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松村祥史君 自由民主党の
松村祥史でございます。
本日は、熊本地震の
対応に対する
補正予算の審議ということで、与野党を超えて早急に
対応いただきますことを熊本県民の一人として心からお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
また、御配慮をいただいて質問する
機会をいただきましたことにも心から感謝を申し上げたいと思います。
今回の熊本地震は、私の生まれ育ったふるさと熊本で発生をいたしました。(資料提示)震度七の激震に二度見舞われ、残念ながら六十九名の尊い命が奪われました。重軽傷者が千六百六十四名、避難者は現在一万三百五名、一時は十八万人を超える県民の一割に当たる方々が避難生活を余儀なくされました。恐らく、車中泊も含めればこの倍はいらっしゃったんではないかと推測ができます。
熊本県選出の参議院議員として、無念にもお亡くなりになられた方々、御遺族の皆様方に心より哀悼の誠をささげ、避難をされている皆様方に心からお見舞いを申し上げたいと思います。そして、一日も早く
復旧復興し、そのために、県民の皆様にしっかり寄り添い、しっかり手と手を取り伴走しながら、これからの熊本をつくり上げていきたいと思っております。
そんな中、実は私も十六日の本震で被災をした一人でございました。十四日には熊本におりまして、夕方上京をし、宿舎に着いた途端にこの一報を受けました。その足で党本部に向かいまして、党本部には、既に谷垣幹事長の指示の下、災害
対策本部が設置をされておりました。熊本県の七名いる自民党国会議員全て集まってまいりまして、
情報収集、それぞれの地元に電話を掛け、いろんな
情報の収集に当たったところです。寝る間も惜しんで、谷垣幹事長の指示の下、翌朝、朝六時には羽田空港に集合いたし、現場の視察に参ったところでもあります。
震災のひどかった益城町、熊本市、そして県知事と会談をし、その
対策を練ったところでありましたけれども、その夜、私も実は震災に見舞われたところです。やっぱりびっくりして飛び起きました。突き上げるような地震と、ベッドの上で座ることもできませんでした。そして、その地震が止まって家から飛び出しましたけれども、一晩中地震が続きましたので、なかなか家に入ることができませんでした。これが現実経験した瞬間でした。そして、夜が明けて被災地を回り始めまして、十五日に見た光景と一変していることに、本当にこの二回の地震のすごさを感じたところであります。さすがにやっぱり二回も地震が来ますと、震度七クラスが来ますとなかなか耐えられない、十五日に残っていた家屋も残念ながら倒壊している。非常にむごい現状があったのを覚えております。
政府におかれては、
安倍総理の指揮の下、非常に迅速に
対応いただいたと私は思っております。初動においては二万人を超える自衛隊の方々の投入、全国から人手を動員いただき、水、ガス、水道といったインフラの復旧に全力を挙げていただき、救急救命活動に当たっていただきました。
安倍総理の、先手先手でやる、やれることは全てやる、こういう指示が各閣僚にも伝わっていたことを私は実感しております。と申しますのが、ここにおいでの
皆さん方からそれぞれお電話をいただきましたが、特に
河野大臣や馳
大臣、世耕官房副長官、すぐにお電話をいただき、
総理からこういう指示が出た、官邸に直接つなぐから何でも上げてくれと、非常に心強かったです。
現実、
河野大臣には、食料が不足しています、水が足りません、こんな声を上げましたら、すぐさま
対応いただき、コンビニや非常食を手配いただきました。馳
大臣には、被災で苦しむ大学生の
皆さん方がちょうど履修の時期でございまして、大学がなかなか休講しにくかった。これを、避難していただくことで安心できる、こういう声がありましたのでお願いをいたしましたら、大学と協議をいただき、休講の少し延長をしていただきました。世耕官房副長官には、南阿蘇地区は被害がひどくなかなか電波が通りづらいということで、携帯電話がつながらない、こんな苦情がございました。そこに移動式の簡易アンテナを設置いただいて、民間との協議や、西原村では、被災した方々、西原村の六割は住宅が倒壊していると聞いておりましたので、被災者の皆様方のお風呂の手配をしてほしい、こんなつぶさな配慮をしていただきました。非常に現場で動きやすかったです。
なおかつ、県においては現地の
政府対策本部をつくっていただきました。そして、ここのスタッフの方々は、熊本県の出身者の方々や熊本県に出向の経験のある方、とりわけ熊本にゆかりのある方、こういう方々を配置していただいておりました。したがって、コミュニケーション、現場の
状況、説明する間もなく把握できますので、非常に運営をしやすかったと。これも
総理のつぶさな御配慮だと思います。
先ほどいろんな
議論がありました。誰が本
部長なのか、そんなことは関係ない。問題は現場でいかに初動に対して早く動くか、私はこのことができていたというふうに思っております。形にこだわればいろんな
議論があるでしょう。確かにいろんな
議論があります。しかし、私たちは現場にいて、
総理、そのことは十二分に伝わりました。
その証拠に、
総理に二回、熊本においでをいただきました。ちょうど二回目のとき、繁華街の熊本上通を歩いていただきましたけれども、このとき、
総理、覚えていらっしゃいますか、
皆さん何とおっしゃったか。ありがとうとおっしゃった。ありがとう、ありがとうと。普通は、頑張ってねと、こうおっしゃいます。しかし、これだけいろんな
対応をしていただいていることをよく御存じだったと思います。
もちろん、一〇〇%ではありません。初動において、指定の避難所にはいろんなものが届きましたが、それ以外のところにはなかなか届きにくかった、そのことは否めない事実です。しかし、その隙間を埋めようと、みんな一生懸命やりました。自民党熊本県連の県議会の
皆さんやいろんな方々が物資を集めて、その隙間を埋めに走り回りました。みんなで
対応したものと思っております。そういうことを
考えると、非常に私は
対応が早かったと、改めて
総理の御決断とそして実行力に感謝を申し上げたいというふうに思っております。
さて、我が県は、GDPは大体百分の一経済と言われる程度の経済しかございません。人口が百八十七万。九州は全国の十分の一でございます。しかし、熊本が被災を受けて立ち上がりが遅くなれば九州全体に影響が出ます。それは、立地条件的に九州のへそという位置に位置していること、加えて、熊本の今回の被災で半導体やそれから自動車関連産業が現実ストップをいたしました。熊本の農業は、農業県と言われるだけありまして、全国所得が大体四位でございます。農業の場合は輸送農業と言われております。大消費地への輸送をする、インフラが駄目になったことでこれが滞りました。
そういう位置付けでやはり熊本を見ていただくことが私はとても大事だろうと。単に熊本だけの被災のことを言っているわけではありません。このことがまず私は重要だと思っております。
今回の地震は、これまでの阪神・淡路大震災にも東
日本大震災にもない特異性が三つあると私は思っております。
一つ目は、震度七の激震に僅か二十八時間のうちに二度も見舞われたことです。これによって、行政庁舎や学校などの公共施設、橋、道路、鉄道、トンネルなどの基幹インフラが壊滅的な打撃を受けました。
二つ目は、いわゆる前震の後に本震があったことです。余震が長く続き、既に十六日現在で千四百六十四回を記録しております。大分、地震にも慣れてまいりました。現実、震度三では会議は止まりません。震度四ぐらいになると少し恐怖感が出てまいります、まあこれは私の感覚ですから。ただ、それほど多いということを言いたいんです。みんな不安を抱えております。やっぱり音に敏感になりました。音で地震を感じ取る、そんな感覚になってしまいました。私も現実、こうやって立っていて、揺れているんじゃないかなと思うときがあります。この恐怖感が恐らく車中泊が止まらない要因の一つではないかなというふうに思っております。
そして三つ目が、余震が続く結果として、風評被害を含めて経済的なダメージがますます広がっているということです。いつ終息するのか先行きが見通せないということです。
このような今回の熊本地震でございます。普通の震災とは全く違う、我が国が初めて経験する震災だと私は
考えております。この事実認識なくしてこれからの熊本に対する復興はあり得ないのではないかと私自身は思っております。
そういう意味で、まず
安倍総理、熊本地震に対する認識、そしてこれからの復興、お
考えをお聞かせいただけませんでしょうか。