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前川参考人 お答え申し上げます。
昨年の九月から十月にかけて、私、
和泉補佐官のもとを数回訪れているわけでございます。その際に、
国家戦略特区における
獣医学部新設の件についての
お話がございましたし、また、
同時並行的に別の問題も御注文がございまして、明治日本の産業革命遺産の、朝鮮半島出身者の強制的に労働させられたという
経緯につきまして、情報センターをどこにつくるかという問題で、六本木の新美術館につくれないか、こういう打診がございまして、これもかなり厄介な話でございましたけれ
ども、そういう話も同時進行しておりました。
私の記録と記憶に基づきまして申し上げますと、
獣医学部の
新設の問題について、
最初に
和泉補佐官から呼び出しを受けましたのが昨年九月九日でございまして、
和泉補佐官の官邸四階の執務室を訪ねましたのが九月九日のおおむね十五時ごろでございます。
その際に、
国家戦略特区における
獣医学部の
新設について、
文部科学省の手続を早く進めよという
お話がございまして、これについて、私は、これは
今治の
加計学園のことであるというふうに承知いたしました。その際に、
和泉補佐官からは、このことは
総理が自分の口からは言えないから自分がかわって言うのである、こういう
お話がございました。私は、これは
加計学園と
総理との
関係があれば確かにそういうことなのだろうと、
総理が御自分の口からは言えないという事情はそこで納得したわけであります。
この件につきまして、私は、その日のうちに、担当課である高等
教育局専門
教育課にこういった事実
関係、事実を伝えておいたということでございまして、ただ、このことが
大臣の意思
決定に影響を与えるということは必ずしも好ましくないと私は
思いまして、私自身からは
大臣には御報告はしておりません。これをどう処理するかは担当局、担当課に任せたということでございます。
また、同じ九月でございますけれ
ども、九月二十九日の午後二時ごろ、十四時ごろ、これは私の方からアポイントをとって
和泉補佐官のところを訪ねた記憶がございます。
この日と申しますのは、九月二十六日に
文部科学省の専門
教育課の者が
内閣府に呼び出されまして、
平成三十年四月開学を大
前提にして最短のスケジュールをつくれ、これは官邸の最高レベルが言っていることであるというような、いわば申し渡しを受けてきた後の話でございますけれ
ども、私がこの話を担当課から
説明を受けましたのは二十八日のことでございまして、その際に
大臣の感触な
ども伺っておりました。
大臣は非常に慎重でございましたし、なぜ三十年四月でなければならないのか、あるいは、党の手続にかけなくていいのか、こういったことについて
大臣は大変御懸念があったということは、私、その時点で承知しておりました。
そういったことを踏まえた上で、二十九日に、九日の日に私は
和泉補佐官からいわば宿題を投げられた形でございましたので、宿題は一応は返さなければならないということで、二十九日の午後二時ごろでございますけれ
ども、
和泉補佐官のもとをお訪ねいたしまして、
獣医学部の件につきましてはなかなか難しいです、引き続き検討します、こういったようなことを申し上げた記憶がございますし、あわせまして、先ほど、
同時並行で抱えておりました、いわゆる徴用工、朝鮮半島出身者で、文化遺産の構成資産のもとで、例えば軍艦島といったところで働かされた朝鮮半島出身者についての情報センターをどこにつくるか、この問題につきましても、なかなかこれは新美術館につくるというのは難しい話でございましたので、なかなか難しいですということを申し上げた記憶がございます。
さらに、十月になりまして、十月の十七日に、これは
和泉補佐官から呼び出しを受けまして、おおむね午後の四時前後でございますけれ
ども、
和泉補佐官のやはり官邸四階の執務室をお訪ねいたしております。
その際にも、
和泉補佐官からは、
国家戦略特区における
獣医学部の件、早く進めてほしいという
お話がございましたけれ
ども、この時点においてもなお、
文部科学省としては、はっきりとした方針は立てておりませんでした。
と申しますのは、やはり、この
加計学園の
獣医学部、この時点では
加計学園と決まっていたわけではございません、表向きはですね。しかし、暗黙の共通
理解として、これは
加計学園のことであるということは、
文部科学省も
内閣府ももう十分承知していた話でございまして、
今治市からの具体的
提案、これは、とりもなおさず
加計学園の具体的
提案でございますけれ
ども、
今治市からの具体的
提案というものが九月二十一日の
今治市分科会でも示されてはいたわけでございます。
しかし、それが本当に国際水準のものであるのか、
国家戦略特区が求めているような国際競争力の強化であるとか、あるいは国際拠点の形成といったことに資するものであるのか、さらには、「日本再興戦略」改訂二〇一五で示された四条件を本当に満たしているのか、従来の
獣医師養成にはない
構想が具体化していると言えるのか、あと、ライフサイエンスなど新しい分野での具体的需要があると言えるのか、さらに、既存の
大学、
学部では
対応が困難だと言えるのか。そういった点について、
文部科学省としては到底その確信を持てない、そういう状態でございましたし、その時点では、強力なライバルである京都府、京都産業
大学が具体的な
構想を持っているということも承知しておりましたので、これはなかなか結論は出せないという
状況でございました。
そういった
状況を踏まえまして、十月十七日の時点では、やはり引き続き検討中ですという以上の答えはできなかったわけでございまして、
和泉補佐官にはそのようなことを申し上げた記憶がございます。
和泉補佐官と私との間で、昨年の九月から十月にかけましてやりとりがあったのは、以上のようなものでございます。