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参考人(
菅原秀君)
発言の
機会をお与えいただき、ありがとうございます。
川口先生から
議員外交の基本的な
在り方を
お話ししていて、全く私、そういうふうな形になれば本当にいい
国際社会に我々貢献できるのじゃないかなと思いました。それから、スヴェンさんのすばらしい、
ドイツでこういうことをなさっていることによって、我々よりも本当に
ドイツの人
たちは国際的な
外交の可能性を切り開いていかれるんじゃないかなと非常に
参考になりました。
川口先生がおっしゃった中で、要するに国でやれることには限界がある、
市民社会あるいはNGO、
議員とNGOが力を合わせなければ、なかなか豊かな多元的な
外交をつくっていけないんじゃないか、そのためにはどうしたらいいかという先生の御経験からの
発言だったわけですけれども、そのためには、皆さん
国会議員になって、とにかくいろんなことをやろうと思っても、衆議院の場合には四年間、でも場合によっては解散で、本当に一年、二年で何もできなくなって、
国会議員になったのに何もできなかったわというようなこともありますし、
参議院議員六年間で長いと考えていても本当に忙しくて、その間に
川口先生が、もう十年近く恐らく
議員なさったんだと思うんですけれども、いろいろなかなか解決できなくてお悩みになって、
議員辞められてからもこれを何とか解決しなきゃなというふうにお思いだと思うんですけれども、これやるためには我々みんなの力で仕組みをつくっていくことだと思います。そのことを私、
一つの案として
参考意見を述べさせていただきたいと思います。
クリップで留められました
資料が私のあれですけれども、これ、クリップを外していただくと二つございます。二つに分けてくださいませ。後ろの方に入っている、ワークショップ、シンポジウムというのを書いてあります。これ、二〇〇二年十一月十三日、非常に古い時期ですけれども、実は二〇〇二年に、隣にいらっしゃるスヴェンさんの
フリードリヒ・エーベルトの先輩の方にも来ていただきまして、東京でこういったワークショップを開いたのです。
既にこの
時点に、こちらにいらっしゃる藤田幸久先生であるとか自民党の河野太郎先生なんかが、よくいろんな国に行かれまして、こういった仕組みをつくらなければならないということをいろんな方に話しておられたんです。それで、私がそのときに、ちょっと
国会議員じゃこういうシンポジウムつくったりする
仕事をするのは大変ですから、外部の人間に頼まなきゃならないのでおまえ事務局やってくれと言われて、私がその事務局を担当しまして、憲政記念館で二〇〇二年に行ったんです。
当時、民主化
支援財団というふうに私ども呼んでおりましたけれども、話がすごく盛り上がって、自民党の
先生方、それから民主党の、当時民主党ですね、民主党の
先生方が賛同してくれまして、それで
議員連盟ができまして、そのときに非常にいい御
意見が出たんですけど、これ全部の党に呼びかけようと、例えば
日本共産党なんかに呼びかけていない
議員連盟というのは今まで多かったけれども、それじゃいかぬと、全部の党に呼びかけてやりましょうといったら、全部の党が、当時の党が賛成してくださったんです。
で、やりましょうということで、そうしたらどんどん盛り上がりまして、最初は限られた
予算の中で逐次通訳でやって勉強会をしようと思ったんですが、それじゃなかなか話が通じないだろうと、外国の方々と
日本語で話するの大変なので、同時通訳を入れましょうという話が盛り上がりまして、その
予算を取るのにどうしたらいいかというんで、じゃ、衆議院議長と
参議院議長両方に話してみようよと。そうしたら、これは非常にすばらしいことだから、じゃ何とか両院で力を合わせて同時通訳のための
予算も取りましょうということで同時通訳のブースを入れまして、だんだん話が大きくなりまして、憲政記念館で、両院議長の御
支援の下に、それから全ての
政党が集まって、それで
各国から来てくださった、いわゆる当時民主化
支援財団というふうに呼んでいましたけれども、の方々にいろいろ
発言していただいたと。
これを何とか
日本で盛り上げていこうというふうなことがこういうふうな形で行われましたということをまず
一つ報告しておきまして、これを踏まえて次に、先に進めていかなければならないのですけれども、なかなか、先ほど申し上げましたように、
国会議員というのはいろんなことやれると思っても時間的な制約、それから選挙に対する対応、いろいろしょっちゅう
会議があります、いろんな事件が起きます。そこでどうしたらいいかという、なかなか時間が取れないわけですけれども、もう一回繰り返しますが、その
意味である一定程度の仕組みを
日本につくったらいいんじゃないだろうかということが私の提言でございます。
そこで、今度は表の方にあった
資料、
議会と
政党による平和構築のためのセカンド・トラック
外交というふうに題しましたけれども、これの方をちょっと見ていただきたいと思います。
まず、モデルとして考えていただきたいのが
アメリカのシステムでございます。
アメリカには米
国民主基金というのがございまして、ナショナル・エンダウメント・フォー・デモクラシーという団体ですけれども、実はこれが全世界のこの手の
財団をつくるのに物すごい力を貸していまして、モデルとなったのは、隣にいらっしゃいます
フリードリヒ・エーベルトあるいは
コンラート・アデナウアー財団という
ドイツの
財団をモデルにしているんですけれども、それをモデルにしたのが
アメリカのレーガン
大統領でございます。その辺の歴史をちょっと振り返ってみて、私
たちはこれを
日本に応用できるかどうか、ちょっと考えてみようと思います。
一九七八年に、ダンテ・ファッセルという民主党の下院
議員の先生が、
ドイツのモデルを
アメリカに輸入して何かできないかと、いわゆる民主化
支援機関というのをつくれないかと考えました。で、これを
議会に提案しました。そうしたら、その話を聞いた翌年
大統領になったレーガン
大統領が、イギリスに行ったときに、イギリスに何かお土産を持っていこうと考えたらしくて、我々は民主化、世界のデモクラシーを
支援するための
支援財団を
アメリカにつくろうと思うということを、ウエストミンスター・アドレスというふうに呼ばれていますけれども、ウエストミンスターというのは英国の
議会ですね、英国の
議会で
発言なさったんです。つまり、これ外国でこういうことを言うということは、もうつくらなきゃならないわけですね。それで、レーガン
大統領は御承知のように共和党、民主党と共和党と力を合わせて、超党派ですね、NED法というのを一九八三年に成立することができました。
これはどういうことかというと、民主党と
関係のあるこういった
支援財団、それから共和党と
関係のある
支援財団、それからもう
一つ、これが画期的なんですけれども、労働組合と
関係のある
支援財団、それからさらに、
アメリカ商工
会議所と
関係のある
支援財団。つまり、こういう四つの大きな機関というのは、全世界に
自分たちの仲間というかよく付き合っている友達がいるわけですよね。それぞれ、
アメリカの多様性を表現するためには、共和党、民主党、それから労働組合、商工
会議所、この四つを軸とした
支援財団をつくったらどうかなという案を出したら、これが非常に通ったんですね。しかも、今現在なされていて、物すごくうまくできております。
それの刺激を受けて、一九九二年には、イギリスでこのNEDのシステムを基にウエストミンスター民主基金というのをつくりました。ウエストミンスター・デモクラシー・ファウンデーションをつくりました。
それから、その次の次の年に、今度は
アメリカのNEDの中に、「ジャーナル・オブ・デモクラシー」という、これは英語の雑誌としては非常に格式の高い、全世界のデモクラシーのありようを考えるためのフラッグシップマガジンといいますか、それができまして、そこで、皆さんも名前ちょっとだけ聞いたことはあると思うんですけれども、ラリー・ダイアモンドとか、それからトーマス・キャロザーズという、デモクラシーの推進者として理論付ける人ですね、識者ですね、そういう名前が国際的に有名になる。フランシス・フクヤマなんという人もいますね。よく皆さん名前聞きますね。
そういった民主
研究を進めながらいろいろやってきたところ、今度はオーストラリア
政府がそういうものをつくりたい、NEDさん、ちょっとつくり方を教えてくれということで、オーストラリア
政府で、これ大学の中に、そういった
研究所及び国の資金による、少額ですけれども、
海外のNGOを
支援してデモクラシーを推進するというものをつくりました。
それから、いろいろありまして、当初の
予算は三千万ドル程度から出発したんですけれども、だんだんだんだん
予算が増えてきて、そして、御承知のように、
アメリカには
日本のJICAと似ているのでUSAIDというのがありますね。ここでも民主化
支援は以前からやっていたんですけれども、ここよりもどんどんどんどん効率的にやるようになってきたんで、それから
議員さん
たちとのシンポジウムなんかもしょっちゅうやっているんで、おい、NEDにもっと金出せ、もっと金出せ、そうすれば
自分が
関係している、いろいろな
関係していますね、皆さん
議員の人って思い入れありますね、例えば
中国が嫌いなんだけれどもチベットの人
たちを守らなきゃならないと考える
先生方もいらっしゃいますし、アフリカに力を入れる
先生方もいらっしゃる。そうすると、そのためには、NEDと仲よくしていると
自分たちの仲間に対する
支援が増えるんで、USAIDよりもNEDに対する
予算を多くしようという
先生方が増えたわけですね。
先ほど
川口先生がおっしゃったように、
政府だけじゃできないけれども、NGOと
協力することによっていろんな持ち駒を増やすことができると。それから、
自分自身の
政治活動にも非常に豊かにすることができるということが分かったということですね。
この二ページ目、次、御覧ください。
二番目に、NEDのしくみと書いてありますけれども、今現在、
予算が三千万ドルから一億五千万ドル、去年、たしか一億七千万ドルというふうにおっしゃっていたような気がしますけれども。
ドイツの全体のこういった
財団に対する
支援と大体同じぐらいの金額が、この
一つの
財団というかNED及び四つのコア機関に出ているわけですけれども、そのうち五五%は四つのコア機関、民主党の機関、共和党の機関、それから労働組合、労働組合ではないですよ、労働組合と付き合いのある団体を
支援する
財団という
意味ですよね。四五%はNEDが直接審査して全世界のNGOに
支援しています。約千二百団体ぐらいです。
どういった
支援か。その次のページ、三ページ御覧くださいませ。
これは、
アメリカのカーネギー・エンダウメント・フォー・インターナショナル・ピースという、カーネギー平和
財団という
財団のトーマス・キャロザーズが一九九〇年の後半に作った表なんですけど、これ、全世界の、恐らく
フリードリヒ・エーベルトさんもこれ使っていると思います。こういったものを見ながら、みんなでプログラムを作るときに何が必要かと。
つまり、例えばかつてのカンボジアのように完全に国が破壊されてしまったとか、それから、ひどい独裁者がいてもうめちゃくちゃにしているような国、いろんな大変な国があります。戦争でもう回復するのが大変だと、
議会も何もないわという国もあります。そういうときに何の
支援をしていったらいいか。まず、
政党をつくらなければならない。それから、
議会もつくらなければならない。それから、
民主主義というけれども、直接
民主主義じゃにっちもさっちもいかないですね。一千万人、一億人もいる国があるわけですから、直接
民主主義は不可能。どうやるかというと、代議制というのをつくらなければならない。じゃ、代議制って何だと。そのためには選挙をしなければならない。そういった教育を最初に始めたのが
フリードリヒ・エーベルトであり
コンラート・アデナウアー財団なわけですけれども、そういったことと同じことを
アメリカでもやろうとしました。
その結果、先ほどの一ページの表にありましたように、
アメリカだけじゃなくてイギリス、それからオーストラリア、それからここに台湾も書いてありますね。
それから、今度、最近ではヨーロッパ民主基金というのもできました。これはブリュッセルに本部があって、イタリア人の女性の方が代表をやっていらっしゃるんですけれども、ここではアラブ諸国の人
たちの民主化を
支援しています。例えば、女性の権利。どこの国でも女性の権利を、これは、イスラム教が女性の権利を奪っているわけじゃないですよ。権力者の人
たちが勝手な古い因習でもって女性の権利を奪っているわけですけれども、そこで女性の権利を声を大にしてしゃべっていいんだよというような教育
活動なんかやっているのもそのヨーロッパ民主基金ですけれども、そういったものがいろいろございます。
それで、
最後に、私自身が
関係したので
一つ二つ事例を申し上げたいと思うんですけれども、まず印象的なのは、御承知のように、ミャンマーですね。ミャンマーが、流血することなく数年前にアウン・サン・スー・チーと軍事政権がどうにか仲よくなっていますね。そのために全世界の民主化
支援が
お金を出しました。あなた方は軍事政権の中で孤立していないんですよと、全世界があなた方を見守っていますよということを教えたのがこの諸団体であります。
アメリカもイギリスも
ドイツも、みんな
協力しております、
お金を出し合ってですね。
海外でどういう状況になっているということを、タイでもって、タイに逃げてきているビルマ人の人
たちの、特に
ジャーナリストが新聞を作ったんです。それを何十万部という単位でもって国境を越えて運んでいくわけですね。国境を越えていくと、あそこから近いんですね、ラングーンまで車で数時間で行けますから。カレン軍の兵隊さん
たちに守ってもらったりしながら、どうにかラングーンにたどり着いて配るわけですよ。そういった形で、インター
ネット禁止されていましたから、あのときは、そういった形で伝えるというのをやっていました。
皆さん御承知のように、アウン・サン・スー・チーの「ビルマからの手紙」というのを毎日新聞に連載されましたね。皆さんびっくりしましたね、どうやってこういう手紙は着くか。これ、逆流通です。運んでいったあのグループが持ってきたんです。ただ、残念ながら二人、途中で軍隊に捕まって殺されていますけれども、そういった苦労をしながらあの手紙を届けたと。
それから同時に、このとき全世界の
財団は、あなた方、軍事政権が崩壊したら軍事政権の人
たちを殺しちゃいかぬよ、和解をしなさい、これが非常に大事ですよと、恨んで殺すようなことをしたらあなた方の国はおかしくなりますよということを徹底して、私
たちも含めて、私もビルマ問題ずっと
関係していましたので、しょっちゅうしゃべっていました。和解が大事であるといって、南アフリカの人
たちが来て、そういうシンポジウムを開いて、和解するためにはどうしたらいいのか、ルワンダの経験を学んでみな、あなた方は絶対軍事政権の人を殺したら駄目だよと、彼らは徹底して私
たちによって教育されました。で、流血騒ぎを回避することができました。
そういった努力によって今のビルマがあるんじゃないだろうかなと、今のミャンマーですね、ということが言えると思います。
そういう
意味で、いろいろな
役割を果たしているのが全世界のこういった
財団でございます。
日本にこういうものがあったら、
国会議員の
先生方、すごく楽になると思いませんか。これを利用していろんな多角的な
外交をできるわけですから、何とか頑張ってこれをつくりましょう。ひとつよろしく
お願いします。
失礼いたします。