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公述人(井手
英策君) 慶應大学の井手でございます。本日は貴重な機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
今日の私からの
意見陳述でございますが、
平成二十九年度
予算の前提にある考え方について私なりの考えをお示しさせていただこうと思っております。お手元に資料があるかと思いますので、めくりながら御覧いただきたいと思います。
まずは三ページ目を御覧ください。ここからしばらく、私たちの
日本社会がどうして今のように閉塞感を感じるのかということについての御説明を申し上げようと思います。
青い線を御覧ください。これは、端的に申し上げますと、社会保障、社会支出の中で高齢者の方に向かっている
部分を指しております。一方で、赤い方を御覧ください。これは現役世代に向かっている給付の割合を示しております。一目でお分かりいただけますように、
日本は先進国の中でも極めて現役世代に対する社会保障、社会支出の給付割合が低い国であるということが分かるかと思います。したがいまして、若い現役世代にとっては、自らが就労し、自らが貯金をする、そうすることによって、子供を塾に行かせる、学校に行かせる、あるいは老後の備え、家を買う、病気になったときの備え、全ての備えを自己責任において行う社会をつくっているということが御理解いただけるのではないかと思います。
おめくりください。私たちの社会は、所得を増やし、そして同時に、貯蓄をすることによって未来の安心を手にする、そういう社会をつくったわけでありますが、この二十年間の間で世帯の収入が二割近く低下をしております。かつ、この図を御覧いただきますと一目で分かりますように、年収四百万円以下の層が明確に増えております。現在、世帯収入が三百万円以下の世帯が全体の三四%を占めているという状況でございます。所得が増えなければ安心して生きていけない社会の中で、劇的に貧しい人たちが増えているということを御覧いただけるのではないかと思います。
おめくりください。五ページ目を御覧いただきますと、一九九七年から八年にかけて、
日本経済の歴史的な転換が起きていることが分かります。九八年以前の状況では、
人々が高い貯蓄率の中で将来の安心を手にしていたわけであります。そして、その貯蓄がマクロで見ますと企業への貸付けに向かっていたことが分かる図となっております。それに対しまして、九八年以降、大きく経済の構造が変わってまいります。
一つには、家計の貯蓄が劇的に下がっていく、これは国民経済計算レベルで見ますとほぼマイナスの状況になっているという状況であります。他方で、貯蓄を増やしているのが企業でございます。この企業の貯蓄がマクロで
政府への貸付けに向かっているという状況に変わったというのがこの九八年前後の出来事であります。言わば、貯蓄をしなければ安心できない社会をつくっている一方で、
人々は貯蓄ができないような状況に追い込まれているということを示すものであります。
おめくりください。今、九七年から八年にかけて大きな
変化があったことを申し上げましたけれども、まさに同じ年に社会的にも大きな
変化が起きております。それは何か。自殺率、これは実際に自殺者の数もそうなんですけれども、九七年から八年にかけて劇的に増えているということです。とりわけ四十代、五十代の男性労働者の自殺率が上がっていることが分かると思います。
今日冒頭申し上げましたように、貯金をしなければ人間らしく生きていけない社会を私たちはつくったと申し上げましたけれども、にもかかわらず、貯蓄が難しくなる中で、働く男性は生きることではなく死ぬことを選んでいる。そういう社会、そういう財政を私たちはつくってしまっているというのがまず皆さんに申し上げたい事実の
一つ目であります。
おめくりをください。今日申し上げているような自己責任の社会が、私は今の
日本の
人々の生きづらさの原因ではないかというふうに思っております。
私が国会での
議論を拝聴します限り、
一つには、経済を更に何とか成長させて、
人々がまた貯金をし、将来の安心を勝ち取れるような状況をつくっていこうという、そういう
議論があるように感じております。しかしながら、現実には、私の考える限り、
日本経済は更なる成長を遂げていく力をかなり失っているのではないかと思います。そのような状況の中で、成長を前提にし、所得を増やし、貯蓄を増やす、そういうモデル
自身が実は事実上破綻しているというのが今の私たちの社会ではないのかと考えるわけです。
したがいまして、ここでまた新しい
方向性を
お話ししたいと思うわけでございます。八ページを御覧ください。今日、皆さんに御提案申し上げたい、私が
お話をしたいのは、経済を成長させ、収入を増やし、そして個人の貯蓄を増やしていくのではなく、むしろ経費を軽くする、収入を増やすのではなくて経費を軽くする、そして、
人々が感じている将来不安、これをならしていくという戦略について皆さんに
お話をしようと思います。
今、Aさん、Bさんという二人の人がここに書かれておりますけれども、当初の所得が二百万円と二千万円というふうにいたしております。これは幾らでも構いません。ここに二〇%の課税を行いまして、課税後の所得が百六十万円と一千六百万円になったというふうに考えております。この課税の割合も、いかような割合でも構いません。
現時点で格差は十倍ございます。しかしながら、ここで発想を転換し、AさんやBさんの所得とは無
関係に全ての
人々に対して均一な給付を行う、とりわけお金ではなくサービスの給付を行うということをやってみます。そうしますと、現時点では四百四十万円の税収がございますが、このうちの四十万円を借金の返済に回し、例えば四百万円を二百万円のサービス、二百万円のサービスというふうに分配したとします。そうしますと、最終的な格差は五倍になっているということが見て取れるのではないかと思います。
ここで皆さんに申し上げたいことはたった一点。貧しい人に御負担を
お願いし、かつ豊かな人に給付をするとしてもなお、あらゆる
人々が痛みを分かち合い、あらゆる
人々が喜びを分かち合っていけば、最終的には格差を小さくできるという
可能性についてお示しをしているわけであります。したがいまして、中間層、富裕層も含めてあらゆる
人々を受益者にし、そうすることで、自分がけがをしても病気になっても失業しても、誰もが安心して生きていくような社会をつくっていけるのではないのかということ、これが今日申し上げたい二点目のポイントとなります。
おめくりください。私は、これを不安平準化社会というふうに呼んでおります。私たちが不安なのはどうしてでしょうか。例えば子供が幼稚園、保育園に行く、例えば子供が大学に行く、例えば家を買う、例えば年を取って介護が必要になる。実は、ある人生のポイントポイントで極めて大きな支出が生じてしまうこと、これが私たちの不安の根源ではないかと私は考えております。
したがいまして、そのポイントポイントで必要になるお金を国民みんなが分かち合うような仕組みは考えられないのか、反対に言えば、自分が必要ない、その不安から解き放たれているときには同じ国民、他者のために負担をするような、そういう財政の仕組みというのは考えられないのかということを考えております。
ここで、X軸、横軸を御覧ください。不安を平準化するために現物給付、つまり医療や介護、子育てなどのサービスを少しずつ多くの
人々に、所得制限を外して少しずつ多くの
人々に提供していきます。そうするとどうなるか。右上がりの
関係が出てまいります。所得格差の縮小効果であります。これは単純に申し上げますと、年収一億円の人に百万円分のサービスを出しても一%の効果しかありませんが、年収百万円の人にもし百万円分のサービスを出せば一〇〇%の効果があるということを
意味しております。全員にサービスを提供してもなお格差は小さくできる、そういうことを示したグラフでございます。
おめくりください。あらゆる
人々の生活を支える、そうすることができていけば、今申し上げましたように格差が小さくなります。では、格差が小さくなるとどうなるか、ジニ係数が小さくなるとどうなるか、このグラフ、この図を御覧いただきますと分かりますように、経済の成長率が高まってまいります。したがいまして、あらゆる
人々を受益者にするという戦略は、結果的に格差を小さくするのと同時に、結果的に経済の成長率を高めていく
可能性を秘めているということを示しております。
もう一枚おめくりください。ここで示しておりますのは、恐らく今私の話を聞いてくださっている皆さんが一番
懸念される点ではないかと思います。全員に配るということは非常に大きな資金、お金が掛かってしまうのではないのかというような疑問であります。一部の
人々を受益者にすると左側になります。一方で、右側は全ての
人々を受益者にした場合でございます。明確な右上がりの
関係が出てまいります。これは一体何かといいますと、税収の
動きであります。
要するにこういうことです。一部の
人々を受益者にしてしまえば、その結果、中間層や富裕層が税に対する反発を強めていく、その結果、取れるはずの税が取れずに分配することができなくなっていく。それに対して、あらゆる
人々を受益者にすることによって中間層や富裕層の税への反発が弱まる、その結果として税収が上がってくる。この一部を
人々の暮らしに、そしてこの一部を財政再建のために使っていけば、
人々の租税抵抗を緩和することによってむしろ格差を小さくし、かつ経済を成長させ、同時に財政を再建していくための財源も生まれてくる
可能性があるということでございます。
おめくりください。今日データを使って皆さんにお示ししたことを私なり整理してお伝えしようと思います。今日皆さんに申し上げたかったことは、誰かの利益ではなくて私たちの利益という領域をもっともっと増やしていきませんかということであります。
私の見る限り、この観点からしますと、二〇一九年の十月は
日本の財政の中で歴史的な分岐点になるのではないのかと思います。現在の
議論の対立軸を見ますと、一方では二〇一九年十月の消費増税を先送りすべき、あるいはもうやめてしまえという
議論があろうかと思います。それに対して、三党
合意のスキームで、今のフレームの中で消費増税を行うというのがその対抗軸ではないかと思います。
しかしながら、現在の増税のフレームワークでは、中間層、富裕層の受益がほとんどございません。全体のうちの八割が借金の減少に向けられ、残りの二割がほぼ貧困対策に向かっている状況の中で、中間層や富裕層はこの増税に対して極めて強い抵抗をするのではないのかと思います。増税ができなければそれは財政健全化の先送りであり、他方、増税をすればしたで中間層、富裕層の強い租税抵抗を生み出し、
政府への不信感は最高潮に達するのではないのかと思います。
したがいまして、ここで第三の道、もう
一つの提案をしたいと思うわけであります。それは何か。二%組替え戦略であります。
現状の二%であれば、私の認識する限り、半分が財政再建、半分が低所得層対策、貧困対策に向かうのではないかと思います。しかしながら、この中のそれなりの割合を中間層の生活のために、私の言葉で申し上げれば、不安の平準化のために使う、そうすることで今後の増税に対する
人々の抵抗感を和らげていくという戦略があり得るのではないのかと思います。
私が申し上げたいのは、個人で貯金をしてきた社会、成長が止まれば
人々が不安になる社会を終わらせる、そのためにどうするのか。あらゆる
人々が痛みを分かち合い、社会に対して貯金を行う、そして、そのことが将来の不安の平準化につながる、成長にただただ依存せずとも生きていける社会をつくっていくことができる、こういうことであります。そして同時に、あらゆる政党が目標にしてきた格差是正、経済成長、財政再建、この全てが目的から結果に変わるということでございます。
誰かの利益を私たちの利益につくり変えていくことができれば、もっと大変な人がいるんだからあなたも我慢しなさいという社会ではなく、一人一人が家族のように支え合い、人間らしい暮らしが全ての人に行き渡るような社会に変わると思います。成長を前提にし、自己責任を前提にするような社会観、人間観を今こそつくり変えていくべきではないか、そういう決意が問われているように感じております。
御清聴いただき、ありがとうございました。