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参考人(
大橋正明君) 今日は呼んでいただきまして、ありがとうございます。
お手元の
パワーポイントの印刷されたものにございますように、私は大学の教員をする傍ら、
日本の
国際協力の
NGO、これをどういうふうに定義するかというのはまたいろいろあるんですけど、大体五百ぐらいが比較的何年も
活動してある程度の
規模というふうに大体申し上げておりますが、そういうものの中で
最大約百十ぐらいの
NGOをネットワークしているのがこの
国際協力NGOセンター、
JANICという
団体で、一昨年の六月まで八年間ここの
代表理事を務めておりまして、今も
理事を務めておる
関係上、
日本の
NGOのことを少しお話しするというようなことが
役割としてあるんではないかと思っております。
今日は、下の方にありますように、まず全般として、
露払い役ですね、長さんと
大西さんが控えておりますので、
日本の
NGOの全体像というのをごく簡単にお話しした上で、後半について、私が考える、あるいは
JANICとしても大体考えている、
NGOというのはこういう
価値があるので、
日本の
外交にとってこういう
役割というものを果たせるんではないか、あるいは、
外交にとって、
NGOから見るとこういうふうに
お願いをしたいといったことを述べていきたいというふうに思っております。
一枚おめくりいただいて、この
NGOについてのことについては今更詳しく申し上げることはないと思います。ただ、いわゆる、この二ページ目の上の方の図ですが、公益、他益というのを上に取り、右側と左側に営利、非営利というのを取ったときに、各政党とか
宗教団体と同じように
NGO、
NPOも含まれると。
NGOの多くはいわゆる
NPO法人という格を取っているものが多いわけですけれども、この中に
NGO、
NPOというものが含まれていると。下の方に行くと共益という形になりますので、
自治会みたいなものというものが増えてきます。
NGOと
NPOはどう違うかということも
先生方に必ずしも詳しく説明することはないと思いますが、一般的な
使い分け、
日本でこういうふうに
使い分けになっていて、アメリカやイギリス、あるいは
インドに行ってこのように通じるわけではなくて、それぞれの国ではそれぞれの呼び名がありますので、
日本の場合は、ただ国際的な
課題、特に
開発、貧困、あるいは人道的な問題、
環境、
保健衛生とか医療、あるいは
人権とか、国境を越えて共通したような問題を扱う
団体を
NGOと呼ぶものが多く、地元の問題とか、国内の問題とか、裏山、自分の近くの山の
環境の問題というものを
NPOと呼ぶことが多いというだけで、どこにもきちっとした定義があるわけではございません。基本的には、
NGOというのは
国際的課題を扱っているというふうに一般的に使われているということにすぎません。
一枚めくっていただいて、三と書いてあるところですが、
日本の
NGOは、戦争前から続くというものはほとんどございませんで、基本的には戦後になり、しかも
高度成長が一応終わった七〇年から八〇年代。八〇年のときに、
御存じのとおり
インドシナ難民というのがベトナムと
カンボジアとの
関係で主に
カンボジアから出てまいりますけれども、これに対応する形で
日本の
NGOというのが本格的に始まり出したというふうに言われています。
だから、
バンコク辺りで、
カンボジアとの国境辺りで
難民キャンプで
活動するために
日本の
NGOが
幾つか生まれた。それ以前に生まれたものも
幾つかありますけれども、一番の最初の部分は八〇年の初め。そして、九〇年のところで
最大のピークを迎えたと言われておりますが、これはいろんな理由があると思いますが、
一つ大きいのは、外務省含め
政府の方から
NGOに対する
資金の
協力が本格的に始まり出したということも私
たちの数が増える大きな助けになったというふうに一般的には
理解をしています。その後ま
たちょっとずつ落ちてきておりますけれども、
社会の関心というものが多少変わってきているんだろうと思います。
四番目の
スライドですけど、
日本の
NGOが主にどこで
活動しているかというと、
日本の
政府開発援助、
ODAも多少似たような傾向があるんですけど、
日本の
NGOはどうしてもやっぱり
アジアが圧倒的に多い形になります。これはやっぱり、
資金の力も余りないということもありますけれども、
近親性とか、問題をよく
理解できるというようなこと、
団体によってはやっぱり
アジアに対する贖罪という意識を持っている
団体もあると思います。それから
アフリカということになりますが、
アフリカもいわゆる
英語圏のものが多くて、右側の方にどこが多いかということが書いてあると思います。
先生方の中には
御存じの方もいらっしゃると思いますが、例えば
インドみたいな国は非常に人口が多いので本当はもっと多くてもいいんですが、
インド政府は外国の
NGOは余り来てほしくないというふうに考えていますので、それぞれの国の
外国NGOに対する
政策によってもこの数というのは影響されてきています。もちろん、繰り返しますけど、やっぱり西
アフリカの
フランス語圏というのはなかなか行きづらかったり、南米には行きづらいという物理的な障壁もありますけれども、
相手国政府の
政策によって
日本の
NGOの
在り方が変わってきているということも御了解いただければと思います。
どんな分野で
活動しているかということを、ごく簡単ですが、やっぱり
日本の
NGOは教育、
保健医療というのが圧倒的に強いというのも次の五枚目の
スライドのところにお示ししたとおりでございますが、最近は
自然災害とか、また必ずしも自然とは限らず、長さんのところも
大西さんのところもそうですけれども、
緊急事態に対する人道的な
援助というものも多いですが、数的には圧倒的にやっぱり、小さくても、小学校の
子供たちを学校に行ってほしいというような、長く一生懸命続けていらっしゃる
団体さんが多いということです。
それを
財政規模から見たのが次の六のところで、全体から見ると、
日本の
NGOは何だかんだいって全体で多分四百億円とか五百億円ぐらいしか使えていないというか、これは
日本の
ODAから
日本の
NGOに来ているのが、大体百億円ぐらい頂戴しているんですけど、それを合わせて五百億円ぐらいかなと。
御
参考までにですが、私は
バングラデシュとか
インドのことを主にやっていて、
バングラデシュの一番大きな
NGO、BRACさん
一つ単体で年間五百億円を超えておりますので、
バングラデシュ政府の大体予算の五%ぐらいを
一つの
NGOが占めている。
日本がもし百兆円が
年間政府予算だとしたら五兆円
規模の
NGOが
バングラデシュには存在しているという形で、やっぱり
NGOのステータスといいますかイメージみたいなものがすごく国によって違ってくるということも
先生方に知っておいていただけると有り難くて、
日本の
NGOが、残念ながらまだまだ
規模としてはもっと大きくなっていい、ゼロがもう
一つ二つ大きくなっても世界的にはおかしくないんだというふうに思っておりますが、これは多分後で
先生方からお叱りを受けるかもしれませんけれども、私
たちの力も及ばず、なかなか寄附というものを集めることができないというふうに思っております。
どこに行ってしまうかというと、不快に思われる
先生もいらっしゃるかもしれませんが、やっぱり
ブランド団体に、私も前職は
赤十字に勤めていたので余り言えないんですけど、そういうNHKとか
赤十字とか
ユニセフ協会という、私からすればブランド的なものにどうしてもお金が集まりやすくて、片仮名の名前、
JANICとか、そういうところはなかなか、何それというふうに呼ばれてしまうというところがあって、ここをどうするかというのが大きなあれです。
全体のうちの多くの、特に、次のページに書いてありますけれども、
NGOの
年間収入が一億円以上の
団体というのは五十三
団体、これは三年ぐらい前の統計ですけれども、その一七%で全体の八六・六%の金額を集めていて、反対に一千万円未満の
団体というのは百三あるんですけれども、
年間収入の〇・九四%。要するに、すごく大きな
団体とすごく小さな
団体に分かれている。
しかも、左側に大きな
団体の名前を少し挙げておきましたけれども、大きいといっても一番大きなところでも七十億円でしかなくて、
バングラデシュで申し上げたように、五百億円とか、ヨーロッパなんかでも大きな
団体は三百億、四百億と集めておりますけれども、その
規模から比べるとちょっと格段の差がある。
また、
御存じかと思いますが、韓国の方が人口は
日本よりも半分より小さいと思いますが、各
団体が集めているお金は
日本のこういう
団体よりももっと多いというふうに
理解をしていて、ここら辺、
日本の
寄附文化の問題、あるいは
市民社会の問題、御
理解の問題ということ辺りを
日本の
外交の一環として幅広く捉えるならば、
先生方と
一緒に変えていくべき
課題に私どもも直面しているというふうに
理解をしております。
日本政府の
ODAの
資金との
関係というのは、これ示したところ、丸を見ていただければあれですけれども、分かりやすく言うと、下に書いてありますように、
日本の
NGOを通じた
贈与額は国全体でも一人当たりでも非常に少ないということです、先ほど申し上げたことですね。これはOECDの統計ですけれども、
日本人がやっぱり世界的には多分貧困とか低
開発に対して関心が低いというふうに見られている
可能性が十分高い、あるいは
寄附文化が希薄である。やっぱりある程度健全な
CSO、
市民社会組織、
NGOがもう少し育たないと
国際水準としていかがなものかということが見えてしまっている。
金額だけを見ますと
日本政府の
NGOへの
資金割合は
G7や
DAC並みですけれども、中身的にもう少し工夫をしていただいたり、もう少し
柔軟性を増やしていただいたりとか、量的にこれはいわゆる
援助先進国と呼ばれている北欧と比べると
日本の
NGOに対する供与は全く少ないという割合が見えてくるんですけれども、もう少し工夫をしていただく
可能性もあるのではないかというふうに思っております。
これ以外にも、
DACや
G7の国々、
日本政府も約百億円弱ぐらいを
現地の
NGOに配っておりますけれども、ここももっとうまいやり方があるのではないかというふうに思っておりまして、そういうところをもっと私
たちとも協働して、やっぱり
援助する人間というのは
援助屋ですから、こういうところとよく協働して、もちろん
JICAさんとも協働してということはあると思いますけれども、やる余地があるかなと思っております。
また一枚めくっていただきまして、七、
政府との対話ということに書いておきましたが、対話のスポットもかなりつくってきていただいております。外務省との
定期協議というのが年七回開かれておりまして、冒頭のだけが、お忙しいので、多いですから、政務三役の一人が参加していただけるようになっております。それから、これは
国際協力局とですけれども、もう
一つの局の
総合政策審議官と
一緒に国際的なGIIやIDIに関する
定期協議というのも年に数回、これは主に
保健関係です。そこからMDGとか
SDGとか
G7とかG8といったものが出てきたときにはスピンアウトした
会議。それから、
JICAとも年四回、財務省とも年四回という形です。
先生方、もう随分あれですけれども、九〇年頃に
国際協力基本法とか
NPO法を作ろうという運動が随分あったときには与野党との
話合いとかパイプがたくさんあったんですけれども、その後の
定期協議ができたことがどう影響しているかはともかくとして、政党と
NGOの
話合いは非常に少なくなったというふうに
理解をしておりまして、これは少し変えていかないと。お役人が悪いというわけではなくて一生懸命やってくださっているわけですけれども、
先生方の関与というものをもっと考えなくてはいけないんじゃないかと私ども感じております。
ここからが私が申し上げたいところに変わりますけれども、まず最初に、
ローマ数字のⅡの
国際開発あるいは
協力における
NGOの
価値と
連携というところですが、
NGOは、先ほどからちらちらと申し上げているとおり、
市民社会組織というふうに
理解をしていただいた方が、ノンガバメント、非
政府組織というよりは
市民社会組織だというふうに
理解をしていただいた方がいいかなと思っています。
参議院が衆議院に対して抑制的、補完的であるというように、あるいは
マスコミが第四の権力として権力に対して不正を発見してその
問題点を発見するように、
NGOというのは、
政府開発援助とかいわゆる
開発政策に対して、
開発の
在り方に関して、普遍的な
人道主義の
立場、あるいは
人権重視の
市民社会の
立場から独立かつ異なった
立場と
役割を負っているものだというふうに私は認識をしています。これも、
政府と
協力することは決してやぶさかではないんですけど、全く一体化してしまうとこれはちょっとおかしなことになっちゃうんじゃないかというふうに思っています。
ですから、やっぱり、特に
スラム、大きな建物を建てるときに
スラムの貧しい
人たちが立ち退かされてしまうとか、貴重な
自然資源が破壊されてしまうとか、格差が開いてしまうというようなことに対して、やっぱり
問題点を指摘し、同時に、必要な
サービスあるいは代替する
サービス、オルタナティブなものを提供していくという、どちらかというと
サービス提供だけが強調されがちなんですけれども、そういう大きな
役割があるだろうと。だから、短期的、狭量、非常に狭い範囲での国益とか
経済益とは必ずしも一致しないというふうに
理解をしております。
もう一枚めくっていただきまして、二のところで、
市民社会組織がですから追求するものというのは、
市民社会とは何かというのもまた
先生の前にあれですけど、普遍的な定義はどの辞書をめくってもなかなか出てこないわけでありますけれども、基本的によく言われているのは、自由と平等を獲得した
自立的個人である
市民によって成り立つ
社会というふうによく言われておりますが、その拡大を追求しておりますので、やっぱり
強権国家とかいわゆる
開発独裁という、余り最近は言われなくなりましたけど、そういう国々では
NGOの数というのは比較的少ないか、あったとしてもお飾り的なものの方が多いというふうに考えております。
ですので、
市民社会組織というのは、
国民国家の枠組みを超えたり偏狭なナショナリズムを超えてグローバルな
普遍的価値を共有しようという
志向性が非常に強くて、私
たちNGOのレベルでも
アジアあるいは
太平洋各国の
NGOとの
連携というのが
ネットワーク段階でも進んでおります。
開発協力の形態も、当初は
日本の
NGOが行って、頑張って
日本人がヒーロー、ヒロインになってやるというパターンが分かりやすいものですから一番多いんですけれども、国際的には、
現地の
NGOがそれをやるのを私
たちが側面から
協力させていただくという傾向が全般的には強くなってきている。これは分野によっても多少違いますけれども、全体から見れば、
現地の
NGOさん、
CSOさんが
活動されるのをどうサポートするのかということに、多くなってきていると思います。早口で申し訳ございません。
御存じのとおり、国連で採択された持続可能な
開発目標、
SDG、この中にも、ちょっと三の二を先に読むと、十七の
ターゲットの十七というやつですが、様々な
パートナーシップの経験や
資源戦略を基にした、効果的な公的、官民、
市民社会の
パートナーシップを推進、奨励するというふうに明記されておりまして、
SDGを作るプロセスでも
NGOは随分積極的に関与させていただきました。
NGOにとっては、この
SDGの十七とそれから十六、上に
一つ戻りますが、平和と正義の十番目の
ターゲットで、特に、
国内法規及び
国際協定に従って、情報への
公共アクセスを確保し、基本的自由、
基本的人権と読み替えてもいいかと思いますが、保障するということが、
NGOが
活動する幅を確保し
役割を十分に発揮するために非常に必要な
政策環境なのだ、この
政策環境を
日本のみならず
アジア太平洋でも確保していくということに、
先生方と
一緒に、あるいは
日本の
外交の
一つの
役割として果たすことがあるんだ、必要があるというふうに私どもは強く考えてきております。
また一枚めくっていただきますと、そうは言いつつも、いろんなところの
NGO、各国の話を聞いていますと、
SDGに示されたような理想は、逆に言えばないところがあるからこそ
SDGに掲げられたわけでありまして、
NGOに対して、一部の大国や
途上国の一部で、
資金の受取とか
NGOの
活動、特に
政府の批判をすることに対する非常に厳しい目というものが出てきているということです。
ですから、いわゆる非常に国家が強いところでは、官製を除いて
NGOがほぼ存在しない国というのが
幾つもある。そういう
主義主張の場合、仕方がないんですけれども、なかなか難しい。あるいは、受け入れたとしても、
外国資金や
外国NGOに対して非常に警戒的な
立場を取っている国というものもございますし、それから、
政府に
協力的でない自国の
NGOに対してもやっぱり非常に批判的になっていて、よく
NGOの人と話すると、ウイ・アー・ノット・ラブド・バイ・ザ・アワ・ガバメントといいますか、自分の国の
政府にとって気に入られていないので非常に
活動がやりにくいというような形のものが出てきてしまっていると思います。それぞれの
社会にとってもこれは必ずしもいいことではない。
一方で、
先生に申し上げるのもあれですけれども、
グローバル化で物、金、情報というのの行き来は自由になっているのにかかわらず、
NGOの人、金の往来、特にビザを取るとか大変面倒くさい形になってきています。その
活動も自由化せず、
政府の
管理下あるいは政治的な
管理下に入っているということが多いと。
日本がそうだと申し上げているわけではなくて、改善すべき事実がそこにあるだろうというふうに思っているわけです。
日本にとってみては、やっぱり幅広い
外交といいますか重厚な
外交をやっていただいて、それを私
たちもお手伝いする、あるいはその逆もまた真なりだと思いますけれども、そういうものに
日本の
外交の
在り方、特に
援助政策、
国際協力の
在り方というものを関わっていただきたいなというふうに思っています。
というのは、私
たちの目から見ると、こういう
NGOが自由闊達に動くということは、中長期的にこの
アジア地域において平和と
人権を強化し、
社会を豊かにするものに違いないというふうに思っておられるわけで、どこでも、
社会でも、
マスコミが例えば健全に強化しなければ
社会の
在り方がおかしいと思うように、
NGOが自由闊達にその国の
開発政策についてあるいは
援助政策について語れないというのは
社会の方が良くないんだというふうな共有的意識を持っていただきたいと、あるいは持っていらっしゃることをもっと強化していただきたいと思っております。
ですから、そういう
NGOを積極的に多様に私どもが支援することで、
アジア太平洋の
社会が、あるいはもちろん経済もそうですけれども、一層成長し、同様の
価値観を持つような
政策に各国の
政策を変えることができる。これは、
NGOも各国でそういうアドボカシーといいますか
政策提言をされるわけですから、そういうものを、直接、例えばある国でその
NGOが
政策提言することを支えるとなると内政干渉ですけれども、その国の
NGOの
活動を支えて、その
NGOが結果的に自国の中の
政策環境を変えていって自由な
市民社会の
活動を可能にするということは、
アジアにとって非常に似たような
価値観を持つ豊かな
関係ができると、それこそが
日本の目指すべき
外交ではないかというふうに、まあ
先生方を前にあれですけれども、強く感じております。
今、いわゆるナショナリズムというのはいろんな意味がありますけれども、いわゆる短期的な排外的なナショナリズムの中で、
日本はやっぱり普遍的な
価値観に基づいた
市民外交というものを成し遂げていかなくちゃいけない。そのためには、私は
市民社会の
グローバル化あるいは
社会の
グローバル化というものがなされなくちゃいけないんじゃないかというふうに思っております。
あと時間が一分半ぐらいですので、あと、具体的な私どもが何度か申し上げているようなことを
幾つか申し上げて、
先生方がいつかこういうことを
実現していただくときの
参考にしていただければと思います。
一つには、
政府開発援助、
ODAが多元化するということをもっと積極的にやっていただきたいと。私自身は、今回の
開発協力大綱の見直しの
委員をさせていただいて、かなり厳しい論議をさせていただいて、私は心ならずして、必ずしもその内容に満足はしていないというか、これはますます
日本は良くない方向に走ってしまうんではないかということを非常に懸念をしております。
やっぱり、しかしそうはいっても、
開発協力大綱が平和と繁栄のうち普遍的な
人道主義に基づいたということは強調しているわけですので、
ODAのうちの少なくとも半分かそれ以上は、経済的、特に短期的な利益、国益ではなくて、もっと長期的な人道的な利益に基づいた、なるほど
日本すごいよねというふうに言われるような
活動に使えるような、短期的に
日本との
関係がどうかとかということとは
関係なく、
人道主義に立った、いわゆる短期的な
外交とは離れた、なるほどすごいですよね、
日本ってそれだけお金を持ってこういうことをやられるんですねというふうな
ODAというのを、
人道主義的
ODAというのをもっと強めていただきたいなというふうに思っています。この中では
NGOが随分お手伝いできるんじゃないかと思っております。
それから、この大綱の中にやっぱり入れてあるんですけれども、外務省、
JICAにおいては、
社会開発分野の人材育成、体制整備に取り組むというふうに書かれておりますので、これがまだ実施をされていないと私は
理解しておりますので、是非、これをやることによって
NGOとの対話がずっと進みますので。今、外務省、在外公館へ行っても、相手の
社会を見ている人っていないんですよ、
NGOを見たりとか貧困問題。こういう
人たちがいると話がぐっと近寄ってきます。経済とか文化の担当者はいるんですけど、
社会の担当者って外務省の中や在外公館にいらっしゃらないものですから、ここも是非改善していただきたい。
それから六の三は、いろいろ言っているんですけれども、
NGOと外務省あるいは皆さんとの人材交流というのがもっとやられてほしいと書かれているんですけど、なかなか進まない。それから、
資金提供の
在り方をもっと幅広く柔軟にやっていただきたいということと、この六の五はなかなか
実現しないでしょうけれども、私どもは、
国際協力基本法とか
国際協力省という形で、
外交というのも全部外務省がやるわけではなくて、いろんな省庁がやるのと同じように、人道的な目的というものを遂げるための独自の、一定の独自性を持ったものをつくり上げていただくことによって
外交の多様性、重厚性というのが
実現するのではないかと思います。
ちょっと延びまして申し訳ございませんでした。また、早口だったことをおわびいたします。ありがとうございました。