○麻生国務
大臣 少なくとも、私どもはマクロ経済の全体の話でやはりこれは
青山先生、入ってきますので、政権交代して大体五年近くの年限がたつ、この十二月の二十六日で丸五年になるんだと思いますけれども、少なくとも、それまでのデフレーション、正確には資産のデフレーションによる不況というのが今回のいわゆる経営が厳しくなった最初だと思います。
それがいつからかといえば、いろいろな人がいろいろなことを後づけで、学者やら何やらが偉そうなことを後で言うんでしょうけれども、多分、一九八九年の十二月の二十九日、株価の終わり値は三万八千九百十五円だったんですが、それ以来、三万八千円をつけたことは一回もありませんので。そういった
意味では、それから株はずっと下がりっぱなし、一時期七千円まで下がったのが、今戻って、二万二千円とかいうところに来ているということなんだと思いますが。
やはり、それからスタートして、
土地がもうちょっと続いて上がっていましたので、
土地が下がり始めたのは九二年から下がったんだと思いますが、
土地も、大体坪百万が坪十五万円、茨城あたりでも六分の一から七分の一ぐらい下がったはずですよ、ゴルフ場の会員権なんてほとんど紙くずみたいになったろう。
〔
委員長退席、三ッ矢
委員長代理着席〕
だから、そういったような話になるほど、デフレーションというのの、やはり昭和二十年、さきの敗戦この方、初めてデフレーションによる不況というのを
日本は経験したんだ。残念ながら、数々の不況をやりましたけれども、デフレによる不況というのはやった経験が
日本はありませんでしたから、どうやってそれに
対応していいか、デフレがありませんでしたから、
対応した人も全くいないという
状況で、何となく今までの不景気とはちょっと違うんじゃないかなということになったんですけれども。
対応を間違えたのは、もうなくなられたからいいのかもしれない、ダイエーとかいろいろな
会社は、今までの不況と同じつもりでやったから、資金繰りが追いつかなくなって、うまくいかなかった。すなわち、貸した
金融機関からいえば、株という動産も
土地という不動産も担保価値が下がっていますから、その分だけ増し担保、追い担保と言われた、それに
対応できなかったところは軒並みぐあいが悪くなった。全く無借金だったトヨタは、その間世界一になりましたので。借金の多かった日産は、御存じのとおりです。
そういったような形で、世の中というのが猛烈な勢いで変わっていったのにどうやって
対応するかというのは、残念ながら、
日本銀行も間違えた。
財務省も間違えたんだと思いますね。そういった形が続いたから、やはり、デフレーションによる不況が極めて長引いたというのが実際のところだと思います。傍ら、金さえ持っていれば、じいっと持っておきさえすれば、物価が下がっていくんですから、金の値打ちは上がるという
状況が長いこと続いていたというのが
日本の置かれている
状況だったんだと思います。
したがって、やはり、アベノミクスということになりましたけれども、少なくとも日銀の
金融政策は変えてもらう、それから、
財務省のやっている
財政政策も変えてもらうというのからがこの五年間のスタートだったんだと思いますが。やっとGDPが、マイナスがプラスになってきて、五百兆を超えてきたようなところまで戻りましたし、企業収益なんかを見ましても、史上空前となっていますし。
一番わかりやすいのは就職でしょうけれども、就職も、百人の学生が出て、八十社、八十二社ぐらいからしか応募がなかった、いわゆる有効求人倍率が〇・八二という数字ですけれども、それが今、一・五二になった、五三になった、百五十社、百五十三社から来るようになったというのは、間違いなく、どこのところでも人手不足になってきているというのが言えることなんだと思いますので、賃金のアップにもつながりますし、いろいろな
意味で影響が出てきているので、地方にと言われますけれども、地方でも、高知県で、高知
新聞に求人広告が出たというのは、高知
新聞が発刊して初めてだそうです。
だから、そういった
意味では、結構いろいろなところに影響が出てきているんだと思いますし、いわゆるDI、ディフュージョンインデックスのことですけれども、景気の数字を見ましても上がってきているんだと思っているんですが、いま一つ出てこないというのは、やはり
青山先生の世代とかもう少し若い人の世代というのと、いわゆる五十代、六十代というのと、多分、五十代、六十代の人に会えば、まだ景気は悪いと絶対言いますよ。これは、自民党に関係ない、
野党関係ない、その世代はみんな言うの。
それは、みんな、あのバブルのときの記憶が頭に残っているんですよ。あのころは株は三万八千円だったんだぜという、今の若い人たちは七千円でスタートしているから、二万二千円に上がって景気がいいじゃないかと言うんですよ、若い人は。当たり前でしょうが、経験がないんだから。傍ら、三万八千円を知っているこういうすれたおじさんたちは、やはりあのイメージがあるんです。俺でもあるもの、それは。
だから、あのころのことを思うとまだまだという
気持ちはありますけれども、現実問題、今の若い人はそういうのも知らないから、今、就職率がよくなったとか、いわゆる氷河期じゃなくなったとかいうのでよくなったと言うのが実態で、どんどんその人たちが東京に来たり、集中が起きているんだと思いますが。
まだまだ、そういった
意味では、これからもう少し地方に出ていかないと、もう人は採れませんから、大きな
会社は、今、地方で工場を建てようとして、九州なんかもいろいろ工場の進出が始まっていますけれども、これはみんな人がいるからですよ。人がいるところに企業が出てこないと。企業を呼び寄せるというのは、もう無理。そういった形になってきたのは、企業は結構その点は現実的に
対応しつつあるんじゃないかなという感じが私の正直な実感です。
〔三ッ矢
委員長代理退席、
委員長着席〕