで私は明々白々だというふうに思いますけれども。
これらだけでも内閣が三回ぐらい吹っ飛んでもおかしくないんですが、この問題は、更に言うと、このまま放置をすればとんでもないことになる、そういう問題であります。
総理のような権力者と友人であるなら、あるいは権力者の配偶者に取り入ることができれば、行政的に有利に取り計らってくれるかもしれないという認識を世の中に生じさせているということであります。行政の中立性、公平さに対する信頼が、急激、著しく、今、劣化をしています。こうした状況を放置したら、見逃したら何が起こるか。有利に取り計らってもらおうとして、権力に取り入る、すり寄る人間が増加をします。
その一方で、そうした機会はつくろうと思ってもとてもできないよねと、多くの
皆さんはそう考えるでありましょう。そうした
皆さんは、どうせ一部の人だけがいい思いをするのでしょうという意識に陥り、モラルとモチベーションが低下することになります。これは、まさに日本社会を崩壊させる危機です。
したがって、多くの国民の
皆さんに、ああ、やはり行政は中立公正なんだという納得感を得させなければ社会のモラルを崩壊させる、その責任は、こうした疑念を生じさせた
安倍総理にあるということは間違いないじゃないですか。
森友、加計学園問題に関連をして、五番目に指摘をしなければならないのは、これ単独でも七つのうちの一項目立てたいぐらいの話でありますが、この真相解明を妨害するような、そうしたプロセスの中で出てきた公文書の改ざん問題であります。
これは、行政の末端のごくごく一部の数人が個人的な不祥事を隠すために文書を改ざんしたなどという、過去にも残念ながら時々生じている不祥事とは全く本質的には違っています。公文書の改ざんを、しかも国会との関係で、中央官庁の中枢部が大がかりに実施をしたというところが本質的な問題です。
国会から求められている資料提供や報告を求められている案件について、公文書を改ざんしたということはどういうことか。国会をだましたということであり、国会を通じて国民をだましたということにほかなりません。
この問題は、与党の
皆さんも、そうだと言わないとおかしいんですよ。だまされたのは
皆さんも一緒なんです。その本質的な意味を理解されていないことに、今の自民党の劣化が象徴されていると私は思います。
行政が国会に改ざんしたうその文書を出したら、国会は成り立ちません。本来であれば、後で申し上げますが、国会の内外で虚偽答弁が繰り返されていて、それ自体も問題です。でも、残念ながら、過去も国会などで事実と違う答弁がなされたりということはありました。
だから、国会では、特に野党は、文書を出せということに力を注いできているんです。さすがに公文書は正しいことが書いてあるはずだ、だから、残っているはずの文書は何なのか、それを探り出し、それを公開させることによって、口先ではごまかそうとしても真実を突きとめる。そのことのために努力をしてきたし、そのことによって成果も上がってきているんです。
にもかかわらず、その国会に出す文書を改ざんする、国会をだますために改ざんするなどということを認めてしまったら、国会をだますんですから、与党の部会をだますかもしれませんよ。与党の部会にも、うそを書いた文書を出してくるかもしれませんよ。そうした状況を許すということを、本当に危機感を持っていらっしゃらない与党議員の
皆さんを、私は大変残念に思います。
こんなとんでもない改ざんが行われたにもかかわらず、残念ながら、誰も刑事責任を問われていません。検察審査会に国会議員は介入することはできませんが、検察審査会に期待をしたいというふうに申し上げるにとどめておきたいというふうに思っております。
加えて、最も重い処分が停職三カ月。後で話が出てきますが、外務省で停職九カ月の方が相前後して生じました。そっちはよっぽど重かったんですね、これよりも、三倍なんですからねということを後で申し上げたいと思いますが、国会をだますようなことをして停職三カ月。それぐらいの停職で済むということで、こういうことをやっていいんですねと認めているようなものじゃないですか。
いや、あえて言えば、主観的意図はわかりませんが、まさに、経緯からすれば、
安倍総理を守るために改ざんをしたと受け取られても仕方がないようなプロセスなのははっきりしているわけですから、総理を守るためだったら、こんなとんでもないことをしてもこんな軽い処分で済むんだ。ここでもモラルハザードを生じさせるんじゃないでしょうか。
佐川前国税庁長官は理財局長当時にこうしためちゃくちゃな改ざんを行っていた中心にいたのは、これはもう政府としても認めているわけです。その方を、野党の指摘、こんな人、していいんですかという指摘を払いのけて適材適所と国税庁長官にしたのは、
安倍総理です。
確かに財務大臣かもしれませんが、後で申し上げるとおり、今や、幹部公務員の人事は一元化をして、
総理自身、適材適所と繰り返しておられました。いまだに適材適所とおっしゃっているようなんですが、信じられません。総理のために、停職処分も恐れず、公文書を改ざんして国会をだますような人は、総理にとっては適材適所なのかもしれませんね。
公文書が信用できないということになれば、これは国会としても、役所が出してくる文書を、いつも、改ざんされているかもしれないという疑念の目を持ちながら、審議、議論しなければなりません。
そして、多くの一般の国民の
皆さんの国民生活だって、役所から来る公文書は正しいものだという前提でほとんどの国民の
皆さんは暮らしています。役所から、例えば納税の通知書が来れば、自分で一々計算し直してみて、自分の税額が合っているかどうかなんて調べる人は余りいません。役所からあなたの年金額は幾らですという通知が来れば、年金何とか便というのをつくって過去の支払いの実績がチェックできるようにはなっていますが、毎回毎回きちっとチェックする人はそういらっしゃいません。
役所は、そうはいったって、役所のつくる文書は正しいんだという信頼関係のもとに社会というのは成り立っています。この公文書改ざんを、このままで、臭い物にふたをしてしまったのでは、この社会全体の公文書に対する信頼が揺らいだ状況を放置するということにほかなりません。これも、社会そのものを壊してしまうことにつながっていくと私は強く危惧をしているところであります。
公文書に対する扱いは、財務省にとどまりません。後に防衛省・
自衛隊の日報問題についても述べさせていただく予定になっておりますが、そもそも、よらしむべし、知らしむべからずという、江戸時代以来、あるいはもっと古いかもしれません、まさに
我が国の間違った意識が残ってしまっているのではないでしょうか。
先ほど申しましたとおり、私は、
明治維新以前の、西欧近代文明が入ってくるより前からの日本の歴史と伝統の中には、再評価すべきもの、しっかりと引き継ぎ、それを現代社会に合わせて応用をして生かすべきものが多々あると思っています。
しかしながら、まさにこのよらしむべき、知らしむべからずという意識を、行政にかかわる人間、それは
政治家も含めてですが、わずかなりとも持っていてはいけないと私は思います。そうした意識を持っているのではと疑わざるを得ない、大本営発表にもつながったようなこうした意識を払拭させる責任は総理にあるにもかかわらず、
総理自身がうみのうみになっているという状況では、とても内閣を信任することはできません。
森友、加計問題についての六点目は、森友学園は、理事長は学園の経営から退かれました。加計学園の加計理事長は今も理事長のままでおられます。
全く矛盾に満ちた、まさに出任せとも言っていい説明を繰り返し、逆に、百歩譲って、もしこの加計理事長の言っていることが本当だとすれば、総理の、腹心の友という日本語、余り私は聞いたことないんですが、相当親しい御友人がトップである法人が、総理の名をかたって、かたったわけですからね、愛媛県や今治市に対しては、しかも勝手にかたって、獣医学部の設置を有利に進めようとしたことになるわけですね。
総理との御友人だったのは事務局長じゃありませんね。事務局長が言ったと、百歩譲って言ったとしても、総理と加計理事長が御友人だったことを奇貨としてやっているわけですね。
何らの責任も感じる姿勢も示さず、説明責任を全く果たしていない。もう
記者会見はやらないなんて言っているわけですよ。こんな方が、教育機関のトップをやらせていいんですか。
この認可過程に決定的な問題がありました。ありましたが、学校として現にでき上がってしまい、そこに学んでいる学生さんたちがいらっしゃいます。そうした現実を踏まえるならば、やるべきことは、加計理事長は、加計学園の少なくとも獣医学部の経営から手を引かれ、第三者に経営権を移譲すべきであると思いますし、友人であるならば、
安倍総理はそれを促す責任があると私は思います。そうでなければ、こんないいかげんな、無責任な人間が教育機関のトップをやっているという、教育におけるモラルの崩壊につながっていくと私は思います。
民間に口出すなとかとやじっている人がいますから、私の話をちゃんと聞いてくださいね。総理、友人として促すべきだと私は申し上げました。それが日本の社会の秩序、モラルを維持すべき責任を持っている日本の政治のリーダーとしての、御友人に対する真摯な姿勢ではないでしょうか、
皆さん。
まあ、総理のおっしゃる友人というのは、同じような高い志を持って、違う道だけれども頑張っていこうねというのを私は友人というものの定義だと思っていますが、一緒に楽しくゴルフをやるというのがお友達なのかなと思いますので、しようがないのかもしれませんね。
モリカケ問題の七番目の問題点、これは、検察捜査への介入の疑惑まで生じているということです。
大阪航空局作成とされる文書、これもこの国会の中で指摘がされました。官邸も早くということで、法務省に何度も巻きを入れているが、刑事処分が五月二十五日夜という話はなくなりそうでと、調査することすら否定しています。
検察庁法十四条は、法務大臣は、個々の事件の取調べ又は処分については、検事総長のみを指揮することができると明記をしています。法務大臣ですら検事総長のみを指揮することができるんですから、法務省の役人や、ましてや法務省以外の行政機関の役人が検察に関して関与することがあってはならないのは、この検察庁法十四条が前提としていることです。
指揮権発動以外の手続で、官邸を含めた行政機関が法務省を通じて個別事件の捜査に関連して巻きを入れていれば、明らかに検察庁法に違反した、捜査への不当介入であります。
当該文書は、行政の当事者でなければ到底つくれない内容になっており、怪文書では到底ありません。そもそも、昨年のモリカケ問題発覚以来、怪文書と最初称していた文書が実は本物だったことの繰り返しではないですか。財務省、会計検査院、これだけでも問題です。検察捜査にまで官邸が影響力を行使して行政をゆがめているとの疑念をこのまま放置したのでは、この国は何物も信用できない国になってしまう。法治国家とは到底言えない状況になってしまいます。
私は、現時点で、この文書が本物だったと言うつもりはありません。しかし、政府みずから積極的に調査をして、真実を明らかにする必要があります。巻きを入れた事実があったのかなかったのか、しっかりと調査をすべきでありますが、その調査すら放棄をして開き直っている姿勢は、到底許しがたいものがあります。
以上申し上げてきたとおり、一連の森友学園問題、加計学園問題は、いわゆるスキャンダルではありません。行政の公平性、廉潔性を損ね、放置をすればモラルハザードを招く社会と国家の危機であります。
今なお多くの国民が総理や政府などの説明に納得できないという状況であります。このこと自体が危機であります。丁寧な説明、うみを出し切ると繰り返しましたが、実態は逃げ回る一方であります。
確かに、我々に対しては、いつまでモリカケばかりやっているのだという声があります。そもそも、ばかりでないというのは客観的な事実として申し上げておきたいと思いますが、同時に、モリカケ問題の追及は、真相解明まで、どんな声があっても諦めずにやり続けます。
総理は、いずれ時間がたてば多くの国民が忘れてくれると思っているかもしれません。そもそも昨年秋の総選挙がモリカケ隠しの意図があったのではないかという声もありますが、何度解散されようと、どれぐらい時間がたとうと、真相解明がなされない限り、このことを追及していくのは、行政の中立性、国会答弁や公文書に関する信頼性を守るための野党としての責務であると考えています。
総理を始めとして政府・与党が真相解明のために積極的に対応すれば、そもそもこんな大きな問題になっていなかったかもしれません。安倍昭恵夫人、谷査恵子氏、加計理事長、愛媛県知事、再度の佐川氏など、後ろめたいことがないならば、与党から積極的に国会での招致などを求めるのが当たり前じゃないですか。行政の内部文書と思われるような文書が明らかになったら、積極的に調査し、報告すべきではないですか。後ろめたいと思っているからやらないんでしょう。
そもそも、公文書も、総理を始めとする行政による国会での説明も信用ができない、中立性、公平性に信用ができないという状況では、内政、外交とも、まともに進むはずはないじゃないですか。国会などでさまざまな答弁を引き出し、政府の認識を明らかにしても、後になって、発言が、文書の内容が簡単にひっくり返されたのでは、論争自体が意味がないじゃないですか。多くの国民の
皆さんが政府に対する信用、信頼を持っていない中で、強力な政策推進ができるはずがないじゃないですか。
私たちは、全貌解明に至るまで追及を続けることをここで申し上げるとともに、与党の
皆さんに対しては、国会は、明後日、通常国会は再延長はありませんので閉会をしますが、
臨時国会を開き、あるいは、
臨時国会を開かなくても閉会中審査でも、幾らでも、先ほど申し上げました関係者を、国会に来て説明をしていただくことはできますので、ぜひ、しっかりと国民の信頼を取り戻す、本気でうみを出し切る姿勢を示していただきたいと、この場をかりて強く求めておきたいと思います。
五番目のテーマについて申し上げます。
森友、加計学園についてもそうでありますが、それにとどまらず、ごまかし、いいかげんな国会答弁の数々、そもそも民主主義の履き違えが著しい、このことをもって、
安倍内閣は到底信任することはできません。
審議不十分の声を押し切った強行採決は数知れません。冒頭の
カジノについて、災害の中、強行してきていること。
高度プロフェッショナル制度の問題、後ほど述べますが、参議院
選挙制度の問題等、まさに時間が来たからどころではない、参議院の
選挙制度に至っては、ろくな審議もせずに採決をしています。
御飯論法とか信号無視話法という言葉がこの国会を通じてちまたに出回りました。聞かれたことに答えるから議論になるんです。聞かれたことに答えないではぐらかすというのは、目先の論争では一瞬勝った気になって、言った人は気分がいいかもしれませんが、見ている人はみんな見ています。結果的に、聞かれたことに答えない、全部ずらした、ごまかした答弁をしているということで、加藤
厚生労働大臣そして
安倍総理、御飯論法と世の中からあざ笑われる結果となっています。
聞かれたことに正面から答えないだけにはとどまらず、聞かれてもいないことを、だらだらだらだら、だらだらだらだら、だらだらだらだらしゃべり続ける
安倍総理の姿勢。
私は、
安倍内閣がいかに
不信任に値するかということを発言する機会をいただいてここで発言をし、
安倍内閣がいかに
不信任に値するかということを一貫して述べさせていただいています。少なくとも、国会における予算審議や
法案審議などにおける行政府の
皆さんの仕事は、自説を述べることではありません。国会で問われたことに行政府を代表してお答えになる、聞かれたことに答えるのは、予算、
法案審議における大臣の仕事、役割、責任であって、聞かれたことを、だらだら話している
安倍総理と、みそとくそを一緒にしないでいただきたい。
そもそも、この聞かれたことに答えずに聞かれてもいないことを答えている姿勢だけで
不信任に値すると思いますが、それにとどまらず、平然とうそをつき、開き直る姿勢がますます顕著になっています。
一個一個挙げようと思って調べたんですが、余りにも多過ぎて、それだけで五、六時間分になりそうなので、最近の顕著なものだけ指摘をしておきたいと思います。
小野寺
防衛大臣、いわゆる
赤坂自民亭の件で、当初は、報告を受け指示をしていたと発言をされていました。そうしたら、飲みながら指示していたのかと指摘を受けたので、慌てて撤回をしました。慌てて、会合は終わってからだと撤回をしたら、その後も指示は受けていないというような発言も防衛省から出てきたんです。要するに口から出任せを言っていたということがもう明らかになっています。
赤坂自民亭に関しては、西村官房副長官が、災害発生時に会合していたかのような誤解を与えと開き直りました。何が誤解なんですかね。災害は発生していなかったんですかね。
しかも、総理は西村副長官を注意したらしいですが、情報発信について注意されただけ。西村副長官について言えば、実は、大雨は山を越えたとのツイートをしているんですね。結果的にこのことを信じて被害に遭われた方は今のところ聞いておりませんが、自己正当化のために被害を拡大させかねない
不適切な発言だと言わざるを得ません。
情報発信について注意するならこちらですし、災害のときの
官房長官、官房副長官、まさに多くの国民の
皆さんが、こここそがまさにさまざまな国家の情報を集約されていて、実は最新の最も広範な情報を持っていると多くの国民の
皆さんが思っていらっしゃいます。私も実はみずからの経験で必ずしもそうでないことを知っているんですが、しかし、多くの国民の
皆さんがそう思っている中で、大雨は山を越えたというツイートは、これだけで私は辞職に値すると思います。
閣僚ではありませんが、私はこの話はいまだに信じられないんですが、河村予算委員長、総理との会食直後に、総理が集中審議は勘弁してほしい旨発言していたと明言をされています。これは翌日撤回をされています。
自民党は、うそつき、ほら吹きを予算委員長にしているんですか。前の日に堂々と記者の前で明言しているんですよ。これは何か勘違いをしそうな話ですか。日付を間違えたとか、総理の発言をどなたか別の議員の発言と間違えませんよね。明らかに撤回がうそであるか、もしこれを、撤回が本当だとすれば、記者の前で総理が言っていないようなことをほらを吹く、そういう方を予算委員長にしているんですか。
私は河村委員長を知らないわけではありませんので、河村委員長がほら吹きだという印象を持ったことは一度もありませんから、撤回がうそだとしか思いようがないんですが、どちらにしても河村委員長はうそつきだということになりますね。
古屋議運委員長については昨日の本会議で
同僚議員等が厳しく指摘をいたしましたが、せめて説明ぐらいしろよと、説明もできない状況なら身を引かれたらどうですかということを改めて申し上げておきたいというふうに思います。
民主主義の履き違えという意味でここで厳しく指摘をしておかなければならないのは、参議院
選挙制度のことであります。
定数をふやす、意味がわかりません。確かに、議員の数をただ減らしていくことだけが本当にいいことなのかという疑問の声が最近出てきていることを私は承知をしています。しかしながら、来年の十月に、国民の
皆さんに、自公の
皆さんは消費税を一〇に上げるということを押し切るんでしょう。その直前に国会議員の定数をふやす選挙をやるという、その発想が私には理解ができません。
百歩譲ります。一票の格差と関係のない、何で参議院の比例定数をふやすんですか。全く意味不明です。
特定拘束枠も意味不明です。一県一代表にすべきでないかという声は非常に強く思います。抜本改革が必要だと思います。抜本改革が間に合わないからといって、その地域の
人たちを比例で優遇する。百歩譲ってそこまでわかるとしたら、何で二じゃないんですか。
合区で一県一代表を出せない地域というのは、合区になっているところは二つあるわけですから、四県ですから、そのうち、四県から二人しか出せないわけですから、二つ特定枠があればその解消にはなるんじゃないですか、とりあえず当面の策として。
そもそもが、非拘束名簿の中に拘束名簿を入れるという、全くむちゃくちゃなことでありますが、先ほど来言っています、百歩譲っても、定数をふやしてまでやることは意味がわからないし、そして、その合区対策だと称するなら、二より多い数にしているのは意味がわからない。いろいろな意味がわからないことを今申し上げているので、意味がわからないからといって違うことに賛成するという意味ではないのは、子供でもわかる理屈だと思いますけれども、いかがでしょうか、
皆さん。
しかも、
選挙制度は民主主義の根幹であります。平時においても、与党だけで、十分な議論もなく、十分な議論もないとはどういうことかというと、実は、国民も知らないうちに決まるということです。国会の中で時間をかけて議論をするということがあれば、国民の
皆さんの間でも、ああ、こういうふうに変わろうとしているんだ、それはおかしいじゃないかとか、ああ、それならいいじゃないかとかという、国民の
皆さんも、まあ、実態は御関心のある方だけかもしれませんが、でも、知ろうと思えば知ることになるわけですが、全く審議の時間もとらずに、あっという間に成立をさせてしまった今回のプロセスでは、ほとんどの国民の
皆さんがどう変わるのか知らないままに、あれよあれよ。しかも、
災害対応に多くの
皆さんが大変な力を注いでおられる中で、どさくさ紛れと言わざるを得ません。
まさに、こうしたプロセスも含めて、この
選挙制度の改悪というものは到底容認することはできませんし、形式は議員立法でありますが、時々、
安倍総理は総理大臣と自民党総裁を便利に使い分けていますが、議院内閣制においては、議会の多数派と行政府が一体となる、議会の多数政党の党首と内閣総理大臣が一体となるという
仕組みの中ででき上がっているので、それは議員立法で勝手にやっただなんという言いわけは、もしなさるとすれば、議院内閣制の基本をわかっていない理屈だということを申し上げておきたいと思います。
そもそも、民主主義とは単純な多数決とイコールではありません。そこを履き違えておられるのではないかと私は強く危惧をいたしております。選挙で勝って多数があるんだから何をしてもいいわけではありません。そもそもが、現在の
衆議院の議席数は、投票した人の相対得票すら反映していません。自民党と公明党、与党の
皆さんで、さきの
衆議院選挙の得票は過半数の相対得票を得ていませんからね。その上で申し上げますが、多数決と民主主義はイコールではなく、多数決とは必ずしも正義ではありません。
既に言われている話ですが、いわゆるエレベーターのパラドックスという話があります。老朽化した分譲マンションにエレベーターをつける。みんなで一致をしてエレベーターをつくることには賛成をした。エレベーターの費用分担をどうするのか。
実は、こうしたマンションの区分所有の決定のあり方は単純過半数ではありませんが、そこを少し省略して説明をすると、例えば、二階以上の住人が結束をすれば、エレベーターの費用負担を一階の住民だけに押しつけるという決をとることが可能になる。(発言する者あり)似たようなことをしているんですよ、高橋ひなこさん。民主主義というのは、必ずしも多数決とイコールではない、多数決をもってしてもやってはいけないことがある、多数決をやる前には、やらなければならないことがある。
私は、みんなでどこに御飯を食べに行こうかという例を時々申し上げています。仲間内でどこかに御飯を食べに行こう、魚を……(発言する者あり)余り物をわかっていない方がこの議場には多いのでわかりやすく説明をさせていただいていますので、ぜひ聞いていただきたいと思います。聞いていただきたい方がうるさい状況ではしゃべりにくいんですけれども。
いいですか。仲間内で御飯を食べに行こう、すしにしようか肉にしようか。意見が分かれたら多数決で物を決める、みんながそう言っているから、じゃ、きょうはそうしようというのはわかります。しかし、例えば、その中に足が不自由で車椅子の方がいらっしゃれば、ほかの
皆さんが、あの店がうまいからここにしようとみんな思っていたとしても、車椅子の方ではなかなか入れない、バリアフリーになっていない店は除いて、その中でみんなの多数意見はどこだろうかと聞くのは当たり前じゃないですか。
つまり、多数の意見だからといって押し切っていいわけではなくて、その中で、みんながお互いに譲り合う、配慮し合うことの中で、理不尽ではない、不合理ではない、その範囲の中で多数の意見で決めていこうということでなければ物事はいけない、それが民主主義であります。
そもそもが、民主主義は多数決ではないんですよ。民主主義というのは、主権者である国民みんなで物を決めて国を動かそうというのが民主主義なんです。
民主主義で、みんなで決めたいんですが、残念ながら、一億二千万を超える国民の
皆さんがみんなで集まって相談をすることができないので、やむなく、仕方なく、それを補う手段の一つとして、選挙という多数決が使われます。そして、国会の中でみんなで意見が一致して物が決まるのが本来の民主主義の望ましい形でありますが、残念ながら全ての件で全員が一致することはありません。その場合の手段として多数決が使われることがあります。しかし、多数決だから正しいわけではありませんし、正当な手続なわけではありません。
なぜ、民主主義において多数決という手段が使われるのか。それは、多数の言っていることが正しいからではありません。熟議を繰り返した結果として、多数の意見であるならば、少数の意見の
人たちも納得するからです。多数決というのは、少数意見の
人たちも納得するための手段として多数決が使われるんです。少数意見を納得させようという意思もない多数決は、多数決の濫用です。
多数決が少数の
人たちを納得させる手段として正当性を持つためには、多数決の前提として、正しい情報が開示されなければいけません。
例えば、先ほどの俗な例に引き寄せてお話をすれば、じゃ、肉屋にしようか魚にしようかというときに、例えば、肉屋は五万円です、魚屋は五千円です、その情報を何も言わずに、どっちにすると聞いてどちらかに答えても、その結果で、私は五万円の肉だったら五千円の刺身でも魚の方がいいとかというような話になるわけで、少数意見も納得する多数決の物の決め方というのは、判断するに必要な情報、材料がきちっと公開、提示をされた中でそれぞれが判断をする。そうしたことの中で、ああ、こういう前提の中で多くの
皆さんがそうおっしゃるのならば、自分は違う意見だけれども、それはみんながおっしゃるなら仕方がない、これが真っ当な民主主義における多数決が正義である
大前提であります。
その
大前提を欠いて、つまり、国会でうそをつき、国会に改ざん文書を出し、提示を求めていた資料も出さず、そして十分な議論の時間も与えず拙速に物を決めていくプロセスを重ねているというのは、まさに民主主義の履き違えであります。
民主主義の履き違えという観点からは、先ほど足の不自由な方の車椅子の話を申し上げました。あるいは、エレベーターのパラドックスの話を申し上げました。どんなに数を持っていても、理不尽なことはやってはいけない。その理不尽なこととは何なのかをあらかじめ決めているルールを、民主主義の国における立憲民主主義として憲法というルールで定めているんです。
あらかじめ、いっときの多数決では変えてはいけないこと、いっときの多数決をもってもやってはいけない理不尽なこと、それが何なのかを決めて、こういう理不尽なことはやってはいけませんよという枠の中でしっかりと熟議をして、情報を公開して、少数意見も、それは政治ですから、建前としては、それは今さら賛成とは言えないよね、でも、ここまで議論をして、これだけ情報開示をして、理不尽でないならば、意見は違うけれども仕方がないね、これが本来の真っ当な民主主義の姿である。その手続をこの国会で全く踏んでいない上に、安倍政権は
立憲主義そのものの破壊工作を今も進めています。
ここは余り長く繰り返しませんが、集団的自衛権は憲法違反である。誰が言ったわけでもありません、歴代自民党政権が積み重ねてきた憲法の解釈を一方的に変える。憲法という、どんな数を持っていてもこういう理不尽なことをやってはいけませんよと決めているルールを、憲法改正の手続もとらずに、勝手に無視して集団的自衛権の一部行使容認を進めた。まさに
立憲主義も立憲民主主義もわきまえない姿勢である。
そうしたことの中で、こうした理不尽な、民主主義の本質をわきまえない、数さえあれば何でもいいんだという議会運営、政治運営が進んでいるということは、ある意味で必然かもしれませんが、到底許されることではないということを申し上げたいと思っています。
そもそも、多くの国民の
皆さんは誤解をされているかもしれませんが、よく与党の
皆さんなどが、野党は何でも反対と言っているのは、これは大うそつき、デマですからね。成立している法律等の約半数は全会一致であるということは、議場にいる
皆さんならば、一回生議員の
皆さんも十分御承知だと思います。
自民党から共産党の
皆さんまで、全会一致で約半数の法律がつくられています。野党第一党、現状では、私ども
立憲民主党に限れば、今国会では八割の法案に、実は政府提出法案、賛成をしています。実は、二割の反対についても、多くの場合は審議に協力をしています。
例えば、この議場で我が党から非常に品格の高い反対討論をしていただきましたが、十八歳成人については、審議については協力をいたしました。しかしながら、対応、しっかりとした手当てが不十分だということで反対をいたしましたが、審議には一定の協力をいたしましたし、あるいは、相続法の改正などについても、明確な反対の姿勢を示しましたが、審議にも協力をいたしました。
野党が徹底的に反対をしているのは、
安倍内閣になって急にふえてきていますが、従来、言えば一年間に一本、二本あるかどうか。この国会でも、決して両手で数えなきゃならないほどの数はありません。何でも反対をしているというのはデマです。
そもそもが、立法過程というものを御存じない方が、野党は何でも反対だなんというデマを流すんです。
そもそも、与党の
皆さんはよく野党に対案を出せと言いますが、与党で対案を出したことがありますか。国会に出て成立している法律のほとんどは政府提出法案です。当たり前です。なぜならば、与党の
皆さんは事前審査をして、政府が法案をつくるプロセスの中で与党の
皆さんの意見を取り入れさせています。
国会でなぜ法案の二分の一が全会一致になっているのか、法案の八割が野党第一党は賛成するような形になっているのか、冷静にお考えになってください。
与党の
皆さんは、確かに手続としての与党審査で、そこをパスしなければ国会に法案が出てこないという、そういうプロセスを我々も与党のとき踏みました。そのことがいいのかどうかという議論は中長期的な課題としてあると思いますが、そういう前提です。
同時に、法案の制定プロセスにおいては、野党も、さまざまな政策テーマについて、さまざまな意見、提案を申し上げてきています。自民党の
皆さんは、民主党政権の時代にそういうことをしなかったんですか。野党だから、国会に法案が出てくるまで
自分たちの意見を役所に言わなかったんですか。違いますよね。
どの政党であっても、国会議員は、国会審議などを通じて、党によって呼び方は違いますが、部会などを通じて、さまざまな形を通じて、
自分たちの意見、考え方、現場の声などを、法案提出前に各役所などに伝えています。提起をしています。要請をしています。
そうしたことの中で、本来の民主主義をわきまえるならば、できるだけ幅広い
人たちに賛同される、それは国会の中ではありません、国民の
皆さんの幅広い
皆さんに、いい法律ができたねと思っていただけるように、本来、政府、官僚の
皆さんも仕事をしているし、私は、与党の
政治家の
皆さんも本来はそういう思いで国会議員になられたんだと思います。
したがって、与党の
皆さんの意見は、事前審査があるから必ず取り入れるか、党内の圧力で封じ込めるか何かしないと前に進みませんが、野党の意見の中でも取り入れられるものは取り入れていただいている。だから、政府提出法案の半分は全会一致なんですよ。政府提出法案の八割は野党第一党も賛成するんですよ。
国会の、我々の役割というのは、国会に法案が出てきてからだけではない。与党の
皆さんがまさに日々されているとおり、野党も含めて、法案提出前に、いかに現場の暮らしの声を、国会審議その他を通じて政府に届け、それを反映させるかということを与野党を超えてやっているんです。
ですから、自民党が与党である政府の提出法案だからといって、自民党だけの法案だと思っていること自体は、全く前提、事実を履き違えているということであるし、そもそも民主主義とは何なのかという理解が不十分だからそういう勘違いになるんです。
ちなみに言いますと、
安倍内閣、そして今の与党の、まさに民主主義を履き違えている姿勢、それは、野党提出の議員立法などに対する姿勢にもあらわれているというふうに思っています。
申しわけありません、共同提案していただいている他の野党の分まで細かく数を調べることができませんでしたので、代表して
立憲民主党だけ数字を申し上げますが、総選挙後に対案的法案を四本提出しています。政策推進のための法案を三十三本、この合わせて三十七本については、野党の
皆さんと連携して議員立法で提出をしている法案であります。
超党派で、時々、一国会に数本、与野党を超えた超党派の議員立法がありますが、これには計算に入れていません。
文書改ざんに対応する公文書管理法等の
改正案、これについては、今回の公文書の改ざん問題が明らかになる前から、実は、公文書管理法、このままではおかしなことになるということで、
改正案を国会に提出しています。
そして、この水害等が起こる前から、先ほど冒頭に申し上げましたとおり、
被災者生活再建支援法の
改正案など、こうした大規模災害に備えて、支援の体制が不十分だということの法案も急いでいます。
こうしたものを一顧だにもせず審議に応じてこなかったのは与党の
皆さんであります。
現状では、まずは政府提出法案を優先してやりたい、与党の
皆さんの立場としてはそういう立場であるのは、認めるわけではありませんが、理解はします。そうであるならば、経済産業
委員会はどうなんでしょう。政府提出の審議案件がとっくの昔になくなっています。
我々は、いわゆる原発ゼロ法案を提出して、審議を求めています。政府提出法案がまだまだたくさん残っていて、そちらの審議をやらざるを得ないので野党提出の議員立法の審議ができないのではなくて、政府提出の案件がなくなって、空っぽ、すかすかでやることがないのに、野党の議員立法の審議にすら応じない。誰が審議拒否をしているんですか。
国民の
皆さんが、表に見える国会の審議だけで、野党が審議に応じられない場面について御批判をされるのはわかります。しかし、国会の中に籍を置いている者同士であるならば、
自分たちに都合の悪い法案は、幾ら日程がすかすかであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況を、サボっているだなんてデマを吐くようなことはやめていただきたいと思います。
ちなみに、議会のあり方について申し上げましたので、先ほどのモリカケ問題などもあわせて申し上げておきたいと思います。
国会は立法府と、中学校か小学校で教わったんだと思いますが、国会が立法府というのは間違っていませんが、国会の役割は法律をつくることだけではありません。
国会の我々の役割は、大きく三つあります。確かに、一つは法律をつくることです。二つ目は内閣総理大臣を選挙することです。もう一つは行政を管理することです、監視することです、チェックすることです。まさに議会には行政の監視という大変重要な役割があります。政府、行政がおかしなことをしていたら、それを厳しく指摘をすることにエネルギーを注ぐのは、法律をつくることと同じようにやらなければならない議会の責務であります。
しかも、残念ながらと言うべきか、これは当然のことなんですが、議院内閣制ですから、政府と与党一体ですから、与党の
皆さんが政府の問題点を厳しく指摘をするということについては、そもそも制度として予定されていません。だから、与党の
皆さんが行政監視の力を十分注げていないのは、制度的な前提として半分やむを得ないところがあります。
だからこそ、野党は、行政監視、行政のおかしなことがあったら厳しく指摘をするということに責任を持って力を注がなければならないのは、議会の役割から当然のことであり、したがって、モリカケ問題について、いつまでやっているんだと与党が野党に対してやじるのは、全く議院内閣制を理解していないことだということを申し上げておきたいと思います。
大きな六番目の
不信任の理由として、行き詰まる外交と混乱する安全保障政策について申し上げたいと思います。
安倍総理は、日ロ関係に力を注ぎ、プーチン大統領と何度も会談を重ねて友好関係を強調してこられました。下関での首脳会談もありました。
しかし、それ以降、共同経済活動で何か目立った活動はあったでしょうか。北方領土問題は前向きな進展があったでしょうか。
繰り返しますが、安倍政権が発足して五年半になります。どうも、ロシアだけは日ロ関係の進展によっていろいろいいことはあるようですが、
我が国にとって重要な北方領土問題の進展は全く見られず、行き詰まっていると指摘をせざるを得ません。
朝鮮半島をめぐる問題は更に深刻であります。
安倍総理や河野外務大臣は最大限の圧力のみを唱え続けました。北朝鮮との国交断絶を他国に求める発言まで河野外務大臣はなさいました。
ところが、南北首脳会談、米朝首脳会談が実現をしました。もちろん、北朝鮮のこれまでの経緯を考えれば、このまま平和に向かって着実に進んでいくかどうかということは、私も一概に言える問題ではないというふうに思います。再び緊張する可能性も十分に高いと思っています。
しかしながら、まさにここまでに至る経緯は、日本外交に主体的な姿勢は全く見られず、北朝鮮と、そしてトランプ大統領の動きに振り回されているとしか言えません。
加えて、
安倍総理がある意味で一丁目一番地で力を込めてこられた、私はこのことにこだわり続ける
安倍総理の姿勢、最優先の課題として頑張ろうとする姿勢そのものは高く評価をしますが、その拉致問題について何か進展があったんでしょうか。五年半たっています。
北朝鮮情勢が大きく変化をしている中、一基一千億円とも言われるイージス・アショアの配備、本当に続けていくのでありましょうか。
防衛予算は六年連続の増大で、過去最大の五兆一千九百十一億円に上っています。その中には、安全性に疑問が更に高まっているオスプレイの配備も含まれています。
米国の対外有償軍事援助、いわゆるFMS、これに基づく購入額がふえていますが、これは、圧倒的にアメリカ有利のいわゆる契約内容になっていると言われています。防衛装備の調達について、
我が国の安全保障上の必要性よりも、アメリカが売りたいものを言い値で買っているという見られ方をしても仕方がない状況にあります。
北朝鮮情勢が今大きく変動している中、完全に白紙撤回しろとまでは言いません、少なくとも、米朝の今後の進展を見ながら慎重に物事を進めていくぐらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。
安全保障だけではなく、なし崩し的な日米FTAへの流れが加速していると危惧せざるを得ません。一方で、米国の復帰の見通しなきTPP11を強引に進めています。
総理は、日米FTAについて念頭にないとおっしゃっています。当然のことだと思います。現状で二国間FTAを進めていけば、
我が国にとっては到底のむことができない、
我が国の一次産業なり、場合によっては第二次産業も含めて、
我が国が受け入れがたい条件をアメリカにのまされかねない、そういう状況だというふうなことは理解をしています。
したがって、念頭にないという考え方は支持するところでありますが、四月十八日の日米首脳会談では、日米二国間での新たな協議の創設で合意をさせられました。二国間FTAに向けた協議や米国産農産物の輸入拡大の圧力を受ける場へとなし崩し的に追い込まれつつあるという危惧は杞憂でありましょうか。
他方で、TPP協定について、
安倍総理は、米国抜きでは意味がないとおっしゃっておられました。
米国復帰の見込みのないままTPP11を推進しているのは何なんでしょうか。TPP11協定では、セーフガード基準や輸入枠などについて、米国の参加を前提に設定されたオリジナルのTPPの水準について何ら調整することなく、そのまま維持されています。
私どもは、そもそもTPPのオリジナルの水準についても交渉の敗北だと思っておりますが、そのオリジナルのTPPよりも更に深刻な影響を、米国の復帰がない中で国内農業がこうむることになる、これを放置して推進をしているという状況は、全く支離滅裂の状況にあります。
外交、安全保障について更に危惧をしなければならないのは、シビリアンコントロールの空洞化であります。
言うまでもなく、イラクや南スーダンでの、ないとされていた日報を始めとして、これまで不存在とされていた
自衛隊・防衛省の文書が相次いで発見されていますが、その経緯や原因はいまだ明らかになっていません。組織的な隠蔽を言葉では否定しているものの、客観的な経緯からすれば、組織的な隠蔽がなければこんなことできない、そんなプロセスになっていますが、そうではないことについての合理的な説明は全くなされておりません。
大臣や国会に適切な情報が提示をされなければ文民統制は成り立ちません。実は、財務省の改ざん以上に、まさに
自衛隊という組織の文民統制にかかわる問題でありますので、深刻であるとも言えます。
多くの
皆さんが、いわゆる大本営発表が、第二次
世界大戦に至るプロセスの中で、あるいは第二次
世界大戦を通じて、結果的にいかに日本の国益を損なったのかということについては、これは立場を超えて共有していただけると思うんですが、まさに大本営発表という大きな過ちをした
我が国は、こうしたことに陥らないようにしっかりとした情報の管理と公開を進めていかなければならない、そのことを通じて文民統制を機能させなければならないことは当然のことであります。
そして、大本営発表という苦い教訓を、過去にしている中であるからこそ、
自衛隊や防衛省こそこうした問題に敏感でなければならないと思っています。
加えて、現職の幹部自衛官が、現職参議院議員に向かって、おまえは国民の敵だとの暴言を吐きました。懲戒に至らない訓告処分であります。
一般の国民の
皆さんからいろいろな御批判を受けることについては、それは与野党を超えて、我々の役割、仕事として、それをしっかりと真摯に受けとめる姿勢が必要だと思いますが、現職の幹部自衛官がそのことを表明しながら、国会議員に対して国民の敵だとの暴言を吐いた、これは文民統制の観点から許されることではありません。
意見が異なっておったとしても、
自衛隊という実力組織の、まして幹部の方でありますから、国民の代表である国会議員に対して国民の敵とレッテル張りする姿勢は許されず、こんなことでは文民統制は成り立つはずがありません。
文民統制に関連して言えば、沖縄県の米軍ヘリコプター不時着に関して、当時の松本文明内閣府副大臣は、それで何人死んだというやじを飛ばし、事実上の更迭をされました。先ほどの小野寺
防衛大臣の
赤坂自民亭問題への右往左往する言いわけ、稲田前
防衛大臣が事実上の更迭に追い込まれたことなど、範をすべき政治がいいかげんな姿勢では、
自衛隊という実力組織の統治が十分になし得ないのも必然であります。
我が国では、シビリアンコントロールを文民統制と訳してしまいました。その結果として、残念ながら、シビリアンコントロールは背広組が制服組をコントロールすることだと大きな間違いをしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。違います。シビリアンコントロールは、むしろ、本当に正しい意味で日本語に近い日本語にするならば、民主的統制であります。
実力組織については、まずは内閣が、そして議院内閣制であるこの議会がしっかりとコントロールする、それこそが本来のシビリアンコントロールであります。
その本質をわきまえているならば、国会議員に向かって現職幹部自衛官が国民の敵と暴言を浴びせることはあり得ないし、そんなことがあったら厳しい懲戒処分がなされるのは当たり前であるし、そして、国会などに対して日報等を隠し、ごまかすなどということがあったら、厳しい処分がなされ、全貌解明をしなければならない。シビリアンコントロールを全く理解していない体制の中で、これ以上
自衛隊に対する指揮権を持たせるわけにはいかないというふうに考えます。
そもそも、
安倍総理は、この
自衛隊に関して、こんな国会答弁をされました。
自衛隊員たちに、君たちは、憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれというのは余りにも無責任だという国会答弁であります。
集団的自衛権の行使については議論があります。しかし、
自衛隊の存在が憲法違反でないことは、既に明確であり、定着をしています。
安倍総理は、憲法違反かもしれないと思いながら
自衛隊を指揮していらっしゃるんですか。憲法違反かもしれないと思いながら予算を計上しているんですか。私も含め、
自衛隊予算を含む予算に賛成したことのある者は、
自衛隊は合憲であるとの前提に立たなければ論理矛盾になります。
確かに、私が子供のころは、
自衛隊は憲法違反であるという意見も少なからず存在をしていたことを知っていますが、そして、ある時期までは、国会における野党第一党が
自衛隊違憲論に立っていたのも知っていますが、念のため申し上げますが、野党第一党である
立憲民主党は、
自衛隊は合憲であるという明確な立場に立っております。
安倍総理の頭の中は……(発言する者あり)