○玉城
委員 私は、今の
大臣の
答弁にあったように、きちんと全ての
調査を行い、事の経緯を明らかにして、やはり公
文書に残しておいたことは正しかったということをしっかりお示しいただかないと、役所で仕事をする職員の皆さんが、自分がやっている仕事が、本当にこれが道理が通っているのか、倫理に沿っているのか、そういうこと、個人が行っている仕事そのものに対する捉え方が全く違ってくると思うんですね。ですから、そこはしっかりしていただきたいです。
公
文書の管理を明確にし、ここに残してあることは間違いがないことだということをしっかりと示した上で、では、
国会で
答弁されたことはどういうことだったのかということを問わなければいけない。それは政治家の責任です。
ですから、政治家の責任は、当然、その御
本人が職を辞すること、あるいは
議員であることを辞することも含めて、出処進退は、政治の責任のとり方を明確にしないと、役所の責任だけにしてはいけないと思うんですね。
日大アメフト部の選手が相手の関西学院の選手にけがをさせた件で、
本人は名前も顔も出して謝罪をしています。そして、
指示があったと明確に言っています。これは、御
本人が、間違ったことをした、しかし、それは命令を受けてしまって自分がやったことではあるけれども、やった自分は責任をとらざるを得ないということで出てきたんですね。ところが、
指示をした人、その一番トップの人は、私はそんなつもりはなかったと言い、その
指示を伝えた人は、私は
指示を伝えましたと言う。おかしい話ですよね。
やった
本人は、さまざまなプレッシャーを受けて私がやりましたということを言っているにもかかわらず、その上が責任をとらない、こんなことがあってはいけないんです。何らかの、彼が本来やるべきではなかった行為をやってしまったことを悔いているのであれば、間違いなくそれは指導者である私の責任ですということを明確にしないと、その指導者を信じるのか信じないのかということの、
教育の問題にもかかわります。倫理の問題にもかかわります。
安倍総理大臣は、なかったことがあったことを証明しなさいというのは悪魔の証明だと言いました。しかし、あったことをなかったことと言うのは悪魔の所業です。
悪魔の所業が何を意味するか。あったことがなかったことにすることは、あの人は悪い人よと。
我々は、普通に大人として、自分の子供、周りの
子供たちに、あったことをなかったことにするのはうそつきだという教え方をします。だから、あったことは正直に言いなさい、思っていることを正直に伝えなさいと。この正直こそが、物事をしっかり人間として捉えていく一番の真の倫理観だと思います。
それが、今、
国会でないがしろにされている。だから私は、繰り返し、公
文書の管理と責任、それをきっちり明確にした上で、では、今行われていることはどう責任をとるのかということをしっかりするべきなんですね。
そして、
愛媛県には
文書があった、しかし、
面会記録はない。
総理は、会った
記憶はないと。
記憶で
答弁されても困るんです、片方はちゃんと残してあるわけですから。ということは、私は、省庁間の
文書管理に関する責任に
関連性を持たせるべきだと思います。
例えば土地の売買取引をしたのであれば、国交省であれ航空局であれ財務省であれ、あるいはその中間に立った大阪府なり大阪市なり、森友学園でいえばそうですね、
加計学園でいえば、
愛媛県、今治市、財務省、それぞれの省庁間できちんと、お互いにこの
文書がありますね、
確認しておきましょうねという責任も
関連性を持たせるべきだと思いますし、同一案件に
関連して、内容が同じであれば、公
文書等の共同管理の責任と必要性も私は問われるべきだと思います。
片方にはちゃんと残っている、しかし、片方に
確認がされていない、だから
確認されていないこともよしとしようとするのであれば、残してある
文書の責任性が毀損される、ないがしろになるということになるんです。
大臣、その件についてお伺いしたいと思います。