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長坂分科員 自民党の
長坂康正でございます。
けさは
質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
大臣、早朝から御苦労さまでございます。日ごろから敬愛しております
山本大臣の前で、
地域の課題も含めまして、
質問させていただきますことを大変ありがたく思います。
きょうは、海抜ゼロメーター地帯における防災対策という視点で、
地元のいろいろな例を挙げながら
質問をさせていただきたいと思っております。
私の
地元は、名古屋市の西に
当たります、愛知県の尾張
地域の西南部というところでございまして、木曽川を境に西隣は岐阜県また三重県でありまして、また、南は名古屋港そして伊勢湾という
状況でございます。
昭和三十四年に伊勢湾台風がございまして、大変厳しい被害を受けた
地域でもございますけれ
ども、大変歴史がありますし、戦後、昭和、今の伊勢湾台風以降は、私の先輩に
当たります海部元総理だとか江崎真澄副総理とか、そういった尊敬する先輩たちがしっかり
地域のために頑張った。
それから、さかのぼりますと、戦国時代は、織田信長、また秀吉、そして加藤清正、
福島正則、
前田利家、蜂須賀小六とか山内一豊なんかが少年時代を過ごしたような
地域でございます。
もともと濃尾平野の真っただ中でありまして、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川が運びます土砂の堆積でだんだん海岸線が南の方へ進んできたという肥沃な濃尾平野でありますけれ
ども、なかなか川の流れが定まらなくて、私たち
地元の教科書なんかですと、鎌倉時代から、集落の周りを堤防で囲って輪中というような、そんなことで水との闘いをそんな時代から進めてきた。そして、江戸時代になりますと、だんだん今度は干拓の歴史でございまして、新田開発をどんどん進めてきた
地域であります。
今、国道一号線が私
どもの一番南の方の弥富市というところを通っております。当然、木曽川、長良川、揖斐川には橋がかかっているわけでありますけれ
ども、江戸時代の東海道五十三次、四十一番目の宿が名古屋の熱田宿といいまして、熱田神宮のあるところですが、そこからお隣の桑名宿までは、要するに川が氾濫ばかりしているものですから、海上七里の渡しといいまして、本当に海が唯一のそういった海上路ということになっていたわけであります。江戸時代末から明治にかけての、木曽川、長良川、揖斐川をしっかりと分ける、そういった堤防の
事業を待たないと、この氾濫との闘いというのはなかなか終わらなかったわけでございます。
さっき言いました、江戸時代からどんどんどんどん、一六〇〇年の後半から一七〇〇年、一八〇〇年と尾張藩だとか豪商の
努力によって干拓が続いてきたわけでありますけれ
ども、戦後には、食料増産や失業者救済という目的として、鍋田干拓という一大
事業が十年にわたって、これは
農水省の当時の
事業でありますけれ
ども、着手をされました。
十年にわたる工事が終わりまして、初めての収穫を目前とした昭和三十四年の九月に、伊勢湾台風の大変な被害に見舞われたという厳しい歴史がございます。そのときは、満潮時と重なりまして、干拓
事業のために整備をしました七キロに及ぶ海岸堤を強風と高潮が一挙に襲いまして、津波ではありませんけれ
ども、高潮の濁流で、海岸線から二十キロ上流まで一面の海になったわけであります。それが、水が引くまでに四カ月を要したという厳しい歴史がございます。
御承知のように、伊勢湾台風は五千人を超える死者・行方不明者ということで、阪神・淡路や東日本の震災以前には日本で戦後最大の自然災害ということも忘れることができません。そこから、しっかりと堤防を築き、そして、ありがたいことに、きょうもいろいろ御報告させていただきますが、
農水省のいろいろな
農業農村整備
事業、こういった防災
事業の
予算、そしてまた、国土交通省、県のいろいろなそういった対策によって
地域を守ってきたという歴史がございます。
それで、ゼロメーター地帯日本一なんです。二万五、六千ヘクタールあるんですけれ
ども、私の
地元、選挙区だけで二万ヘクタールございます。二万ヘクタールといいますと、東京の方は余りぴんとこないんですが、山手線の内側の三倍以上の広さがございます。
そういう中で、いい
農業もやっていただいておりますし、今は、一番南の飛島村、弥富市なんかは、三菱重工、川崎重工、航空宇宙
産業、ロケットだとかMRJとかボーイングの機体とか、そういったものもしっかりできている、そういうことでありまして、もともとは繊維
産業でございます。繊維
産業から自動車
産業になり、今は航空宇宙
産業まで。愛知県は物づくりでは日本一でございますから、四十三兆八千億円というのが愛知県の製造品出荷額でありますけれ
ども、その一翼を担っている
地域だということであります。
ただ、先ほど言いました、四カ月水が引かなかったというのは、そこで海抜ゼロメーター以下というのがわかったんですね。海抜というのは、私たち、子供のころ、富士山が三千七百七十六メーターというのはすぐ覚えたんです。ゼロメーターなんてことは基本的にははからない。何で水が引かないんだといって調べたら、ゼロメーター以下だったわけなんですね。それは、当時の繊維
産業だとかいろいろなことで、木曽川の伏流水がありますから、井戸でどんどん水を
活用したということじゃないかということで、今は工業用水に切りかえておりますけれ
ども、そんなような歴史があるわけであります。
そして、
農水省のおかげといいますのは、本来、
土地改良事業で、いい
農業をやろうと言っていただくための
農業用の排水機場なんかが、先輩たちの
努力によって、
地域内、私の
地元だけで百二十五カ所整備されております。
ですから、例えば、さっき言いました木曽三川の木曽川というのは、河口から五十キロ以上上流の犬山市というところぐらいまで行きませんと、自然に木曽川に流れる川、排水する川がないんです。天井川になっております。本来、木曽川は飲み水の川ですから大事にしているんですが、日光川が、雨水や生活排水が全部流れるので、そこもやはり天井川になっていますから、そういった
農業用の排水機なんかも
活用させていただいて、ふだんからポンプで強制的に排水をするという
地域で、その二万ヘクタールを守っているという現実がございます。
そういう中で、
農業でいいますと、県全体の一五%を占める有数のお米の
産地にもなっておりますし、最近でいいますと、南の方にあります鍋八農産という
農業企業体が、自動車
産業のトヨタと共同開発したICT管理ツール「豊作計画」というのを導入しまして、作業の見える化、効率化で高収益を上げまして、二十八年度の
農林水産祭において、
全国の
農業者にとっては最高の栄誉である天皇杯を受賞するというような、非常に当
地域の
農業のポテンシャルは高いと言えると思います。
いろいろな
産業、
農業もそうですし、先端
産業まである
地域だということを御理解いただき、また、そこの
地域に七十五万人が暮らしているのが現実であります。
さっき申しました、鍋田干拓を守る
農地海岸や、そして百二十五カ所を数える排水機場で
地域を守っていることも事実でありまして、我々自民党はこういった
農業農村整備
事業の必要性、重要性をずっと訴え続けてきたわけでありますけれ
ども、御承知のように、
平成二十二年に民主党
政権で、コンクリートから人へ、そういうことで
予算が半減されてしまった。そういう厳しいことで、本当に
地域は深い悲しみを持ってきたわけであります。
正直言いまして、昨年だけでも、日本は、熊本の震災から年末の糸魚川の大火まで、自然災害というのが大変厳しい国でございます。おかげさまで、自公
政権になって、しっかりそういったことも対応していただいているということは本当に心強い限りであります。
やはり防災、減災というのは大事だと思います。国土強靱化、そういったことも大事でございます。私
どもは、伊勢湾台風という大変な厳しさを乗り越えて今日までやってきた、その中には
農業農村整備
事業による防災対策が非常にありがたかったというのは、
地域みんなで
感謝をしているわけでございますけれ
ども、これをやはり着実に進めていただきたい、それが本当に
地域の総意でございます。
農業農村整備
事業における防災対策に対する重要性について、
大臣のお考え、また、防災
予算の
状況についてお尋ねをまずしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。