○
山尾志桜里君
民進党の
山尾志桜里です。
第二次
安倍政権が発足してから間もなく四年半が経過しようとしています。安倍一
強政治と呼ばれる
長期政権のおごり、緩み、たるみが、
安倍総理を初め、
自民党の二回生議員と言われる方々にまで浸透していることは、さまざまな事件を見ても明らかであります。
かつての
自民党政権では、
政官業癒着に基づく
利益誘導政治が横行し、
金権腐敗政治であるとの
国民の強い批判を招きました。今姿をあらわしたのは、
安倍総理のお友達、すなわち
アベトモ優遇政治と
安倍そんたく政治という新しい形の
利益誘導政治であります。
安倍総理の御夫人である昭恵氏が
名誉校長を務め、その名も
安倍晋三
記念小学校という
学校設立を目指す
森友学園に対し、財務省初め
政府は一体となって
特別扱いを図ってきたことが明らかになりました。とりわけ
国民の大切な資産である
国有地を九割引きという破格の値段で売却したことについて、次々と新たな事実が判明し、
政府の説明は根底から崩れてきています。
安倍総理は、私は妻がかかわっていたら
総理も議員もやめるとおっしゃいましたが、昭恵氏がこの件に深くかかわっていたのは、もはや隠し切れない事実であります。
そして、
安倍総理が腹心の友と呼ぶ方が
理事長を務める
加計学園の
獣医学部新設の件についても、
総理の御意向だとか、官邸の
最高レベルが言っていることなどと記された
文部科学省の
内部文書の存在が報道されました。報道されたこの文書によれば、
麻生財務大臣などが強く反対する中、
関係省庁がいかに
安倍総理の御意向を踏まえ、あるいは
そんたくし、
最短距離で要望を実現できるかを必死になって検討しているかがあらわれているかのような記載であります。
安倍総理は、働きかけをしていたら責任をとると明言をしましたが、疑惑はますます深まってまいりました。
権力は腐敗する、絶対
的権力は絶対に腐敗する、これは、イギリスの
歴史家、思想家、
政治家、ジョン・アクトンの有名な格言です。
森友学園や
加計学園に関する疑惑に象徴されるように、
安倍総理による政治の
私物化は、今や明白な形でその姿をあらわし始めました。私たちは、そのような政治は断じて認めるわけにはまいりません。
このことを申し上げ、改めて、私は、
民進党・
無所属クラブ、
日本共産党、自由党、社会民主党・
市民連合の四会派を代表いたしまして、ただいま議題となりました
法務大臣金田勝年君
不信任決議案について、提案の趣旨を説明いたします。(拍手)
まず、
決議案を朗読いたします。
本院は、
法務大臣金田勝年君を信任せず。
右決議する。
〔拍手〕
以上であります。
以下、
不信任の理由を申し述べます。
私は、二年前のこの議場で、
刑事訴訟法改正修正案の
賛成討論の際、次のような言葉を紹介しました。力なき正義は無力であるが、正義なき力は暴力である。
共謀罪が成立すれば、共謀が罪を構成するわけですから、
話し合いの有無そして中身を知るために、
捜査機関は
一般市民の
コミュニケーションに事前に広く監視の網をかける力を持つことになります。
一人一人の個人が自由に集まり、ほかの個人とつながり、言葉を交わし合う、この
コミュニケーションの自由は
民主主義の根幹ですから、この
共謀罪が
捜査機関ひいては国家に与える
コミュニケーションの
監視機能は、自由と
民主主義を危うくする
力そのものであります。
にもかかわらず、
審議を重ねるほどに明らかになったのは、
共謀罪が全く
テロ対策の役に立たないということであります。まさに正義なき力、自由と
民主主義に対する暴力ともいうべき
法案です。
二百七十七、従来の数え方に倣えば三百を超す既存の罪について、処罰時期ひいては捜査の開始時期を一気に
話し合いの段階まで前倒すこの
共謀罪。喫緊の課題は、これだけ重大で深刻な
共謀罪の
所管大臣が
金田勝年大臣であるということであります。
ここまでの議論において、
金田大臣は、
答弁変遷、
答弁矛盾、
答弁不能、
答弁放棄、こういったことを重ね、私たちは、これ以上
法務委員会の議事における
法務大臣の
答弁の価値が軽くなること、そして、その耐えられない軽さが今後の
大臣に要求される
答弁の質の
許容ラインを下げていくことに耐えられません。
国会、
国民に対して説得的に
説明責任を果たそうとする意思もなければ、能力も残念ながら
欠如している
大臣のもと、これ以上議論を続けることは無意味である以上に有害であることをこれから御説明いたします。
まず、第一点目は、
説明責任を果たそうとする意思の著しい
欠如です。
二月六日、
法務大臣が
メディアに向けて配付したいわゆる
金田ペーパー、この登場は余りにも衝撃的でありました。
刑事局長や
外務大臣に聞いてほしい、
予算委員会ではなく
法務委員会で聞いてほしい、成案前から前の
共謀罪とは全く違うと御自身がPRをしておきながら、質問は成案の後にしてほしい。
行政権の一員である
法務大臣が、
立法府における
審議の時期、場所、相手について、みずからの希望を
ペーパーにしたためた上、
権力監視機能を果たすべき
メディアに配付するという異様な光景に大きな疑念の声が上がりました。
説明責任を果たそうとする意思の
欠如を象徴するこの
金田ペーパーについて、
金田大臣自身、謝罪と撤回をされましたが、その後の
審議を重ねるごとに、この謝罪と撤回が全く無意味なものであったことが露呈していきます。なぜなら、その後、議論の主な舞台が
法務委員会へと移った後も、
刑事局長に聞いてほしい、こういう
答弁が絶えることはありませんでした。
その上、国務
大臣としての
説明責任を放棄したこうした
振る舞いに対し、本来、
公正中立な立場で凜として議事を差配すべき
法務委員長は、むしろ、
多数決による採決で
政府参考人たる
刑事局長を常時登録するという、
憲政史上初の
言いなり差配を実行しました。その結果、少なくとも現在の
法務委員会は、
政治家同士の議論を通じて国会を活性化させるという
先輩議員たちの努力を水泡に帰しているものと言わざるを得ません。
第二点目は、
説明責任を果たすという意思のみならず、その能力の
欠如であります。
法務省設置法第三条には、
法務省の任務として、
法秩序の維持そして
国民の
権利擁護を挙げています。そして、第二条二項で、その
法務省の長が
法務大臣であります。
しかし、この間の
金田大臣の
答弁と
振る舞いは、この
法案が
刑罰権の発動を基礎づけ、
身柄拘束を含む
国民の重大な権利を制限する、そういった
法案であるにもかかわらず、
法案の内容を理解しないままに官僚のつくった
答弁ブロックを読み上げ、無関係な
答弁で質問をはぐらかし、論理が破綻していても、
答弁を訂正しないどころか、場合によっては
論理破綻に気づくことすらできないという、余りにもお粗末な態度でありました。
これでは、
法秩序の維持、
国民の
権利擁護、法が
法務大臣に要求している役割を果たすことは到底できませんし、
金田大臣が残念ながら
法務大臣の任にたえないことは、以下のような
大臣答弁の隅々にまであらわれています。
例えば、一月三十日の
参議院予算委員会。判例はないが、
判例的考え方を申し上げているという衝撃的な
答弁が飛び出しました。二月八日の
衆議院法務委員会。
質問者から、
金田ペーパーについて、謝罪や撤回だけでは済まないのではないかという指摘を受けた
金田大臣は、あろうことか、ただいまの御意見に対しては、私はちょっと、私の頭脳というんでしょうか、ちょっと対応できなくて申しわけありませんと。聞いている私たち、本当に衝撃を受けざるを得ないような
答弁をされております。
後ほど内容の詳細を述べるつもりですが、そのほかにも、
キノコ狩りも
テロ組織の
資金源として現実的に計画することが想定されるのでありますという内容の
答弁。あるいは、ビールと弁当を持っていれば花見、地図と双眼鏡を持っていれば下見というような
びっくり答弁もありました。
また、
一般人が対象となるか否か論争の中では、
一般人は捜査の対象にならない、嫌疑の対象にならない、続いて、告発の対象にすらならないと
答弁し、
質問者から、告発の対象は告発する人の意思によって決まるのに、なぜ
大臣が対象を限定できるのですかというもっともな指摘を受け、その場で
答弁を変えるということもありました。
金田大臣の
答弁の矛盾、変遷、
論理破綻は枚挙にいとまなく、
答弁不能に陥った
大臣により、質疑はこれまで六十九回ストップしております。
こうした
金田大臣の
答弁能力の
欠如を補うべく、
安倍総理大臣や
刑事局長が
答弁を買って出る場面も大変に印象的でありましたが、残念ながら、
安倍総理や
刑事局長の
答弁もまた、深刻な問題を浮き彫りにするものでありました。
例えば、
総理は、一月二十六日、私との質疑の中で、
組織的犯罪集団に当たるためには、そもそも
結合目的が
犯罪実行を目的としていることが必要であると
答弁をされました。しかし、これは、正当な組織であっても、その性質が一変すれば
組織的犯罪集団に当たることになるとする従来の
法務省の
統一見解に真っ向から矛盾します。
総理のこの間違いを糊塗するために、政権が必死に準備してきたのが、そもそもという言葉には基本的という意味がある、こういう
答弁でした。しかし、これは、国会図書館ないし
メディアの調査によっても明らかなとおり、現存する十五の主要な辞書をひもといても、
総理の言うような意味は一つも存在しませんでした。つまり、
総理の説明は、オルタナティブファクト、ありていに言えば事実に反するうそであったということです。
しかし、さらなる追及を受けた
安倍総理がしたことは、大辞林に土台という意味があり、土台には基本という意味がある、こういう
答弁を
閣議決定することでした。
閣議決定はこういう目的のために使われるものだったでしょうか。
これは、
安倍総理が、人を
刑務所に送る
刑罰法規の
構成要件の文言を解釈するに当たり、間違えてしまった説明をうそで塗り固め、そのうそを
政府が
閣議決定で裏書きしたことを意味します。絶対にあってはならない深刻な事態です。
なぜなら、このような
閣議決定の名に値しない
閣議決定がなされるということが、
安倍総理本人にみずからの間違いを認める度量がないということを証明するだけでなく、
安倍総理の周囲に、
総理、さすがにそれは間違っていますよとたしなめる存在がいないことを意味するからです。
安倍政権の中には、王様は裸であると語る子供がいないということであります。
裸の王様が行
政府の長を続けることの深刻な論点を二点申し上げます。
一点目は、今回の
総理答弁は、
刑罰法規の
構成要件の解釈に関するものだということです。
刑罰法規の
構成要件は、ここまでは自由、ここから先は
刑務所、こういう線引きをすることによって、人間の自由と不自由の範囲を宣言するものであります。ですから、誰にでもわかる
レベルの
明確性と、誰がいつ解釈しても同じように読める
安定性が必要なのです。
しかし、この
構成要件の解釈が、自分の間違いを認めたくないという
安倍総理の属人的な理由で変更されたり混乱したりすれば、
明確性も
安定性も傷つけてしまいます。
明確性や
安定性を欠いた
刑罰法規は、自由の範囲を不明確かつ不安定なものにします。何をすれば
刑務所に行くのかはっきりしないという状態は、迷ったらやめておこうというように自発的な自由の萎縮をもたらし、一旦萎縮した自由を取り戻すのは並大抵のことではありません。
二点目は、この問題が、
安倍政権の間違いを認めない体質、そして、この道しかないというスローガンが象徴するように、みずからが唯一絶対に正しいという
価値観を如実にあらわしているということです。
人間は間違いを犯します。したがって、人間が行使する権力も間違いを犯します。しかし、
安倍総理や
金田大臣の発言がどんなに間違っていても、その間違いを真実として正当化していくという手法がまかり通れば、権力の
正統性を論理や事実によって客観的に判断していくことがおよそ不可能になります。
安倍総理は間違えない、
政府の判断だから正しい、これはまさに、法の支配ではなく人の支配への転換を容認することにつながります。
特に、
共謀罪でいえば、
捜査機関ひいては
国家権力の判断は正しいという前提で広範な捜査を許容すれば、社会は変容し、
監視網の中で社会の自由はどんどん萎縮していくでしょう。
安倍総理には、使い方を間違えれば最大の
人権侵害を起こし得る
刑罰法規に対する謙虚さが見られません。これは、
安倍総理が今国会で
共謀罪に関して
答弁された、一網打尽にする、
捜査機関のちゅうちょをなくす、こういった発言からも見てとれます。
本
法案に対する
金田大臣の
答弁能力の
欠如は、
安倍総理によってフォローされるどころか、むしろ
法案審議をさらなる混乱に陥れる結果をもたらしています。
また、今国会の
法務委員会では、
憲政史上初めて、要求もない
政府参考人である
林刑事局長の出席を、野党の抗議にもかかわらず強行採決するという手法がとられました。これは、あからさまに、
政府・与党が一致団結して、
金田法務大臣の
答弁能力の
欠如を認めた証拠であると言うほかありません。
多数決だけの
民主主義であれば国会は要りません。国会における熟議の
民主主義の大切さを尊重してきたからこそ、
明文規定はなくても、
多数決によらない運営を目指す努力が
先輩議員たちの手によって重ねられてきたわけですが、積み上げられてきたその努力が一瞬で御破算になってしまいました。
あわせて、
多数決で出席登録された
刑事局長自身の
答弁も、大変にお粗末であります。
例えば、一つの会社の中に正当な業務の目的と
犯罪目的が併存している場合にも
組織的犯罪集団たり得るのか、こういう基本的、重大な論点について、当初はノー、その後は
実質イエスと
答弁を変遷させました。
あるいは、さきのそもそも事案について、そもそもとは事の起こりであるとの持論を展開し、
安倍総理のうそを真実に塗りかえる手助けをしています。
あるいは、捜査の前段階の
警察活動として尾行や張り込みなどをすることはあるのでしょうかという質問に対し、捜査として尾行などをすることはないと、
すれ違い答弁を確信犯的に繰り返したくだりもありました。
これは、果たして
刑事局長の能力に問題があるのでしょうか。それとも、傍若無人な権力に対して
リーガルマインドを放棄して盲従をする
そんたくによるものなのでしょうか。
いずれにしても、現時点の
法務委員会において、
法秩序の維持と
国民の
権利保護という
法務省の任務を全うするために、最低限の
リーガルマインドを持って
答弁していただける
答弁者は、残念ながら存在していません。
金田大臣は、みずからの
答弁能力の
欠如が
法務委員会を
多数決と
そんたくの場に堕落させてしまった責任を問われるべきであり、速やかに退任されるべきであります。
テレビの報道でも、
金田大臣の
答弁能力欠如の象徴的なシーンとして、真後ろにいる
事務方の声がマイクで拾われ、その
事務方の
大臣への耳打ちの言葉と寸分たがわぬ
答弁をする
大臣の姿が繰り返し報道されておりました。
政治家主導によって
国民の意思をより強固に
法制度へと反映させる、この職責を放棄されるのであれば、
大臣としての
職そのものを放棄されるべきであります。
そして、この
金田大臣の
答弁能力の
欠如が、明らかに国益を害しています。
例えば、
法務省が
テロ対策としての立法事実として
提出してきた三つの事例のうち、いわゆる
地下鉄サリン事件を想起させる
薬物テロ事案、そして九・一一を想起させる
ハイジャックテロ事案の二事案について申し上げます。
薬物を使った
テロの目的で薬物を入手すれば、その時点において
サリン等防止法予備罪で処罰が可能です。
ハイジャックテロの目的で
航空券を入手すれば、その時点において
ハイジャック処罰法予備罪で処罰が可能です。
現行の
国内法で処罰可能な
テロ事案につき、
金田大臣は、処罰できない場合があるのだと、何ら
説得力を持たずに強弁を続けています。
この
法務大臣の
答弁は、
テレビやインターネット、
議事録を通じて国内外に発信されています。日本の
国内法で処罰できる
テロ事案を処罰できないと発信することは、まさに日本における
テロを誘発させる危険を生じさせるもので、私は、日本の国益を守る立場から、断じて容認することはできません。
ましてや、その動機が、
テロ対策の穴のないところに穴を掘ることによって、
テロ対策の美名のもとに
共謀罪を成立させることにあるのであれば、ますます許せません。
なぜ、
現行法で処罰できるものを処罰できないと言い張るのでしょうか。なぜ、穴のないところに穴を掘るのでしょうか。結局、本来
現行法で処罰できるものをできないと言い張らないと
共謀罪の
必要性が語れないからではありませんか。
法務大臣の
答弁そのものが、
テロ対策どころか、逆に
テロの抜け穴を掘っている状況は、まさに無意味を通り越して有害であり、このような
大臣答弁を続けさせて、これ以上国益を害するわけにはいきません。
ここまで、
金田大臣の資質の問題がいかに
立法府の議論の土台を壊し、また国益を害しているか述べてまいりました。
あわせて、今回の
共謀罪法案そのものが、
法案としてのクオリティーが極めて低い
粗悪品であることも指摘せざるを得ません。なぜなら、このような
粗悪品を、
所管大臣としてまともにチェックできないまま閣法として
提出してしまった責任もまた、
金田大臣に帰責せざるを得ないからです。
以下、この
共謀罪法案の欠陥を具体的に指摘してまいります。
法案の欠陥その一は、
テロ対策の役に立たないことです。
テロ等準備罪と名前だけリニューアルして今国会に登場した
共謀罪法案、名は体をあらわすとはいいますが、議論するほどに名前と中身の乖離が明らかになってまいりました。
さきに申し述べたとおり、
テロ対策として
法務省が示した三事例のうち二事例は
現行法でも十分に対応できることは既に述べました。また、三
事例目として示された
サイバーテロ事案について、仮に
ウイルス完成時より前、
ウイルス作成時から処罰可能とするべきだという
政策的判断をするとしても、そうであれば、この
ウイルス作成等罪に未遂はこれを罰すると一条つけ足せばよいことです。二百七十七プラスアルファの罪につき、未遂より手前、予備より手前の
包括的共謀罪をつくるべき立法事実になり得ないことは明白であります。
三事例が
テロ対策として
包括的共謀罪をつくる立法事実たり得ないことが明らかになり、私たちは、四
事例目以降があるのであれば、しっかり検討したいのでぜひお示しくださいと、丁寧に質問を続けてまいりました。この点、
金田大臣は、
成案提出前の
予算委員会においては、この四
事例目以降について、頭の中には多数ある、成案ができるまでぜひお待ちいただきたい、こういった
答弁をされておりました。
ですから、私たちは、
成案提出後の
法務委員会において、成案ができた以上お話しいただけるのだろうと御質問をしましたが、今なお、四
事例目以降は、
金田大臣の頭の中にしまわれたまま、国会そして
国民の前にお出しいただけておりません。
ぜひ、かわった後の
法務大臣には、頭の中の引き継ぎをいただいて、
説明責任の根幹である立法事実の
具体例について
国民の前につまびらかにしていただきたいと思います。
このように、
テロ対策としての
必要性が語れない
金田大臣のもとで
審議は進み、その間、むしろ
テロ対策のための
テロ等準備罪というのは
国民を欺くためのニックネームにすぎなかったということが次々と裏づけられてまいりました。
テロ等準備罪と必死に喧伝する割に、なぜ出されてきた
法案には
テロ等準備罪がないのでしょうか。
テロ対策だといいながら、
政府に示された原案に
テロの文字が一文字もなかったのはなぜでしょうか。修正された後も、目的に
テロ対策は掲げられず、
テロリズムの定義すら規定されていないのはなぜでしょうか。
本当に与党の
皆さんは、このような当然の疑問が解消されないまま、
法案の中に
テロの文字が数カ所ちりばめられたことをもって満足されているのでしょうか。
キノコ狩りも現実的な
テロ集団の
資金源となる、
金田大臣のこの
答弁を、
テロ対策に真剣に取り組んでいるプロフェッショナルの
皆さんはどんな思いで聞いておられるのでしょうか。
ここまで
政府答弁が破綻する理由はただ一つ、
テロ等準備罪というのは偽りの看板であり、
テロ対策というのは
国民の目をくらます方便にすぎないからです。
万々が一、この
共謀罪、
政府の言うところの
テロ等準備罪が成立してしまったら、成立の
ニュース以降、
国民が
テロ等準備罪という名前を聞く機会はほとんど皆無になるでしょう。なぜなら、
テロ等準備罪という罪はありません。したがって、
テロ等準備罪で逮捕されることも起訴されることも判決を受けることもありません。したがって、新聞や
テレビなどの
メディアで、
テロ等準備罪で逮捕された、起訴された、判決が出た、こういう
ニュースが流れることはありません。
この欺瞞に
国民が気づき始めたことをもって
審議打ち切りを狙うということがあっていいはずがありません。せめて
法務行政に明るい
大臣のもとで、充実した
審議を再スタートさせていただきたいのです。
法案の欠陥その二は、
テロ対策としての立法事実が破綻した
政府が事実上唯一のよすがにするTOC条約批准の
必要性、これも新たな
包括的共謀罪なしに批准できることがさらに明らかになってきたことであります。
主権国家におけるその国の刑法というのは、罪と罰を定める立法を通じて、治安維持と人権保障をいかにバランスさせるかという国家の哲学そのものであります。日本は、原則、既遂を処罰するという哲学に立ち、しかし、犯罪の重大性などに鑑みて、例外的にその一歩手前の未遂を、二歩手前の予備、準備を、さらに必要不可欠であれば三歩手前の共謀、陰謀を、個別に精緻に検討して立法するという立場をとってまいりました。
その結果、現時点において我が国では、人の命や自由を守るために未然に防がなければならない特に重大な犯罪約七十については、予備、準備罪が約五十、共謀、陰謀罪が約二十、既に整備されています。
条約三十四条一項は、締約国は、この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の
国内法の基本的な原則に従って必要な措置をとると定めているのであって、自国の
国内法の基本的な原則と例外を逆転させることを要請しておりません。
立法ガイド四十三パラグラフは、法的な防御やほかの法律の原則を含む、新しい犯罪の創設とその実施は各締約国に委ねられている、
国内法の起草者は、新しい法が彼らの国内の法的な伝統、原則と基本法と一致するように確実にしなければならないと定めているのであって、だからこそ、条約を批准した国は百八十七もありながら、条約批准のために新たに
包括的共謀罪を立法した国はノルウェーとブルガリアしか報告されていないのです。
なぜ、条約が要求しているからという建前をもって、自国の
刑罰法規で貫いてきた自分の国の法哲学を簡単に曲げるのでしょうか。
なぜ、立法ガイドが、正確に言葉どおりに条約の文言を新しい
法律案に含めるよう試みるよりも条約の精神に集中せよ、こう言っているにもかかわらず、形式的な満額回答を試み続ける一方で、諸外国に比べると、銃や刃物などの所持を厳しく規制するなどして相対的にすぐれた治安状況をつくり出している我が国
現行法の特色をあわせ評価して、条約の精神の履行を堂々と主張しないのでしょうか。
そもそも、形式的な満額回答を試みるという建前は維持しながら、十二年前の回答は六百七十六、今回は二百七十七の罪と、半分以下にしています。条約の問いかけが変わっていないのに、満額回答が半減するという矛盾をどのように説明されるのでしょうか。
まさに、この立法ガイドの中心的起草者であるパッサス教授の言葉がこの数々の疑問に答えてくれるのかもしれません。どの国の
政府も、国際条約を口実にして国内で優先したい犯罪対策を実現させることは可能なのですと。
主権国家の主体的判断として
現行法で条約批准するという選択を一顧だにせず、むしろ条約という外圧を利用して、本来の目的を隠したまま実現させたい犯罪対策手段があるとするならば、それは一体何なのでしょうか。
それがまさに法の欠陥その三、
一般市民が広く警察による情報収集、調査、捜査の対象となり、ネット
コミュニケーションも丸裸になることであります。
一般の方々は捜査の対象にならないと
金田大臣は言い続けています。一方で、ビールと弁当を持っていれば花見、地図と双眼鏡を持っていれば下見、このような粗雑な
答弁も繰り返しています。
では、
捜査機関はどのようにして当該人物の持ち物を把握するのでしょうか。尾行をし、張り込みをし、場合によっては持ち物を提示するよう声をかけるのではありませんか。まさに捜査そのものであります。
その結果、実はビールと弁当を持った花見客であったとしても、
金田大臣の言葉をかりれば、一般の方々とは、
組織的犯罪集団とかかわりがなく、したがって嫌疑をかけられることもない方々でありますから、一旦嫌疑をかけられて捜査の対象となった以上、この花見客も一般の方々ではないことになります。一般の方々は捜査の対象にならないのではなく、捜査の対象になるような人物は一般の方々ではない、これが
金田大臣のロジックであります。
同じように、真面目な不動産会社の一部署がリフォーム詐欺専門部署に一変してしまった例を考えてみます。
その会社の構成員である会社員が正業を担っていたのかリフォーム詐欺を担っていたのかをどのように見分けるのでしょうか。取引先に聞き込みをしたり、社員一人一人のデスクの資料やPCを捜索、差し押さえしたり、通信会社を通じてスマホや携帯電話のやりとりを把握するのではありませんか。まさに捜査そのものであります。
その結果、実は、自分が勤めている会社でリフォーム詐欺が行われていたことなどつゆ知らず、真面目にこつこつ営業に靴底を減らしていた社員であったとしても、嫌疑をかけられて捜査の対象となった以上、一般の方々ではない、これが
法務大臣のロジックであります。
こんな破綻したロジックを貫くものは、
捜査機関に疑いをかけられるような人物は
一般人ではないという
金田大臣の傲慢な姿勢だけと言っても過言ではありません。
盛山副
大臣一人だけ、一度だけ、一般の方々も捜査の対象になり得ると、その余地を認めた質疑がありました。しかし、大変残念ながら、次の回の質疑で、
金田大臣の強弁の方にそろえて軌道修正をされました。まさに、無理を通すために道理が引っ込んだ瞬間であり、
金田大臣の罪深さを象徴するような場面でありました。
捜査とは、目を凝らして
一般人の中から犯罪者をあぶり出す手段であります。
一般人が対象にならないのであれば、捜査の多くはその目的を失います。捜査実務の経験者であればもとより、この議場にいる多くの
皆さんの良識を働かせれば自明のことであります。
金田大臣がやるべきは、
一般人は捜査の対象にならないと詭弁を弄することではありません。既存の犯罪と同じように、この
共謀罪においても、当然
一般人も捜査の対象になると認めるべきです。
さらに、
共謀罪は、二百七十七プラスアルファという大量の既存の罪について、捜査時期を
犯罪実行から
話し合いまでぐっと前倒しするものであることは隠しようのない事実なのですから、当然、捜査網が拡大することも率直に認めるべきです。
その上で、
共謀罪が
テロ対策にとって必要不可欠なのだという信念が本物であれば、捜査網拡大という人権制約があってもなお、それを上回る安全を提供できるのだという立法事実を、
国民の前に言葉を尽くし示すべきです。
しかし、これまでの質疑において、
金田大臣の信念が説得的な言論の形をとることはほとんどなく、言葉に詰まるほどに大きくなるのは身ぶり手ぶりだけという残念な状態をこれ以上続けるわけにはまいりません。
ただ、珍しく
金田大臣がはっきり物言いをされた回がありました。私が、
共謀罪における証拠の限定、とりわけインターネット上の
コミュニケーションツールについて質問をしたときです。
金田大臣は、手段に限定はない、つまり、メールもLINEもツイッターも、絵文字も顔文字もスタンプも証拠になり得ることを明らかにしました。
本来、
話し合いを証拠化するのは、結果を証拠化することと比べると大変難しい作業です。しかし、
金田大臣の
答弁を前提とするならば、
話し合いを処罰の対象とする
共謀罪において、ネット空間における
話し合いも処罰の対象となるのであり、その証拠化は
捜査機関にとって極めて容易なものとなります。なぜなら、ネット空間における個人の発信の情報収集は、尾行や張り込みなどと異なり、手間も人員も経費もそれほどかかりません。
ましてや、先月、複数の報道機関が、エドワード・スノーデン氏が入手した機密文書の中に日本に関する十三のファイルがあったこと、その文書ファイルの一部によれば、アメリカの国家安全保障局は、情報収集活動における日本の協力の見返りに、インターネット上の電子メールなどを幅広く収集、検索できるエックスキースコアと呼ばれるメール監視システムを日本側に提供したとされていることなどが報じられています。
キノコ狩りから著作権法違反まで、幅広い二百七十七プラスアルファの罪について、
話し合いの疑いがあると
捜査機関みずからが判断すれば捜査に踏み出す合法的扉を開く鍵が、この
共謀罪法案であります。
だからこそ、この
共謀罪は、ネット空間を含む個人の発言の自由とプライバシーを大きく制約するものであり、ましてや電子メール監視システムなどと連動したときは、私たちのネット上の
コミュニケーションが
捜査機関によって丸裸にされると言っても過言ではありません。
金田大臣の
答弁で明らかになったのは、ネット社会の現代によみがえった今回の
共謀罪は、十二年前の
共謀罪と同じように危険なのではない、より危険なのだということであります。
そして、この
共謀罪は、市民を
テロから守る
法案を装いながら、
テロの対策の役には立たず、実際は物言う市民から権力を守る
法案として機能していく、この危険を内包していることも明らかになりました。
そのほか、私たちが
共謀罪法案の欠陥ではないかと指摘してきた数々の論点について、全く議論が追いついておりません。
例えば、二百七十七とされる罪のうち、未遂罪も予備罪もない罪は百三十、未遂罪はあるが予備罪はないものが百五、これらの罪について、より前の段階である共謀段階で処罰対象とすることは、整合性をいかに説明されるのか。
また、
組織的犯罪集団が強盗罪の共謀をした場合より、さらに危険性が高まった予備行為をした方が法定刑が低いのはなぜなのか。同様の不均衡が、そのほか、現住、非現住建造物放火事案やハイジャック事案など相当数の犯罪で生じるが、この点をいかに説明されるのか。
そもそも、
金田大臣自身、この
法案が思想、良心の自由を保障する憲法十九条の問題となることをみずから認めながら、精神的自由の制約立法としてのこの
法案について、厳格な基準を用いた合憲性の説明ができていないのは、
大臣の資質の問題なのか、それともこの
法案が違憲立法だからなのか。
論点を挙げれば切りがありません。
少なくとも、現時点において、私たちが未解決と考える論点は百八十二を超しており、
審議打ち切りが許されないことはもとより、
金田大臣が
答弁するほどに謎は深まり、議論は混迷し、論点が拡散していく、こういった現状を解決するためには、
大臣をかえていただくほかありません。
その上で、
テロ対策に万全を期すという覚悟が本物であるならば、ぜひ私たちが提案している航空保安
法案にも真面目に取り組んでいただきたい。
昨年、成田空港の保安検査員九百名のうち二百九十名、すなわちほぼ三分の一の方が退職されました。島国である我が国において、効果的な
テロ対策は水際対策にほかならず、その中核を担う空港における保安検査員が人手不足では話になりません。
九・一一を経たアメリカでは、空港の保安検査体制における予算も含めた責任主体を、民間航空会社から国へと変更しています。
しかし、我が国では、いまだ空港の保安検査体制を構える責任は民間航空会社に依存されている結果、保安検査員の方々の給与などを含めた就労条件が就労内容の重さに見合わず、さきに述べたような致命的な人員不足に陥っています。
あわせて、保安のための人員のみならず、ボディーチェックなどの保安機器についても、その維持管理が民間に依存されている結果、整備がおくれています。
テロ対策に万全を期すと叫ぶなら、
テロ対策の役に立たない
共謀罪の成立に血道を上げる労力を、むしろ
テロ対策のど真ん中である水際対策に振り向けていただきたいと心から切望いたします。
また、組織犯罪をめぐる国際協力にしっかりと万全を期す観点から、私たち
民進党も、人身売買とオレオレ詐欺などの組織的詐欺について個別に予備罪を設ける提案もしております。
包括的共謀罪などという法的議論にたえられない
法案には見切りをつけて、しっかり的を絞った私たちの提案に耳を傾ける度量を持ってこそ、政権与党のあるべき姿だと申し上げます。
自民党の
皆さん、
立法府における政権政党の役割は、政権の応援団もさることながら、政権が間違った方向へ向かおうとしている場合には軌道を修正し、より適切な方向へと導く責任も担っているはずです。しかし、この
共謀罪の検討に当たっては、誤りを修正するどころか、むしろ、政権の誤った手法をまねしてみずから
説得力をおとしめてしまうということが多々ありました。
例えば、
自民党内で配付されたとされる資料では、このような記載があります。
現行法では、
テロ組織が水道水に毒物を混入することを計画し、実際に毒物を準備した場合であっても、この時点で処罰することができません。この点について、参考人の刑法学者からは、殺人予備罪、毒物劇物取締法違反の罪、
テロ資金提供処罰法違反の罪、それぞれ成立するのであって、やはり正しい情報を広く共有して、社会の中で議論して初めてよい法律ができるものと確信しております、こういった指摘を受けております。
共謀罪法案の完成度の低さ、
テロ対策としての圧倒的なリアリティーの
欠如、そして、何よりも
法務大臣の資質の問題、
自民党議員の
皆さんの中にも大きな疑問符が浮かんでいる方が私はいらっしゃると思います。党内議論において疑問が払拭できなかったのであれば、ぜひこの本会議場の採決の場で、みずからの意思と良心を示していただきたいと思います。
公明党の
皆さん、
共謀罪法案は、思想及び良心の自由、さらには信教の自由をも脅かしかねないものであります。宗教団体のトップが二代にわたって、戦中、治安維持法で逮捕され、投獄され、そのうちお一方は獄中で死去されました。ぜひ、歴史に学ぶ知性を持った人権の党としての矜持を見せていただきたいと心から願うものであります。
最後に、私たちの社会において、個人の自由と不自由を画するラインは、そこにあるものではなくて、
国民みずからが引くものであります。この
法案は、私たちの社会における自由のラインをどこに引くのか、安全、安心のために私たちの自由のラインをどこまで後退させるのか、このことを
国民の
皆さんに問いかけています。
そして、国会の場は、
国民に対して正確な情報を提供し、本質的な問題を提起した上で、
国民代表として一人一人がその賛否を明らかにする場です。このプロセスが正常に働かなければ、決定の民主的な正当性は担保されず、ひいては、私たち国会議員の存在意義さえも自壊してしまいます。
しかし、
金田大臣は、この大前提を無視し、
法案の看板を書きかえ、
法案審議のプロセスの正当性を汚し、むしろこの
法案の本質を隠し続けてきました。
自由と
民主主義の持つ核心的価値を理解できない、そして、そういった理解を共有できない
法務大臣には、大変残念ですけれども、
大臣の職責を手放すことをもってその責任をとっていただくほかないと訴えて、私の趣旨説明とさせていただきます。
御清聴ありがとうございました。(拍手)
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