○玉城
委員 自由党の
玉城デニーです。
国の外交施策に関する件で、きょうは一般質疑で
質問させていただきます。
前半は、
防衛省と国交省にちょっと
質問をさせていただきたいのですが、その前に、少し地元の話をさせていただければと思います。
私の出身は、沖縄県の、今、うるま市というところに本籍がありますが、もともと、母は伊江島という島の出身でした。美ら海水族館から見えるちょっととんがった山、地元では城山と言っておりますが、沖縄県のほかの
方々は、伊江島タッチュー、タッチューというのはとんがっているという意味で、伊江島タッチューという名前で親しんで呼んでおります。
実は、戦時中は
日本軍の守備隊が配備され、艦砲射撃も含めて非常に激しい戦闘が行われました。私の母は昭和十年生まれで、まだ小学校を卒業しない前に戦争の被害に遭い、捕虜にとられ、結果的に、伊江島から皆さんが戦後捕虜として一旦島から出て、戻ってきたときには、島の半分以上が
米軍基地で占領されていました。
戦後、この間、たび重なる住民の反対運動により、何とか基地は三五%まで段階的に縮小はしておりますけれども、しかし、依然としてこの三五%の軍用地があり、そして、実はオスプレイが普天間に配備されて以降、強襲揚陸艦の甲板の訓練に資するための改造が今行われており、船のデッキ型、つまり着艦する強襲揚陸艦の形をかたどった滑走路状のものとヘリパッドが、新たに工事が進められているということになっております。
実は、なぜこの話をするかというと、きょう四月二十一日は、その伊江島で、四月十六日に
米軍が上陸してから、激しい戦闘が行われた最後の日がきょう四月二十一日です。ですから、毎年四月二十一日には、芳魂之塔という、守備兵士二千人、住民千五百人、合わせて三千五百人が祭られている、そこでみたまに対して慰霊祭が行われるということで、伊江村役場に確認しましたところ、本来、私も、きょう、もし
委員会、本
会議がなければ参加をする予定でしたが、きょう滞りなく挙行いたしますということで確認をいたしました。
しかし、もう一つの慰霊祭というのが伊江島にはありまして、伊江島に実は、先ほどお話をしました
米軍基地が、島の北側に伊江島射爆場という名前で残っており、今現在、その着艦訓練ができるように改良工事が進められている、その基地の端っこに、基地の中に、伊江島灯台というのがあります。戦前からこの伊江島灯台がありまして、ちょうど伊江島が一九四五年の一月あたりから激しい空襲を受け始めたとき、この灯台も標的になりまして、三人の
職員と五人の家族の方が亡くなられています。毎年四月二十一日には、この芳魂之塔の慰霊祭とあわせて、この灯台で亡くなられた
職員の方と家族の
方々の慰霊祭が、海上保安庁の主催によって行われます。ことしも行われるだろうと思っていましたら、ことしはきょうではなく明日行うということで役場に確認しました。なぜきょうやらないんですかと聞きましたところ、
米軍の演習の予定が入っていて基地を使うことができず、明日にいたしますというような内容の確認をさせていただきました。
なぜその確認をしたかというと、ゆうべ十時過ぎに、私の伊江島のいとこからLINEが届きまして、十時を過ぎたこの時間にもまだヘリかオスプレイの爆音が聞こえると。基地からかなり離れている東江前という集落です。いわゆる島の北側が射爆場であれば、東江前はこのタッチューより沖縄本島側にあるところですから、ほとんど北側のヘリの音やオスプレイの音などは日中聞こえてこないそうです。そのぐらい距離があるところなんですが、ゆうべはこの家の近くから物すごい爆音が聞こえると。これだったら、その射爆場の近くの
人たちは、果たしてこの時間、テレビも満足に見ることができているんだろうかというようなLINEがありました。
つまり、きのうも、夜十時を過ぎて、沖縄県と結んだはずの、深夜は飛ばさない、夜は飛ばさないという
協定を無視して訓練が行われ、そしてきょう四月二十一日、慰霊祭が行われる日に、
米軍は演習を行い、その演習を目的として、基地の、慰霊祭の挙行を認めず、明日にずれると。
戦後七十二年
たち、一九七二年の復帰から四十五年
たちます。しかし、いまだに、基地あるがゆえに、みたまの弔い、慰霊祭を行うことができないということの不条理を、きょう四月二十一日、伊江島で戦闘が終結したこの日に、あえて私は冒頭でそれをお話をしたいと思います。
と申しますのは、この後、実は赤坂プレスセンターについて、あるいは横田空域についての
質問をさせていただく予定でしたので、今あるこの不条理は、東京でも同じことが行われていると言っても過言ではないと思います。基地あるがゆえに常に不安を抱えているのは、国民ひとしく同じだと思います。
なぜなら、日米同盟は
アメリカと沖縄だけの同盟の話ではありません。
日本と
アメリカ、つまり、国民全体が背負わされている同盟の責任と申しますか、その一端を図らずも、ふだんの生活の中ではうかがい知ることができない
状況の中で、時折聞こえてくるヘリの音であったり、あるいは時折見かける
米軍機であったり、そういう
状況が全国ではたまにあるのかもしれませんが、沖縄では、きょうの地元の新聞でも、「学校正門前に
米軍車両」、嘉手納小学校の登校時間に、海兵隊の大型車両が決められたルートを外れて進入したという記事が
紹介されています。
毎回、どんなに英語で看板を出して教育を行っても、必ずこういうことが起こる。大体、こういうことをするのは、沖縄に配備された新兵が多いんです。教育の一環としてハンドルを握らせる、ルートを覚えさせる。しかし、彼らは間違えて、登校前の小学校の校門の前に進入してしまう。そこは、道交法上も、曲がってはいけないところを彼らは曲がり、道交法上も違反をしてそこに進入してしまう。こういうことが日常茶飯事であるということは、
委員の皆さんにもこの日にしっかりお伝えして、取り組むべきことには、やはり明確に
アメリカに対して
協議をし、取り組んでいくという
姿勢を明らかにしておくことは非常に私は重要だと思います。
きょうは、後半では
北朝鮮のことも
質問させていただく予定です。であればこそ、私は、真の独立国家という姿を一日も早く
日本で実現してほしいと思います。真の独立国家とは何か、いろいろな議論があるとは思いますが、私は、かねてから、やはりさまざまな軍事的、政治的、人種的、あらゆるくびきから解き放たれて、独立国家としての姿を明確に
国際社会に示すこと、そのことによって
解決できる問題はたくさんあるのではないかというふうに思いながら政治活動をさせていただいております。
僣越ではありますが、そういう思いも述べさせていただきながら、きょう、四月二十一日に伊江島では演習が行われている、慰霊祭のその日に演習が行われているということを、強く個人的にも遺憾を表明させていただきながら、
質問に入らせていただきたいと思います。
済みません、冒頭、ありがとうございました。
では、
質問させていただきます。
まず、赤坂プレスセンター及び首都圏の空域についてお伺いいたします。
東京都港区六本木七丁目にある在日
米軍基地ですが、二十三区内にある唯一の
アメリカ軍基地の赤坂プレスセンター。私は青山宿舎に住んでおりますが、ほぼ毎日、少なくとも二日に一回は
連絡用のヘリがプレスセンターに飛んでまいります。
米軍のヘリです。ですから、ふだん、ヘリの音を聞くと、どのぐらいの高さで飛んでいるかということが、沖縄に住んでいると少し体感するものですから、どこのヘリだと思って窓を見ると、必ず、私の窓、あれは西側に向いていると思いますが、西側に向いている窓から、斜めにおりていくヘリの姿が確認されます。ですから、東京の中にあっても
米軍が基地を運用しているという実態がここにもあるんだなと思うんです。
そこで、お伺いいたします。
この赤坂プレスセンターが設置された経緯、運用などの現況等について、
防衛省にお伺いしたいと思います。