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初鹿委員 ぜひよろしくお願いします。
きょうは
文科省の
瀧本審議官もお越しいただいておりますので、今の
お話を聞いていただいたと思いますので、ぜひ
薬物乱用防止教室とかの
機会を通じて、
子供のうちから徹底していただきますようにお願いをいたします。答弁はいいです。よろしくお願いします。
では、次の話題に移りますが、先日も、
児童福祉法の
改正案の
審議のときに、具体的な三つの例を挙げて
質問をさせていただきましたが、きょうも、
一つの
事件を例にとって
質問をさせていただきたいと思います。
一枚めくっていただいて、
資料二、三、四と
新聞の
記事をつけさせていただきました。
前回の
質問では、
虐待で亡くなってしまった
子供さんの
お話をさせていただいたんですが、今回は、
児童相談所もいっときかかわることもありながら、ネグレクトや身体的な
虐待もあった
少年が結果として
殺人事件を犯してしまった、そういう問題であります。
これは二〇一四年の三月に
埼玉県の川口市で起こった
事件ですが、
祖父母を、おじいちゃん、おばあちゃんを
殺害したという容疑で当時十七歳の
少年が
逮捕をされました。
逮捕をして調べていったところ、
居所不明児であるということがわかった。
学校にほとんど行っていなかった。そして、その
生育過程を見ると、かなり凄惨な人生を送っていたということが明らかになったんですね。
小学校の低学年のころに両親が離婚をして、
母親と暮らします。母は
ホストクラブに入り浸っていて、例えば
小学校五年生のときは、丸々一カ月ぐらい、
子供を置いて
ホストクラブに行って、帰ってこなくて、
子供だけ残されるということがありました。その後、その
ホストと再婚をして、一回
埼玉県かなんかで暮らすんですが、いろいろありまして、また逃げてきて、家がなくなって、
父親が日雇いの
仕事をして、
収入があるときは
ラブホテルで暮らすんですよ。でも、
仕事にあぶれて
収入がないときは、
ラブホテルの
駐車場にテントを張って親子三人で寝ていた。それがかなりの期間あったというわけですね。これだけ聞いても異常だなと思うと思います。
その後、途中で妹が生まれるんです。でも、妹が生まれても
母親は相変わらず遊び歩いて、妹の面倒を、そのお兄ちゃんである、
殺害をした
少年が面倒を見ている。そうこうしているうちに、今度は
横浜に移って、
横浜の
公園で
ホームレス状態になるわけです。そのときに
通報が入って、
公園で寝泊まりしている
家族がいるけれども大丈夫なのか、そういう
通報だったと思います。
児童相談所もかかわることになりました。そして、一時
保護をするか、いろいろな
お話があったそうなんですが、
母親も拒んだし、本人も多分拒んだんだと思います。結果として、
簡易宿所で
生活保護を受けて暮らすということになりました。
ところが数カ月たって、
母親は、ケースワーカーから、いろいろな縛りがあるわけですよね、
生活上あれしちゃだめだとかこれしちゃだめだとか、ちゃんと
生活しましょうとか、
仕事につきましょうとか探しましょうとか、そういうことが煩わしくていなくなってしまうんです。
実は
横浜で
生活保護を受けていたときに、この
少年は、それまでずっと
小学校四年生ぐらいから
学校へ行っていなかったんですが、学籍を回復して、
公立学校ではないんですが、
フリースクールにとりあえず行き始めて、
フリースクールの
人たちともかかわりを持つようになっていたんですけれども、いなくなってしまって、それも切れてしまいました。
その後、
父親が住み込みの寮で働くようになって、
建設会社かなんかの寮に入るんですね、
父親が働いていました。ところが、また悲劇で、
少年が十六歳のときに
父親はいなくなるんですね。下の娘の面倒も見なければいけない、そして
父親がいなくなったことで、この
少年は十六歳からかわりに働いて、
お金を稼いで、その稼いだ
お金の大半を
お母さんが
遊興費に使う、そういう事態になっていたということです。
そして、
お金が足りなくなると、
母親は
少年を使って、親戚を回らせて
お金を借りてこさせるということをしていた。そして、ついに
最後、
祖父母のところに行って、
お金が借りられなかったら、
母親からどういうことなのかわかるなというようなことを言われて、
祖父母のところで
お金を借りるのを断られたということで
殺害をしてしまったという
事件なんですね。
今、この
事件のいきさつを聞いていて皆さんも感じたと思いますが、何度か助けるようなチャンスはあったんじゃないかというふうに感じたと思います、特に
児童相談所もかかわっていたわけですから。でも、助けられなかった。
新聞記事を見ていただきたいんですけれども、ちょうど真ん中の「
児相面会 親が
保護拒否」の
右横ぐらいのところを見ていただきたいんですが、先ほど
ラブホテルで寝泊まりしたり、
駐車場で寝泊まりしていたということを言いましたけれども、その
ラブホテルの
管理人、七十歳の男性がこう言っているんですね。やはり、子連れで長期に滞在しているから不審に思いますよね。この
管理人さんは、月に一回来る
警察官にそのことを伝えたらしいんですよ。でも、その
警察官は関心を示してくれなかったということです。
恐らく、当時はそうだったんだと思います。今は多分、この
事件があってから、そこは相当改善されているんじゃないかと思いますが、本当にこのときに、警察がちょっとこれはまずい
状況じゃないかと
児相に
通報していたら、変わっていたんじゃないかというふうに思います。
また、
横浜で
ホームレス状態になっているところで
保護されたときも、そこで一時
保護をしていれば違っていたんじゃないかというふうに思うんですね。
一枚めくっていただいて、次の
資料三の
記事を見てください。去年の四月三十日に毎日
新聞に載っていた
記事なんです。
当時、この
新聞を見て、こういう
事件があるなというのは記憶にあったんですが、この四月三十日の
記事を読んで、非常に私も考えるところがありました。
一番上から見ていただきたいんですけれども、これは、書いた
記者と
少年が
手紙のやりとりなどをし始めたということで、
少年が
手紙に書いてきたことを載せている
記事なんですが、
少年は何で
取材に応じるようになったかといったら、
居所不明児や
貧困児童等の存在を認識していただいて、ふだんの暮らしで見かける
子供への少しの注意を持っていただきたくて
取材に応じたと答えているんですね。
それで、この
記事の下から二段目の後半を見ていただきたいんですが、こうも言っているんですよ。
判決が出て、
判決自体は
無期懲役の求刑に対して
懲役十五年と減軽されているので、それについては不満はないんだけれども、上告をしていくんですが、その理由は、似た
境遇の
子供たちを少しでも生きやすくするために、
判決が変わるわずかな
可能性を壊したくないと考えたと。一番
最後、こう締めくくっております。世の中捨てたもんじゃないなと
子供たちに思わせたいからです、それに
自分自身に対してもと。
この発言を聞いて、一体この
少年はどういう思いでこういうことを書いたのかなと思いまして、弁護士さんを捜しまして、私は会いに行きました。ちょうど一年ぐらい前です。二回会いました。最高裁の
判決が出る直前にも会ったんですが、そこで話して、改めてびっくりしたというか、やはりそうなんだなと思ったことなんですけれども、まず、彼はみんなから大変だったね、大変だったねと言われるので、
自分は大変だったんだと思って、それで、
自分みたいな
境遇の
子たちのことを知ってもらいたいとか、
自分と同じような
子たちを出さないようにしてほしいということを言ったんだけれども、でも、
自分は全然大変だと思ったことがないんですよねと私に言いました。これが当たり前だったからと。
恐らく、それは真実で、こういう
貧困家庭や
虐待家庭に育っている
子供たちは、
自分の
家族以外は見たことがない、知らないわけですから、それが当たり前になってしまっているんですよ。ほかの
家庭との比較がない、それがゆえに、この
家族から引き離されてしまったら一体どうなるんだろうかということに不安もあり、恐らく、一時
保護をしようというときにも、
家族と
一緒にいたいということを言ったんだと思います。
もう一枚めくって三枚目の
記事も見ていただきたいんですが、ここの三段目の一番
後ろから、
記者がこう書いているんですが、「
少年は小学五年の時に
実母が一カ月も家に戻らなかった体験から、
実母が視界の中にいないと不安で、常に
実母の
後ろを歩くようにしていたという。」こういう
状況だったわけです。やはり
母親がいなくなるということが非常に恐怖だったと。
そこで、まず一点、私から言わせていただきたいのは、
ホームレスの状態にあったら、これはもう相当ですよ。これはネグレクトのきわみだと思います。
そのときに、
子供の意思というのも私は大切だと思いますが、今言ったように、
子供たちにとってみると、
自分の
家族、
自分の親以外の
家庭を見たことがないわけですから、そこから切り離されるということは非常に怖いという思いがあって、
家族といたい、親と
一緒に暮らしたいというふうに主張されるんだと思います。でも、やはり私は、
ホームレスの状態になっているんだったら、
子供が親といたいと言っても引き離すべきだったというふうに思いますので、
子供の意思に反してでも、
ホームレス状態になったら一時
保護をするということをぜひ徹底していただきたいと思いますが、政務官、いかがでしょうか。