○坂本
委員 自由民主党の坂本哲志でございます。
四十五分間の
質問時間を与えていただきました。心から感謝を申し上げたいと
思います。
今、
野党の
皆さんたちの
質問を聞いていると、やはり、この
種子法に対する、
主要農作物種子法に対しての誤認、誤解、錯誤、そして、ほかの
種苗法等との混同、こういったものがかなりあるなということを感じました。一回ちょっと整理をしなければいけないし、おさらいをしなければいけないと
思います。
この
主要農作物種子法、源流は、戦時中、昭和十六年でございます。その当時は統制経済でございました。
政府が蔬菜
種苗等統制規則というのを出します。そして、
種苗の
生産というものを
規制するんです。
全国で、坂田
種苗とかタキイ
種苗とか、
全国の大手の十三社だけに
生産を許して、そこから配給をするというような
制度にいたします。その当時のタキイ
種苗の社長でございました滝井治三郎さんは、その当時、とにかくもうかってもうかってしようがなかったというふうに言われております。当然です。研究
開発費は要らない、そして
生産をする、それを、
国内、いわゆる内地だけではなくて、満州にも、あるいは朝鮮半島にも、そして台湾にも樺太にも売るわけですから、これをわずか十三社でやるわけですから、もうかってしようがなかったはずであります。
しかし、そのツケは大きくて、終戦後、本当に日本の
種子は劣化をしてしまいます。非常に効率が悪い。そこにGHQが気づくわけです。それで、まず第一にやったことは、やはり
種子の
品種改良をやりなさい、そして増産に励みなさい、そのために農産
種苗法をつくりなさいということでできたのが農産
種苗法、昭和二十二年の第一回の国会でございます。これは農産
種苗法というふうになっております。そして、それから三年、四年がたちました。
しかし、やはりGHQというのは野菜を中心にそういった見方をしていたわけですので、国会
議員の中から、やはり日本は米である、麦である、そして、みそ、しょうゆの原料である
大豆である、だから、米と麦とみそをこの農産
種苗法から抜き出して、そして新たな法律をつくらなければいけないという国会
議員の人たちが出てまいります。
そういうことで、昭和二十七年に、これは
議員立法で、ここに昭和二十七年の
提出者の名簿がありますけれども、
議員立法で、この
主要農作物種子法というのをつくるわけです。
提出者の中には、河野外務
大臣の大おじでございます河野謙三代議士、あるいは、我が熊本県出身の坂口主税代議士、これは、あの厚生労働
大臣の、公明党の坂口力さんとは違いまして、チカラが主税という字を書きます。大石内蔵助の息子の、あの大石主税と一緒でございますけれども。こういった
方々が二十四人で、やはり日本としての穀類を改善しよう、とにかく増産しようということで、この
主要農作物種子法というのをつくるんです。
ですから、
議員立法ですので、名称は
種子法になっていましたけれども、正確に言えば、稲、麦、
大豆奨励
品種増産法なんです。増産をするための
品種改良法なんです。これででき上がりました。その当時は、知的所有権とか、そういう
考えは全く、世界にも余りなかった。だから、そのまま増産に増産、励むわけですけれども、そのうち、世界が、やはりこの
種子の
開発技術というのが物すごく進歩をしてまいりました。そして、
種子の戦争、
種子の競争になるわけであります。
そういうことで、昭和四十三年、一九六八年でありますけれども、各国の知的所有権、
種子の知的所有権を守ろうではないかということで、世界の
植物の新
品種の保護に関する国際条約、いわゆるUPOV条約というものでありますけれども、この条約ができ上がります。これはやはり、知的所有権、
種子の知的所有権を守るためのもの。その条約に加盟すべく、
我が国も
主要農作物種子法というものを改正していくわけであります。
その第一回目の改正が昭和五十三年であります。その昭和五十三年で改正したわけでありますけれども、要するに、まず
種苗法を改正しようということで、農産だけではなくて、花卉類、花なんかも含めて、
植物の全て、この
種子、含まれますので、ここに
種苗法ということになります。
そして、そのときに、稲、麦、
大豆の知的所有権は、全部
種苗法にまたお返しするんです。再編入させるんです。そして、残った
主要農作物種子法というのは、これは、各県で奨励
品種を決めなさい、原種を
生産しなさい、あるいは圃場の指定をしなさい、
審査をしなさい、指導をしなさいという、八条から成る
種子法、
主要農作物種子法ということになります。
その後、更に世界の
種子の競争は続きます。ですから、その後の改正は昭和六十一年。今度は、日本もやはり官民一体の
開発をしていかなければいけないということで、昭和六十一年の改正で
民間の
種子の
開発に対する
参入を認めるんです。既にこのときは認めているんです。昭和六十一年。
そして、更にその後、世界の
種子戦争というのは激しくなり、そして、
種子を制すれば世界を制するということになりますので、UPOV条約というのが更に更に厳しいものになります。また、それにやはり日本も追いつくように、
平成十年にこの
種苗法というものを新たに改正して、
種苗法がこの
平成十年の
時点でやっと世界の知的財産を守るレベルに追いついていくわけであります。
ですから、
種苗法と、それから増産のための
主要農作物種子法というのは、全く切り分けている。ですから、本来ならば、昭和五十三年、もう知的所有権が
種子法から
種苗法に返されたときに、あるいは、昭和六十一年、
民間の
参入が許されたとき、
参入を認めたときに、また、
平成十年、世界の知的所有権の中に、条約に肩を並べたときに、そのときに
廃止をしていてもよかった、こういう法律であります。
しかし、それができなかったということは、各
都道府県が
種子法の枠組みだけを活用してブランド米づくりに走りましたので、なかなかそれができなかったというのが実情であります。
これがこの七十年間の大まかな流れであります。
それでいても、やはり米の消費量というのは、七百三十五万トンの中で、年間八万トンずつ減少している。これからどうしていったらいいかということが今求められているわけであります。
いろんなブランド米はできましたけれども、それでも消費が減っているではないか。では、あと、どういう消費を喚起するためにどういう
種子をやるか、
種子を
開発するかということになりますと、それは、おにぎりに向いた米、稲の種、
種子、あるいは弁当をつくって冷えてもおいしい、あるいはダイエットに効果的な、そういう
需要喚起のためのさまざまな対策が求められるわけであります。
そういう中で、やはり世界の流れの中で
国際競争力を高めていく、そういうことで今回の
種子法の
廃止に改めてなったわけですけれども、先ほどから言いますように、遅きに失したというところも私はあるというふうに
思います。
それで、
提出者にお
伺いをいたします。
これからは、やはり地方の裁量、地方の能力、地方の技量、こういったものを高めていかなければなりません。
旧民主党政権では、
地域主権という言葉を使って、
地域の裁量というのを非常にやはり重視されておられました。しかし、今回また
復活して、各
都道府県に、原種の
生産から、あるいは圃場の指定から、こういった網をかぶせるということは、せっかく各
都道府県が、今まで要綱であったものを
条例にする、あるいは、一方の方で
民間の活力を導入しようとする、こういう各
都道府県の裁量の
動きに対して、これにブレーキをかけることにはならないか。以前、
地域主権というふうに言われていたその
皆さんたちが宗旨がえをされたのかというふうに
思います。それが一つ。
それから、
農業競争力強化支援法の第八条第四号を削除する。これは
民間への
知見の
提供、これを削除するということですけれども、削除する一方で、附則で、第三条で、
民間の活力を導入する、
民間の活力を求めるというような、この二条と三条、非常にちぐはぐな
法案になっております。これは、
民間の
参入を防ぐのか、あるいは
民間の
参入を促すのか。このままの法律でいったら、
現場では大変な混乱が起きるというふうに
思います。
提出者にお
伺いいたしたいと
思います。