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大島九州男君 私は、大変それはすばらしいことだと思うんですね。やはりアカデミックな
学術的なものを勉強する人、そしてまた物づくりのことを技術的に学んでいく人、そういう人たちが相まってちゃんと社会が構築されていると。
私がよく言っているお花を生ける剣山ですけれども、お花を生ける剣山があって、そこにきれいな花があるんですけど、結局、その花だけ見て、ああ、きれいだなと、世の中だけ見ているんですけど、その根本は何かというと、この社会をつくっているのは人材であります。その人材を剣山に例えるならば、全て同じ高さなんです。プロフェッショナルな
教育とアカデミックな
教育を受けた人、分かりやすく言うと大学教授と職人さんはと、こういうふうに錯覚している人が多いんだということです。
だから、全ては同じ貴い人材がこの社会をつくっている、だから大学を出た人も専門職大学を出た人も同じと。これは、同じ大学だから同じだというふうに受け取る人はいますけれども、専門
学校と大学というと、どうもこういうふうに受け取る人たちが多いと。
だから、そういう意味において、専門職大学という名前で一般の方が、あっ、大学だからアカデミックな、
学術な人も物づくりの人も一緒なんだなというふうに、こう思うようになる効果はあるんだろうなとは思っているんですが、現実的には、専門
学校で物づくりを学ぶ人たちが、専門職大学にその通っている
学校がならなくても、同じようにしっかりと社会の人たちが
認識をし、そして、特に中小企業だとか地方の企業は専門
学校を出た人たちが即戦力として働いていただくことの方が貴いんだと、まさにそういう人材はすばらしいという声がたくさんある中で、そこの
部分をもっともっと国民の皆さんに周知をしていただくためにも、この専門職大学をつくることに対してはそういう効果をもっともっと狙っていただかなければならない。ただ仕組みというか機関だけをそうやってつくって、それで終わりではなくて、これからそういう、国民の皆さんにそういった思いをみんな持って、貴い人材なんだと、だからそういう貴い人材を育てる
教育が大事なんだと、だからその
教育者、その
教育者の倫理観や
教育理念が問われる。
私学の精神はまさに建学の精神でありますから、そういった意味において、
森友学園の建学の精神は何だったのかということをもう一度あの理事長には原点に返ってもらって、そしてその
教育勅語の精神をしっかりと遵守していくならば、その矜持を持って国会へ出てきて
証言すればいいんです。そして、本当に自分が間違えていると思えばそのことはわびて、そして新たに出直せばいい。それが私たち
教育に携わる人間が、ただ責めるだけではなくて、ちゃんと過ちは過ちとして認め、そしてそれをどう改善をしていくかということをしっかりとみんなで助け合いながら、そして支え合っていくという、これが
教育の一つのあるべき姿であるというふうに思います。
そういった意味において、特に今回、この
委員会では、
委員長、
委員長も
教育に携わった経験のあられる先生ですから、是非その
関係者を呼んでいただいて
委員会でやると。もし、こういう公式の場で出てくるのが嫌だとおっしゃれば、非公式でもいいじゃないですか。特にこの
文教科学委員会でそういう人たちとちゃんと話をして、そしてマスコミ偏重のいろんなことではなくて、事実をしっかりとその
関係者である人たちが共有をして、そして新たにスタートできるような、そういう場にしていただきたいというふうに思うところであります。
二分ぐらい残っておりますけれども……(発言する者あり)代表からの御指示でございますので、そうすると、あと二分
お話をさせていただきます。素直なことが一番大事ですからね。(発言する者あり)はい。
ということで、
大臣、今私が種々述べたことに対する所感があれば、ちょっと感想を述べていただければというふうに思います。