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大平委員 日本共産党の
大平喜信です。
立憲主義に関して幾つか意見を述べたいと思います。
まず何よりも重大なことは、
安保法制ほど
立憲主義を踏みにじったものはないということです。安倍政権は、これまで歴代
内閣によって
憲法の九条のもとで
集団的自衛権の
行使は認められないとされてきた
憲法解釈を、一
内閣の閣議決定によって容認へと変更し、これに基づき
安保法制を強行しました。これこそ
立憲主義に反するのではないか、こんなことが許されるのかという多くの批判を浴びたのであります。
しかし、こうした批判に対し安倍首相は、
立憲主義とは、
主権者たる
国民が、その意思に基づき、
憲法において
国家権力の
あり方について定め、これにより
国民の
基本的人権を
保障する考えだと述べられ、
国家権力を縛るという
考え方は、かつて
王権が絶対
権力を持っていた
時代の主流的な
考え方であると述べられました。ここには、
権力を拘束し、
制限するという
立憲主義の最も
基本的な問題を殊さら曖昧にしようとする意図を感じざるを得ません。
昨年六月四日の本
審査会参考人質疑でも、長谷部参考人は、
立憲主義の
意味の一つは、何らかの形で
権力を
制限することであると述べられ、小林参考人も、
立憲主義というのは、
権力者の恣意ではなく、法に従って
権力が
行使されるべきであるという
政治原則であると述べられました。
憲法の拘束のもとで
政治を行うべき安倍政権が、
憲法を乗り越える恣意的な解釈によって
集団的自衛権の
行使を認めたことこそ、
立憲主義に反するものだと
指摘しなければなりません。
次に、安倍政権が踏みにじった歴代政府の
憲法解釈はどのようにして形成されたのかということについてです。
そもそも
憲法九条は、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めており、海外での武力
行使など到底認めておりません。しかし、
日本政府は、アメリカからの再軍備の圧力に従って警察予備隊を創設しました。政府は、警察上の組織であり戦力ではないから九条には違反しないと述べたのであります。
その後、日米安保のもとでの軍備増強のため、保安隊を自衛隊に改組するに当たり、警察権なので戦力ではないという論理が通用しなくなったため、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を
行使することは
憲法に違反しないとして、九条のもとで認められる自衛権の
行使の
範囲は、他に方法がなく、急迫不正の侵害があって、それを排除するために必要最小限度の措置であるという答弁をしたのです。
この九条に関する政府の解釈は、幾度も
国会において
議論になりました。例えば、朝鮮有事における米軍と自衛隊の共同作戦を研究した三矢作戦計画や、韓国の安全が
日本の安全にとって緊要と述べた佐藤・ニクソン声明によって自衛隊のアジア派兵が
議論になった際、当時の佐藤栄作首相は、朝鮮有事は
日本の有事であり、
集団的自衛権の発動があり得るのではないかという質問に対して、韓国が侵略された、あるいは韓国に事変が起きた、それが直ちに
日本の侵略あるいは
日本の事変と考える、これは行き過ぎだと思うと否定されました。そして、この
根拠として、
外国に危害を加えられた、武力
行使を阻止することを
内容とする、いわゆる
集団的自衛権の
行使は
憲法上認められないとする政府統一見解を出したのです。その後、自衛隊の海外派兵が問題となるたびに、
集団的自衛権は認められないという答弁を政府は繰り返してきました。
こうした長年の
議論によって積み重ねられたのが政府の
憲法解釈です。これを一
内閣の判断によって覆したのが安倍政権であります。この閣議決定が
立憲主義にもとると批判したのは、六月四日に来られた
憲法学者の方々だけではありません。
参議院での
安保法制特別
委員会の参考人質疑では、大森政輔元法制局長官は、「閣議決定による
集団的自衛権の
行使認容は、超えることができない
憲法則ともいうべき
基本原則からの重大な逸脱である」と述べられました。また、山口繁元最高
裁判所長官は、
集団的自衛権は
憲法違反だとする
憲法解釈が六十余年とられ、
国民の支持を得てきたという事実は重い、それは単なる解釈ではなく規範へと昇格しているのではないか、九条の骨肉化している解釈を変えて
集団的自衛権を
行使したいのなら、九条を
改正するのが筋だと語られました。
さらに、安全
保障関連法に反対する学者の会は、その声明の中で、歴代の政権が
憲法違反と言明してきた
集団的自衛権の
行使を、解釈改憲に基づいて法案化したこと自体が
立憲主義と民主主義を侵犯するものであると述べています。この学者の会が出したアピールには、一万四千人以上の学者、研究者が賛同をしています。
憲法学者、法制局長官、最高
裁判所長官、そして
分野を超えた学者、研究者の方々が閣議決定と
安保法制を
立憲主義違反だと
指摘し、多くの市民が
立憲主義を守れと
国会を包囲し、
安保法制の廃止を求める署名は一千五百八十万筆を超えています。
その上で私が
指摘をしたいのは、この
立憲主義の当然の
原則を、
集団的自衛権行使容認の閣議決定の前には自民党議員の方々も認めていたということです。
この
憲法審査会に臨むに当たり、私も先輩方の過去の
議論を学ばせていただきました。その中で、例えば二〇〇二年六月六日の
憲法調査会で高村
委員は、法というのは、
権力の側も拘束するのであるから、
内閣が今までずっと
集団的自衛権はだめだという解釈をとってきたのに、必要だからぱっと変えてしまうというのは、私はそこにやはり問題があると言わざるを得ない、本筋からいえば、やはり
国民的
議論のもとで
憲法改正をしていく、
集団的自衛権を認めるような形でとおっしゃっておられます。
あるいは、二〇〇四年二月五日の
憲法調査会で
中谷委員も、
集団的自衛権に関して、
日本は法治
国家でもありますし、また、私も
立法府の
人間として、このような重要問題を解釈の変更によって実施すべきではない、この自衛権の
考え方は、きちんとした学説と理論によって構築をされておりますので、これで
集団的自衛権も読むとなりますと、常道からしても
改正の
手続をとるべきと。
日本国憲法のもとで
集団的自衛権は
行使できない、解釈で変えるべきではないと明確に述べておられます。
それが今では、これまでずっと認められないとされてきたものを一
内閣の解釈で変更してもいいのだと言われる。これこそ
立憲主義に反する姿勢ではないでしょうか。安倍政権が、幾多の批判にもかかわらず、さらに過去のみずからの考えを覆してまで強行した閣議決定、
安保法制は、たとえどれだけ時がたっても、
立憲主義違反、
憲法違反のままです。
私たちは、
安保法制を廃止し、閣議決定を撤回する闘いを
国民とともに進めていくこと、戦争するための
憲法改正ではなく、九条を生かした平和外交を行うことこそ大切であるということを述べまして、
発言を終わります。