○高鳥
委員 ありがとうございます。
きょうは優生思想ということについて、少しお話をさせていただきたいと思いますが、戦後最悪の大量殺人と言われております相模原
障害者施設殺傷事件の犯人は、
障害者は不幸しかつくれない、いない方がいい、
障害者の安楽死を国が認めてくれないので自分がやるしかないと思ったと供述しているということであります。実は、これは氷山の一角でありまして、実行はしていないけれども同じように考えている、そういう考えを持っている人はある程度いるのではないかなと私は思っております。
例えば、日本安楽死協会の初代
理事長、太田典礼さんという方がおられます。この方は元衆議院議員でありますが、同様の主張をされておられます。
ちょっと御
紹介をいたします。
植物人間は人格のある人間だとは思ってません。無用の者は
社会から消えるべきなんだ。
社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症身障者や恍惚の老人から、我々を大事にしろなどと言われてはたまったものではない。
こういうことをおっしゃっています。
同じく、初代の会長であられた植松正さんという方、この方は元一橋大学の名誉教授、刑法学者だそうですが、重い身体
障害者について、本人の意思が明確でないから難しいが、推定的に考えて死にたいのが当然と言えるなら、認める方向で考えたい。
これは一九七二年ですから、かなり前の話ですけれども、十月二十七日、週刊朝日のインタビューに答えたものであります。
意思がわからないから、推定的に考えて安楽死を認める、恐ろしい考え方だと思います。この思想を突き詰めると、私は
障害者の抹殺につながると思っております。
この相模原の事件の後、私は
全国手をつなぐ育成会連合会の久保会長と何度かお会いをして、お話を聞きました。育成会に三百以上のメールや手紙、電話が来て、そのうちの一割くらいは、驚いたことに加害者に共感するというんです。
犯人の考え方は理解できる。
障害者は
社会のお荷物である。自分が誰かわからない者に大金をつぎ込むより、生産性のある人に、ニート、引きこもりに
お金を使え。犯人が殺した行為はいいんじゃないか。自然に、勝手に死んでくれ。謝れ。この謝れというのは、手紙がここにありますので、ちょっとだけ
紹介をいたします。
あなたたちの
子供は
社会の役に全く立っていません。権利を主張する前に、たくさんの税金を使ってしまっていること、
社会の何の役にも立っていないことを謝ってください。親にさえも疎まれている
子供を
社会が大事に思うわけはないです。最低限自分で育てろ。税金を使って当たり前のような顔をして、自分で育ててもいず、
社会に育ててもらっているのだから、まず申しわけないと謝れ。
こういうことであります。唖然としますよね。
障害を伴って生まれたことは本人の
責任ではありません。しかしながら、
障害があるためにからかわれ、いじめられ、時には差別を受けて、何の落ち度もないのに、その上、痛い思いをして、死ぬまで刺されなければならない、その理由は何ですか。誰も助けてあげないんですか。理不尽だと思いませんか。
一方、この相模原事件の後、
全国でグループホーム立ち上げに反対の声が大きくなったと聞いています。そういう施設があると変な人、変な人というのは
障害者を抹殺しなければならないという危険な人が来るので、そもそも、そういう施設は要らない。出ていってほしい。つくらないでほしい。被害者の側なのに、新たな迫害を受けています。募集をしても職員が来なくなったという話です。
育成会の会長さんは、今回の改正について、監視だと思わない。現状で地域での支援が整っていないから、地域で寄り添ってくれる人がいないから苦しんでいる。
実際、精神
障害者の方からもたくさんのメールや手紙が来ているので、私も一部拝見をいたしました。
精神科を退院して、レッテルを張られて一人では暮らせない。町の中で普通に暮らせる人だと周りの人がわかってくれるような支援の仕組みが必要なんです。監視ではなくて、孤立することがないようにする支援なんです。
安心して暮らしていける本人のための支援があれば、ひょっとしたら、彼は犯罪を起こさなかったかもしれない。
障害がある人の地域生活をどうするか、しっかり考えて支援の仕組みをつくる。そのための法改正はきちっとやってもらいたい。
こうおっしゃっています。
きょうは初回なので、大きな質問を中心にしたいと思います。
まず、退院後支援計画について、改正案で新設される退院後支援計画の目的と期待する効果について伺います。