○杉本
委員 ありがとうございます。
コスタリカという国に行ったんですけれ
ども、その際、前も
お話ししたかもしれませんが、コスタリカという国はトンネルが全然、一つもなくて、峠を全部越えなきゃいけないということは、
委員長も一緒に体感していただいた記憶がございます。
一方で、やはり命と財産を守るということで、今言っていただいた、いわゆる建設国債のある意味で資産性としての意味というものは、やはり我々は、財政再建も必要なことはイの一番でございますけれ
ども、一方で、そういう考え方もしっかり持っていないといけないということを
委員各位に御共有いただければと思います。
さて次に、古文書の話を、もう時間もなくなってきたんですけれ
ども、少し確認させていただきたいんです。
南海トラフの
被害、これは中日新聞の記事ですけれ
ども、六月八日付、二十年で千四百十兆円、私の
地元愛知県の総生産の六割超が消失するというようなショッキングな報道がございました。それで、天災というか、あるいは天候不順というか、我々、人知の及ぶことを超えて、
地震が起きたりあるいは
大雨が降ったりということだと思っております。
そんな意味で、やはり我々は古い歴史に学ぶ必要があるということできょうは
お話ししたいんです。
古文書が語る日本
災害史。日本書紀に、六八四年の白鳳
地震、ちょっと
お話ししますと、天武天皇十三年の十一月二十九日の夜、後に白鳳
地震と呼ばれる巨大
地震があって、これは日本書紀にしっかり書かれていて、国じゅうの男女が叫び合って逃げた。山が崩れ、川があふれた。諸国の郡の官舎や百姓の倉庫、寺社が壊れたものは数知れず、人や家畜が多数死傷した。伊予、今の愛媛県の温泉が埋もれ、湯がとまった。土佐の国、高知県の田畑五十余万頃が没して海となった。こういう記載がございます。
この白鳳
地震の後、安政南海
地震は一八五四年、昭和南海
地震は一九四六年ということで、南海トラフを
震源としてこういったことが起きております。
そして、もう一つ二つ御紹介したいんですけれ
ども、鴨長明の方丈記というのは平安時代末期に記されていますけれ
ども、京都で起きた文治
地震、一一八五年の
被害、これについて無常観を鴨長明氏がつづっていて、山は崩れ、川は埋まり、海が傾いて陸を水浸しにした。塀の下敷きで亡くなった子を父母が抱えて声の限り泣き叫んでいたのが余りに哀れで、悲しい思いで見ていた。
この間の
小学校の亡くなったお子さんは、実は一一八五年にも同じような事象が起きて亡くなっていて、我々が過去の教訓に学んでいれば、ひょっとすると命を救えたかもしれないなというふうに思っています。
それと、よく言われますけれ
ども、震災のことを忘れてしまうんですけれ
ども、鴨長明は、過去の大
地震を挙げて、月日が重なった後には口に出して言う人なしということで、
災害の記憶が風化しやすいことにも言及されているということでございます。
もう一つ、チリ
地震の関係で、東北大学の
佐藤助教という方、
災害社会情報学の方がお調べになったことですけれ
ども、岩手、宮城両県の約四百地区を調べたところ、津波碑がある地区の方が
犠牲者が四分の一程度少なかったということが彼の
調査ではあるということで、
地震があったら高いところへという碑が、明治三陸津波、一八九六年、チリ
地震、先ほど
平野先生がおっしゃっていましたけれ
ども、一九六〇年、
被災した岩手、宮城の両県にはこの津波碑が多く残っているということでございます。
やはり、過去の教訓で
地元にそういった碑があったりすると命が守れるのではないかという一つの例として、この
調査というのを
皆様に御披露させていただきたいと思います。
そんな中で、
海堀統括官に、先般、最後の
質問で答弁をいただいた中で若干気になったというような点があったので、
質問をさせていただきたく存じます。
東日本大震災を検証した国の中央防災
会議は二〇一一年九月に報告書を出しておられて、仙台
平野に大きな
被害をもたらした貞観
地震、津波などを考慮した
対策をとっていなかったことを「十分反省する必要がある」と
指摘、
地震、津波の想定は「できるだけ過去にさかのぼり、古文書などの分析や津波堆積物の
調査を進めるべきだ」と提言したということが実際に記事としてあったんです。
そんな中で、統括官の御答弁が、五月二十四日にいただいたんですけれ
ども、過去の
災害から得られる教訓を将来に残すということが、これは、近い将来
災害が予想されています南海トラフ、あるいは首都直下などの巨大
地震、あるいは火山噴火、頻発する豪雨
災害などで非常に有効な重要なことだと考えております。
内閣府では、平成十五年度から二十二年度まで、
災害教訓の継承に関する専門
調査会というのを開催。それで、例えば富士山の宝永噴火、安政の南海大
地震、明治三陸津波など、過去二十四
災害について報告書を作成して、現在もホームページに公表と言われております。
このおっしゃっていただいた専門
調査会というのは震災の前の年までやられていて、東日本大震災が翌年の二十三年三月十一日に起きたわけでございますけれ
ども、こういった専門
調査会報告書というのが東日本大震災において生かされたのか、こういう危惧を私は持っております。
それで、時間もないので
大臣に御答弁をいただきたいんです。
こういった専門
調査会の報告書をホームページに掲載するとか、年に一回和歌山で、いわゆる津波防災の日、十一月五日に行っていただいているというのはわかるんですけれ
ども、もっともっと積極的に、前向きに、我々は防災の責任というのを負っているような気がしてならないんですけれ
ども、過去の教訓を、防災、減災、そして啓発活動にもっと生かすべきではないかというふうに私は考えるんですけれ
ども、
大臣の御所見を伺えればありがたく存じます。