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参考人(
川村晃生君)
川村でございます。本日はお招きいただきまして、ありがとうございました。
私は、一九九七年に山梨で
リニアの実験線の開始がありまして、それ以後、私
自身、山梨県甲府市に居住しながら、
リニアに非常に関心を持ってきました。その中で、結局、私は
リニアに否定的な
立場を取らざるを得なくなりましたが、私は
リニアとの
関係でいえば
二つの
立場から
関係を持ってまいりました。
一つは、研究者としての
リニアに対する考えです。これは、私は人文学系の人間ですので、人間にとって
リニアとは何かという
立場から基本的に物を考えてまいりました。調査室の方で御用意いただいたこの冊子の一番後ろに私の
リニア関連の論文が二本出ています。
一つは景観の問題、もう
一つは文明論としての
リニアという、スピードというものが人間にとってどういう影響をもたらすかということを論じたものですが、今日はそこまで踏み込んでお話しする時間がありません。ただ、そういう
立場からだけでは不十分ですので、
技術的な問題や、それから
社会経済的な問題、様々な
観点を自分の頭の中に入れながら、
リニアについての否定的論理の
構築に努めてまいりました。
もう
一つの
立場は、市民運動家としての
立場です。市民運動として私の意図をパフォーマンスするために市民運動家でもあるわけですが、そこで沿線住民の
地域の
人々と連携しながら、あるいは数多くの現場を歩きながら、
リニアはやはりやめた方がいいという
結論に至っております。
今日は、そういう
観点から、私が今まで抱いてきた疑問点をまず申し上げ、それによって結局この
財投は中止した方がいいという
意見に立ち至るものだと考えています。
リニアには多くの疑問点があります。今お手元にお配りしました「
リニア中央新幹線は疑問がいっぱい」という、これは私が市民運動の中で多くの
皆様に
リニアの問題点を知っていただくために作ったパンフレットです。一項目を除いて私が全て執筆したものですから、おおむね私の
意見の反映だというふうに考えていただいていいと思いますが、幾つかの問題をちょっと摘記してお話ししますと、まず三ページにエネルギーの問題があります。
JR東海の発表でも、大体、在来の
東海道新幹線の三・五倍くらい、研究者によっては四倍から五倍というふうに計算する方もおられます。問題は、これだけのエネルギーを使っても
東海道新幹線の倍のスピードは出ないんですね。簡単に言うと、例えば、よく燃費の悪い車について
道路にガソリンをまきながら行くものだという比喩がありますが、同様に、
リニアはエネルギーを軌道上にまきながら無駄遣いしていくものだ、こういう輸送機関が二十一世紀の環境問題を抱える地球の未来にとって望ましいものかどうかということの
検討がまず第一に必要であろうと思います。恐らく、これが世界に輸出されれば、世界中に原発を造らねばならないような
状況に立ち至る。そういう
社会が、未来の世代に対して私たちが手渡すべき
社会としてふさわしいのかどうかという点がまず第一にあります。
それから、事故が起こったときのリスクの問題が余り
検討されておりません。一千人もの人間を乗せた
リニアが、例えば南アルプス山中で事故を起こして停止して外に出るというときに果たして可能かどうかという問題です。
先般、青函トンネルで事故が起こりました。あの事故は、百四十人の乗客でしたが、午後五時十五分に事故が発生し、五時五十分に脱出が始まり、百四十人の脱出が完了したのが夜中の十一時です。一千人の乗客がいて土かぶり千四百メートルの南アルプスの山中で事故を起こして止まったときに、果たして老若男女あるいは病人を含めて安全に無事に外に出せるのかどうかというふうな
検討がこれはなされておりません。
とりわけ、近年地震があちこちで多発し、中央構造線、糸静構造線をまたぐ極めて危険な乗り物として
リニアがあります。そういうものが、事故が起こったときに一体乗客の安全は保証されるのであろうかという問題も十分に
検討されていません。
それから、三番目に、四ページに
リニアの採算の問題があります。
これは数多く
議論されていますので私が今更申し上げるまでもありませんが、人口減少を加えていえば、恐らく
リニアはペイしない。
JR東海の山田当時社長がおっしゃられたようにペイしないだろうというふうに思いますので、まずその点からも
リニアについては否定的にならざるを得ないと思います。
それから、五番目の自然破壊の問題です。これも十分に
検討されておりません。
そこに写真がありますけれども、これは
リニア実験線の笛吹市の御坂町というところの現場写真ですが、僅か数キロメートルのトンネルを掘っただけでこれだけの異常な増水、出水が起こっております。一方で、完全な沢がれが起こっております。水がめともいうべき南アルプスにトンネルを掘れば、これ約二十五キロ、全体を合わせると三十五キロのトンネルになりますが、水がめに穴を空けるわけですから、とてもこのようなレベルの出水や水がれでは収まらないであろうと。もしそうなれば、周りの住民の生活及び生態系に極めて深刻な事態をもたらすに違いないというふうに思っております。
それからもう
一つは、八六%がトンネルでありますから、極めて多量の残土が出ます。この残土処理についてほとんどまだ予定が立っておりません。おおむね二五%ぐらいしか残土処理の予定が立っておりません。一体残土をどこに捨てるのかと。本来なら、トンネルを掘るのであれば、残土を捨てるところを決めてからトンネルを掘り始めるべきだというふうに思うわけです。このように様々な問題が残されています。
八ページの写真を見ていただければ有り難いですが、右側の写真は山梨実験線によって埋め立てられた谷筋であります。ここに百六十万立方メートルの土が運び出されました。ここを山梨県は何とか土地利用をしようとしていろいろ画策したのでありますけれども、現在に至っても使い道がありません。言わば塩漬けの土地になっております。こうした水がれ、それから残土の問題、こういうものが八六%のトンネル掘削によってあちこちで多分これから起きてくるであろうというふうに指摘せざるを得ないのであります。
もう
一つ問題は、こうした重要な様々な問題点を抱えながらアセスが十分ではなかった。識者の多くが、史上最悪のアセスだ、こんなアセスは見たことがないと。何せ二百六十八キロのアセスを僅か三年間でやるのですから、無理があるに決まっています。私が長い間関わっている
地域高規格
道路は僅か十五キロに七年掛けています。二百六十八キロを三年でやるなんというのは無理です。
私は、一番最初の
JR東海の
説明会のときに、これは無理だということを申し上げました。ところが、
JR東海は、法に従ってやるだけですと言ったにすぎません。つまり、法に従ってやりさえすればあとはいいのだというのが
JR東海の本音であろうというふうに思います。
地下水にしても、南アルプスの周辺の井戸水を僅か十二か所調べているだけです。これによって一体何が分かるのかということを私は
国土交通省の行政者に質問しました。何も答えてくれませんでした。黙っていただけです。こうした非常に乱暴なアセスの中でこの大規模開発
事業が行われるということ自体に私たちは警告を発しなければならないというふうに思っています。
国交
大臣意見に、多岐にわたる
分野での影響が懸念されており、本
事業の実施に当たっては、環境保全に十分な配慮が必要であるというのが環境
大臣の
意見を踏まえての国交
大臣意見に出ていますが、およそそれとは非常に程遠い実態が現在進んでいるということです。
それから、住民の問題をお話ししておかなければなりません。
JR東海は、度々住民
説明会を各地で行いました。しかし、住民の
説明会という名前の割には、住民の
意見を聞くという態度は非常に希薄です。時間が来れば、約二時間三十分
JR東海の
説明がありますが、残された一時間半が住民の質問時間になります。私も手を挙げて質問しましたけれども、質問時間一時間半が終わると、何人挙手していようと打ち切ります。これで本日の住民
説明会は終わります、再質問はできません。私が質問して、相手の
JR東海の答えがこれではおかしいんじゃないかと思っても、二度と質問できない。こういう住民
説明会が
説明会として繰り返される。
先般、長野県の大鹿村で住民に対する
説明会がありましたけれども、地区の
説明会に別の地区の人をオブザーバーで聞かせてほしいと区長が要望したにもかかわらず、拒否されました。
JR東海はそういう方針は取っておりませんと。
説明会は住民のためのものですから、
JR東海のためのものではありませんから、住民の意向をできるだけ酌んで、住民の意向に対して真摯に応えるというのが
説明会としてあるべき姿だと思います。
これに対しても、国交
大臣意見書は、十一ページですね、
JR東海が
地域住民に対し丁寧に
説明し、情報公開の下に透明性の確保に努めるようにとの指示が記されている。およそこの指示とは懸け離れた住民への
説明がなされています。住民の不満は渦巻いております。これが後に裁判に行き着いていく、行政認可の取消し訴訟の行政訴訟に行き着いていくわけですけれども、こうした住民の不満が渦巻いているということだけは御存じおきいただきたいというふうに思います。
どうもこういうふうな
議論がそっちのけにされて、
インフラの問題、
経済性の問題だけでこの
リニアの問題が
議論されている。この場もそうです。こうした
議論は一体本当にこれでいいのだろうかと思います。
経済性や
インフラだけに特化した
議論は、私に言わせれば空疎でいびつで貧しいものだというふうに思います。
こういうふうな
状況に立ち至った元々は、恐らく国交省が設置した
交通政策審議会鉄道部会の
答申だろうと思います。
是非二ページを開いていただきたいと思います。下から六行目、「
鉄道審議会の
答申は」というところを読みます。「新幹線は安全性、信頼性、省エネ性、速達性、ネットワーク性、定時性、建設費用等の点では優れているが、
リニアの方が
高速性の点で優れているので
リニアの方が適当である」。
私は長い間文学の研究に携わってまいりましたけれども、これは
日本語の文章として成立しておりません。私がこの文章をいろんな市民集会でお話ししますと、会場からどっと笑い声が起こります。なぜなら、こんな文章は
日本語ではないと思っているからです。この文章を正しく
日本語で言うとすれば、新幹線は安全性、信頼性云々、建設費用の点で優れているが、
リニアの方は
高速性の点でしか優れていないので新幹線を採用すべきであると、こういう文章でないと
日本語として成立しないのであります。
そう考えると、私には思い当たることがあります。それは、全ての審議は
リニアを造るということを前提になされてきたのではないかということです。この
答申にしろ、アセスの
やり方、住民の
説明を聞こうとしない住民
説明会、こういうものは全て全体のスケジュールが決まっていて、最終的には二〇二七年の
東京―
名古屋間の
開業ですが、それを前提にしてスケジュールを組まれているために、先ほど言いましたように
JR東海が答えたと、法に従ってやると。法に従ってやれば、造ることを前提としてやってもいいのだというふうな
考え方がその底に流れているのではないかというふうに思います。
こういう
やり方をしていると、過剰な需要を見込んでオーケーだという
結論が出るに決まっているわけです。私は、全ての問題をこの国会の場で
議論していただきたい。先般の衆議院の
委員会で、ある
委員がこういうことを言っています。私は、この
リニアの
議論は……