○鈴木(義)
委員 ありがとうございます。
ところで、
大学関係者は、
基礎研究が大切だという呪縛から解かれていないと私は思うんですね。何が
基礎研究かという定義があやふやなんです。
京都大学の先生が、
自分の体験を通して、「
研究文化の日米比較」と題した講演の記述を目にしたんです。
大学改革をこれから遂行していくに当たって、
一つの提言だと私は受けとめたんです。
日本の
大学の先生は、その
大学を卒業して、同じ
大学の
大学院を出て、
自分のところの
研究室に所属してそのまま上がってきたという先生がごく普通の
日本の
大学の先生だと言っているんです。東大を出れば、東大の
大学院を出て、東大の
研究室、
自分が出た
研究室に助手か何かで残って、助教になって、教授になって、何とか
研究所の所長になって、こういうのが大体パターンなんだと思います。京大も、ほかの
大学も同じだと思います。
研究の一般的傾向は、例えばアメリカの場合、戦略的に見たときに、明確な
目標と時間制限、機動的に見たときには、新
分野の開拓に積極的、しかし失敗も多いというふうにこの先生は見ているんです。
では、
日本はどうなのかといったとき、長期的には、短期的に利益に惑わされない、言葉をかえれば無関心だということです。ゴーイング・マイ・ウエー、私のことを言っているわけじゃないんでしょうけれども。あとは、継続的、一
分野を時間をかけて追求、ある意味では惰性だと言われているんです。
これ、
日本人は大好きなんだ。おぎゃあと生まれて、物心ついたときから野球を何十年も続けないと、殿堂入りが、入れられない。空手でも柔道でも何のスポーツでも、何十年とやらないと殿堂入りにならない。オリンピックで優勝したから殿堂入りになるかといったら、そうじゃない。
世界大会で優勝しても殿堂入りにはならない。長い期間、その道に、ずっと同じことをやり続けられる忍耐力と、逆に言えば、これはスポーツのことを言っているんじゃないですよ、惰性だというふうな見方をされる場合があるということです。
成功か失敗かよくわからない
研究が多いということなんです、
大学の
研究は。だって、お金にならなくてもいいんだもの。この
日本では惰性で
研究をやっている人が継続的な
研究をやっている中に紛れ込んでいることも事実ですとこの人は述べている。
予算の出し方と
社会の
制度が日米では違う。特に
日本の
大学の場合、危機感がなくてもやっていけるし、
企業の大きな
基礎研究所も同じだと言っているんです。新しい
分野を積極的に
開発せず、むしろ同じことを一生懸命にやって、その
分野のオーソリティーになる方がよいと
考えている人が多いという。しかし、アメリカでは、その
分野のオーソリティーになっても、その
分野自体が衰退してしまっては全然意味がないと
考えるんです。
自分がやっている
研究を、三十年、四十年、その先生は
大学で教えます。それが
社会でもう全然役に立たない
研究であってもずっとそれをやる先生を私も
大学のときに見てきました。だから
日本の
大学はセミナーが少ないというんですね。逆に、アメリカの
大学の場合は、いろいろな
テーマの模索をして、異なる専門の
分野の人たちとの交流に積極的だ。
日本は、現在の
テーマに集中、専門家同士、いつも同じ顔ぶれ。政治も同じかもしれませんね。交流を重視した方がいいんじゃないかということなんです。
なるほどとうなずくところがたくさんあるんですけれども、まとめて、キーワードとして、この方は競争だと述べているんです。
連携じゃないんです、競争なんです。競争とはどういうことかとわかりやすく述べてもらっているんですけれども、
社会的要請であることを
認識すること。例えば、広く人々と交流しなければいけない、あるいは、
自分で物を
考えて何かに新機軸を出していかないといけないということは、
社会的要請であって、結局それは競争というものが生んだ短期的あるいは長期的な文化の一面ではないかと述べているんです。
さらに、競争に強い
システムの
構築が今後の
課題だろうし、もう
一つ、
経済活動とは直接関係なくても人類にとって重要と認められるものを含めて、付加価値の高い
研究成果を生み出す
システムというものを何らかの形で
構築していかなければならないと述べている。ごもっともだと思うんです。
高い
研究成果を生み出すことは、アカデミックな
研究だから黙ってやらせてくれというのは今後成り立たないし、
日本の
大学は学生にいかに付加価値をつけて卒業させるかが重要だと述べているんです。
大学改革にこのような
視点、尺度で、
予算や教員の数、質の配分をするように、より具体的な指標、見える化が求められると思うんです。先ほど
大臣が御答弁されたことは、全般的な概念なんだと思うんですね。それをもう一歩踏み込まなくちゃいけない時期に
日本も、悲しいかな、もう来てしまっているということです。
ぬるま湯の中で、ずっとそこで
自分の好きな
研究を長くやれば、それでお金がもらえる時代じゃないんだというのをきちっと司令塔として
鶴保大臣が
国民に示さないと、
大学に対しても、
研究開発している人にも。それが
大臣の今の
役割じゃないかなというふうに私は思うんですけれども、御所見をいただければと思います。