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長浜博行君
民主党の
長浜博行でございます。
外務大臣、昨年末、この
参議院には
ODA、
政府開発援助が適正に実施をされているかどうかということをチェックする、そういう
派遣のシステムがあるんですね。その
ODAの
調査団の一員として、第四班、
パラオ共和国と
ミクロネシア連邦に
派遣をしていただきました。帰ってきたのが十二月の二十一日ですから、まだ一か月たっていないというような状況でもあります。
何で遅れたのかと。普通はそのぐらいに
派遣はないんですけれども、やっぱり
臨時国会が開かれなかった、いつ開かれるんだろうということで、この
日程調整に当たっては、
パラオとそれから
ミクロネシア政府関係者にも御迷惑を掛けたのではないかなというふうに思っております。ただし、この
ODAはチェックをしなければいけませんので、行かせていただきました。
帰ってきた翌々日が
天皇陛下のお
誕生日でございました。テレビとか新聞等々でも、
陛下そして
皇后陛下が四月に
パラオを御訪問された映像が、随分私も拝見することができました。帰ってきたばかりでありましたので、大変私にとっては印象的だったわけであります。
陛下のお
誕生日のときに、
宮内庁記者会で
代表質問が行われて、それに
陛下が
お答えになっておられました。この一年を振り返ると、様々な面で
さきの
戦争のことを
考えて過ごした一年だったように思います、年々、
戦争を知らない世代が増加していきますが、
さきの
戦争のことを十分に知り、
考えを深めていくことが
日本の将来にとって極めて大切なことと思いますと
お話をされておられました。これは私も、
宮内庁のホームページで今でも見られます。
昨日は歌御会が宮中で催されました。
閣僚の中で御
出席をされた方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、
陛下の
お歌は、今年の
お歌もこの
パラオの海のことを歌っておられました。
西太平洋戦没者の碑、
陛下と
皇后陛下が慰霊をされたところでありますが、
ペリリュー島というところにございます。コロール島から私は一時間ぐらい
小舟に揺られて、
陛下の場合はヘリコプターで行かれましたけれども、
小舟でこの
ペリリュー島に行ったわけであります。
激戦の地で、一九四四年だったでしょうか、
日本軍が一万人、そして
アメリカ軍が二千人以上という
戦死者を出した
激戦の地でもありました。そして、南西十キロぐらいのところにアンガウル島というところもあります。これもきれいでよく見えました。こちらでは千人ぐらいの
日本兵の方が
激戦の末亡くなられているところであります。
小舟に乗っている最中も、ここは
パラオの
サメを大切にするという文化があるところですので、
サメの背びれかなと思っていたらゼロ戦の一部が見えていたようなところもあります。本当は
エメラルドグリーンの大変美しいところのサンゴ礁なんですが、その浅いところでそういうものがまだ残っているということでございます。
菊池さんという方が、
天皇陛下、
皇后陛下を御案内を四月の時点でされましたけれども、その方が、私どもも御
説明をいただきました。
天皇皇后両
陛下が来られた後、若い
方々の中でも、シュノーケリングとかスキューバダイビングではなくて、あの
戦争は何であったのかということを
考えるために来られる、そういう若い人が増えたということもおっしゃっておられましたので、これも御
報告をしなければいけないというふうに思っております。
帰りは一天にわかにかき曇りまして、熱帯のスコールのような、もう目も開けていられないような、
小舟ですから、そういう雨が襲ってきました。
自民党議員と
共産党議員と一緒に行かせていただきましたので、その
方々が何をお感じになられたかは内心の自由ですから私が知るすべもありませんが、私は謙虚に、素直に、なぜこんなことが起こったのか、あの
戦争とは何だったのか、平和とは何か、こういうことを歴史から学ばなければならないなということを感じたわけでございます。
パラオの
レメンゲサウ大統領と
ミクロネシアの
クリスチャン大統領には
大変お世話になりました。シャンパンとブランデーの
晩さん会などというものは全くありません。
缶ビールと
焼酎、この
焼酎は
日本の
技術を伝えたものであります。ヤシの木陰で
ミクロネシアの
クリスチャン大統領は、自分が釣った、多分サワラだと思うんですが、それを海岸で下ろして、さあ食べなさいよということで食べさせてもいただきました。車座になって
大統領と様々な話ができるということはなかなかないというふうにも思っておりました。
そのときに御
説明を受けたのが、いわゆる
ODAの
青年海外協力隊とか
シニア海外ボランティアが大
活躍をされて、本当に
日本の
国際貢献、平和に対する
国際貢献がこういった形で表れているんだなということで謝辞をいただきましたものですから、これは
総理大臣にお伝えをしなければいけないなというふうに思っているところでございます。とても大切なことだと思いましたので、私の許されている時間の範囲で、あえて
委員長を含めて
同僚議員の
皆様方に御
報告を申し上げた次第でございます。
さて、
質疑に移らせていただきますけれども、負の
効用という言葉があります。これは
経済学の用語ではなくて、私は、
臨時国会を開催をされなかったのは、これが開かれているからいいじゃんという世界の話ではなくて、
憲法に関わる重大な問題だというふうに思っておりますが、負の
効用、開かれなかったことによってこういった
現地視察もできましたけれども、もう一つは、地元の
方々の声をよく聞くことができたということであります。
閣僚の
皆さんは大変お忙しいので、なかなか特に官邸の場合は、入ってしまうと、
町場というか
市井の
方々が何を
考えておられるのか分からない
部分も出てくる。まあ一面においては仕方がないのかなという、物理的にですね、思う場面もありますが、今回は多くの
市井、
町場の
皆さんと
お話をすることができました。
そんなところで素朴な疑問、何といっても
憲法、
日本国憲法は大丈夫かしらというのがトップにありましたし、それからこの
補正予算、
予算と
補正予算って何が違うんだという素朴な疑問もいただきました。そして、
国会議員はもう
地方分権、
地方主権としょっちゅう言うけれども、東京一極集中は全然直らないんじゃないの、
満員電車あなた乗ったことあるのというような御指摘も受けました。もちろん、私は千葉県ですから、
満員電車でこちらに通勤をさせていただいておりますけれども、こんな
質問が出た。こういったことを御紹介をしながらやっていきたい、
地方分権のところまで時間があるかどうかちょっと分かりませんけれども、大事な
憲法と
予算を中心にお尋ねをしたいと思っております。
日本の戦後の
民主化というのは、今年は十一月に
日本国憲法制定七十周年を迎えるわけでありますから、まさに
憲法とは何ぞやと、平和とは何ぞやというのを
考えるのに適した年ではないかなというふうに思っております。
文部大臣にお聞きをいたしますが、
学校現場とか
教科書等でこの
日本国憲法というのはどのように教えられているのでしょうか。