○下地
委員 この論議、最後になりますけれども、やはり私の見方。二年前にフィリピンに行きました。フィリピンに行ったら、こう言っていましたね。あれだけの船を持ってきて南沙諸島で埋め立てをしている最中に
アメリカは明確なコメントを全く出さなかった、できて終わってから、今ごろになってから実効支配が行われていることについてメッセージを出すというのは遅いんですと。
ウクライナにロシアが侵攻したのを見ても、南シナ海であれだけ中国の海軍が増強しているのを見ても、私の見方では、オバマ政権の八年間がやはり強い
アメリカを示すことができなかった。やはりそこが私は大きな歯車の違いを生んでいるんだというふうに思っています。
そういう意味では、ここで大事なことは、今、強い
アメリカを示し、明確なるメッセージを出そうとしているトランプ
大統領に対して、
日本の
防衛大臣もそれに続いて明確なメッセージを出していくことが、私は、きょう副
大統領が来ていますけれども、これが経済政策においてもあらゆるものに
影響していきますよ、
防衛の
姿勢を示すことが経済政策においても大事なことだということを申し上げて、この課題については終わりたいと思います。
それで、二つ目ですけれども、先ほど
赤嶺政賢先生からいろいろな御
質問がありましたけれども、辺野古の問題をちょっと聞かせていただきたいんです。
大臣、仲井真知事と
安倍総理がお約束をした五年以内の閉鎖状態、三千億円の予算を十年間とか。仲井真知事は、二回目の当選は辺野古反対で当選したんですよ。その辺野古反対で当選した知事が認可の印鑑を押したんです。そのときに、彼は要求をして、この五年以内の閉鎖状態を申し上げて、
総理もそれをやるという
ようなことを申し上げたんです。
中谷防衛大臣は、照屋
寛徳先生がいますけれども、の
質問に対して、五年以内の閉鎖状態というのはどんなことですかと言ったら、目指しているところは普天間飛行場の五年以内の運航停止です、つまり、飛行機が飛ばないということを
答弁したものですと。これを、四月の二十四日に言っているんです。私は、この
質問を聞いて、本当にそんなことができるんですか、本当に飛行機が飛ばないということができるんですか、これはなかなか難しいですよと言って、翌日にはこの
答弁を撤回して、厳密には決まっていませんという
ようなことをやったんです。
私が申し上げたいのは、厳密に飛行機が飛ばないことを五年間でやる、辺野古が完成しないのに、五年間でやるというのは不可能だと私は思います。しかし、それに関して努力をする、約束をした以上は努力をする。初めのモンデール・橋本
会談が決まった二十年前には、普天間飛行場は八万回飛んでいましたよ、八万回、離発着が。今、二万回そこそこですよ。これはもっと減らせます。僕は、これが五千回とか一万回に来たら、これは
安倍総理は約束を守ったという数字になると思うんです。空中給油機も岩国に持っていきましたね。ハリアー戦闘機も持っていきましたね。
政府は努力していると評価していますよ、私は。
しかし、なぜこの時点でこのことをできないとおっしゃるのか、それがわからないんです。沖縄の人の中にも、あの普天間が全部とまるということを想定した五年以内の停止状態と思っている人はいませんよ。だって、辺野古ができていないんだもの。あり得るわけがない。しかし、この努力をするという
姿勢に説得力があるわけです。また、やってきた。
それをまた、
安倍総理、菅官房
長官が、沖縄県の協力がいただけないからこれができなくなりましたとおっしゃいますけれども、訓練をすることとか飛行機を飛ばすことに、翁長知事の協力なんて一つも必要ありませんよ。あの人が何を言おうが、世の中変わりません、普天間の訓練には。自分ができるんですよ、これは。なぜそういうことを言うのか、それを、本意を聞かせてもらいたい。
それと、これ以上これでうそをついたらよくないね、よくない。
さっき話をしていた
ように、裁判で勝ったとか、和解の文書を僕も読ませていただいてわかりますけれども、それは法治国家だからそのとおりおやりになったらいいと思いますけれども、百四十万人の人がいて、行政手続上は、それは法治国家ですから、
大臣なんかが裁判で勝たれたことで、進めることはそれは簡単にとめられないかもしれませんが、しかし、やらないと言った知事にやらすために、印鑑を押させるために、約束したことをやらないで、最高裁の判決だから私たちはやりますよでは、私は、長い意味では、沖縄の基地の中で物すごい後遺症を生むと思いますよ。私は、この
考え方は撤回した方がいい。
もし強引に、強引にというのは沖縄側の言い分、皆さんからすると法にのっとってやるということになるかもしれませんが、政治的なぶつかり合いは今でもある。
宮古の市長選挙を勝った、宜野湾の市長選挙を勝った、浦添の市長選挙を勝ったから民意がどんどん変わったとおっしゃるかもしれませんが、この三つの地域で辺野古賛成と言った市長候補は誰もいませんよ。辺野古賛成と言って選挙を戦った人はいませんよ。全部違う視点で選挙をやって勝っているだけだから、これが民意が変わったなんて言うのは本末転倒ですよ。
大臣、何でこの
考え方を変えたのかということと、何で翁長知事の協力を得ないとこれができないと言ったのか、この二つ、ちょっと答えてください。