○
高木(陽)
委員 なかなか
大臣、お
立場としては、突っ込んだ
答弁しづらい
部分かと思うんですが、やはり私たち
政治家は、先ほど申し上げました、特に政権側、政府もそうですし、私たち
与党の
議員もそう、
権力を握っているわけです。だから、そこら辺のところは抑制的にやらなければいけないというのは当然のことで、これは、野党の
議員の
皆さん方も、先ほど申し上げました、野党だから何でもやっていいという話じゃなくて、これもお互い
権力、
国会議員としての
権力を持っている。私たち、
権力を
国民の皆様方から委ねていただいている者として見れば、自分に都合の悪いことほど、これは謙虚に受けとめなければいけないと思うんですよね。
そういった中で、先ほどフェークニュース、いわゆる事実に基づかない、こういうような話をしましたが、実は、私も
議員になる前は新聞記者をやっておりまして、事実と真実とは何かとずっと
考えてきました。これは
議員になってからもそうです。
それは、どういうことかというと、
報道は事実を
報道する、当然なんですけれども。でも、じゃ、事実が全ての真実をあらわしているかというと、なかなか違う。例えば目の不自由な方がこのコップを表現する場合、手でさわりながら、冷たい、これは事実ですね。指を入れた場合、ぬれている、これも事実ですね。そういう事実を積み重ねたからといって、全てこのコップの中のものを表現できるかというと、そうではない。だからこそ、多様な事実、さまざまな側面から
報道されるということが大切なんですね。
これは今、大変、私は、個人の
意見で、不幸だなと思うのは、在京六紙の
メディアが、新聞ですね、これはかなり対立をしている。よく言われる、朝日、毎日、東京新聞対大手町三社と言われる読売、産経、日経。例えば、安保法制の問題や、さまざまな政策で賛否が分かれる。これはこれで結構なんですけれども、それがだんだん極論してくると、いわゆる、そのそれぞれの
立場だけの話がずっと
報道、全てじゃないんですけれども、多くなってくる。そうなると、
国民は、もっと幅広い、もちろん、右の
意見もあるし、左の
意見もあるね、でも、真ん中はこういう感じだね、そういう中で
国民がさまざまな判断を下せるというのが、これは
民主主義にとって大変重要なことだと思うんです。
そうなりますと、この
報道という
部分、
放送も
報道を担っていただいていて、問題は、競争をして
コンテンツをやる、ところが、競争すれば
コンテンツはすばらしくなるかというと、見てもらう、特に今テレビ各局は視聴率競争である。特に民放はスポンサーの問題がありますから、視聴率が高い方が、スポンサーの、いわゆる広告料が、単価が高くなるということで頑張るわけですね。そうなると、そういう利害を超えて、
民主主義の基盤としての事実を多角的に多様に広げていく、こういうことよりも、受ける、見てもらえる、見てもらえるものが全て、そういう、
民主主義にとってプラスかどうかは別なんですね。
だから、ここは、その
放送法四条を、しっかりと自律的に、
権力がそれを盾にとってどうのこうのと言うのではなくて、まさに
自分たちが、これは
放送事業者がしっかり
考えてもらいたい、こういうことを申し上げるとともに、そのためには、先ほど申し上げた
通信の基準のないところと
放送の基準のあるところをどこで合わせるか。足して二で割るという話じゃないです、これは。
それで、
規制がなくなると、これはこれで、そういった自律的なところがなくなるわけですね。そうなりますと、これは
国民にとって、まさに
民主主義の基盤である多様な
意見というものを知るということが不可能になってくる。不可能とは言わないまでも、やりづらくなってくる。この方が僕は問題なのではないかなと。そこのところをよくよく
考えながら
議論をしなければいけないと思います。
先ほどから申し上げておりますが、
規制改革会議というのは、まさに、
産業政策、
経済の活性化、
ソサエティー何とかという言い方で、それはそれでやっていただいていいんです、それはそれでしっかり
議論する。
でも、それで、
規制改革会議の
答申が出たから、じゃ、これで法律をつくるよ、じゃ、
総務省がつくれ、こういう話じゃないんですよ。そこからまた
議論が始まるんです、本当は。そうじゃないと、これは、この日本の、戦後七十年、もっと言えば明治維新以降、近代国家になって、
民主主義という概念、これは日本だけじゃありません、フランス革命以来、さまざまな形で
民主主義とはということが問われ続けてきたこの歴史の中で、これを崩していく。
だから、先ほど、
アメリカで、フェアネスドクトリンがなくなってどうなったかというと、テレビに対する
信頼というのは三割になってしまった、
国民が信用しないテレビになってしまった。果たしてこれがいいのかどうかということ。これは、
与党も野党も関係ありません。ここはしっかりと、私たちが、その
民主主義を体現する
国会議員として、
認識をしながら、そしてこの
議論を進めていかなければいけない、そういうことを申し上げまして、
質問を終わりたいと思います。
ありがとうございました。