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北澤俊美君 私が求めているのはそういうことではなくて、国の形、特に
安保法制のような
我が国の
安全保障をどうするかというようなことは
議会の中でしっかり熟議をして、先ほど申し上げたような十五年の
有事法制のように
与野党が
修正協議をして
成立すると。そのことによって
国民が
安心感を持ち、さらには、もう
一つ極めて重要なことは、その
任務に当たる
自衛隊員が、国政の大方の同意を得てできた
法律に基づいて
自分たちは行動をするということに大きな
誇りを持って、そしてしっかりとした
任務遂行をすると、こういうことではないかというふうに思っております。
ちょっと時間を少し頂戴をしてもう少しさせていただきたいのですが、私は
専守防衛の
定義ということに
大変こだわりを持っております。
専守防衛の
考え方は、さきの大戦において
我が国が犯した過ちを反省し、
日本が二度と
軍事大国にならないという
意思表示を
世界とりわけ
アジア諸国に対して示したものでありまして、今日の
我が国を取り巻く
世界情勢及び
安全保障環境を考えたとき、これまで
我が国が戦後にわたり貫いてきた
専守防衛の
考え方を今後も維持すべきだというふうに私は考えております。
周辺諸国に対し、
日本が二度と戦争を起こさないのだという強いメッセージが
専守防衛という
考え方そのものだというふうに思います。
一方、
安倍内閣は、いいかげんな
説明で
専守防衛の方針も
定義もいささかも変えていないと強弁しております。お二人の
大臣もそれを
議会の中で
補完をしております。しかし、実際のところ、その実質的な
意味をなし崩しに変容させてしまっているのでありまして、このことが
周辺各国の
不信感を招くものではないかと私は非常に危惧をいたしておるところであります。
先ほど私の
大臣時代のことも
お話をいただきましたが、私も
ゲーツ長官と八回にわたって
会談をいたしております。
集団的自衛権について、彼から私に要請のあったことは一度もありません。
安倍総理は、この
法案が
成立してから、いかにも
誇りげに、太平洋のハリスさんでしたかな、
長官の
言葉を引用して、アメリカが高く
評価しているようなことを言いましたが、これとんでもない大間違いなんですね。本来、一国の
総理が
相手国の
評価をどう見るかということは
相手国の大統領あるいは
政治家がどう
評価しているかということであって、実戦配備されたところの
司令官がこう言っているからなんということを
日本国の
政策の
評価にするなんということはとんでもない。多分、誰かがそのことは
指摘したんだろうと思いますが、ぴたっと止まりましたね。ぴたっと止まった。ぴたっと止まったことが、今私が申し上げていることの
意味だというふうに思うのであります。
さて、そこで、改めて
専守防衛の
定義の
相手から
武力攻撃を受けたときがどういうときのことか考えてみたいと思います。
従来は、
相手から
武力攻撃を受けたときとは、
我が国が
攻撃を受けたときとされてきた。すなわち、
日本自身が
攻撃を受けたのであるから、それは直ちに
日本の
存立が脅かされることになり、
専守防衛の
考え方に基づいて
自衛権を発動することになるというふうに
理解をされてきました。
しかしながら、
安倍政権では、
相手から
武力攻撃を受けたときに
他国が
武力攻撃を受けたときが含まれるようになったわけであります、今回。その一方で、
安倍政権がいささかも変えていないという
専守防衛の
定義の中には、
日本の
存立が脅かされる場合について何ら具体的には規定されていない。ただ単純に、
相手から
武力攻撃を受けたときと書かれているのであります。
昨年七月三十日、
安保特別委員会で
広田議員が、
専守防衛の
定義と
存立事態とは相入れないと丁寧に粘り強く
質問をしておりました。御
両所も
答弁を繰り返しておりました。
皆さん方から見ればしつこいと思われたと思いますが、
安全保障環境の
変化による
政策判断か
法律論かということをしつこく聞いて、最終的に
総理は、四十七年の
政府見解は
法律論であるというふうに認められたわけであります。したがって、
安倍政権の進めている
限定的集団的自衛権行使は
専守防衛の枠を超えていることになるわけであります。
そうすると、誰が
攻撃を受けたか、その対象に重要な
変化があったのであれば、そのことを
専守防衛の
定義にきちんと書き込むことが本来の筋道であります。
我が国の
存立が脅かされる
事態かどうかには触れられず、ただ
相手から
他国が
武力攻撃を受けたときに
防衛力を行使することが
専守防衛と言えるのだろうかと。
これ、この
議論を、私、もう一度
議事録を読んでみてはっきり分かった。これは私の推論であります。もしこれを書き込めば
憲法違反の
指摘を受けることに、そういうおそれがあるからあえてこれを入れなかった。邪推と言われれば私はそうではないと申し上げますけれども、あの
議論を聞いていると、なかなか考えてこのことを書かなかったんだなというふうに思っております。今回の
集団的自衛権行使を可能にしたこの
法律は、私は間違いなく
日本の国を大きく変えたと。言われるように、
専守防衛に全く変わりはありませんということは、まあ
言葉が悪いが、うそっぱちであります。
そこで、お手元に
カキツバタ、
アヤメ、
ハナショウブの花を、これ季節だから
皆さんに配ったわけではないのでありまして、私は先々週、
東海道線の新幹線に乗りましたら、あそこの雑誌の中にちょうど時期でありますからショウブのことが書かれておりました。いずれが
アヤメか
カキツバタという
言葉がありますが、分かっているようで意外に分かっていない。
私はこれを
専守防衛に例えて今日は
お話をしようと思ったんですが、
カキツバタはまさに
専守防衛なんです。
カキツバタは、
周辺の葉が囲んでいるように、葉よりも上へ出ないで花を咲かせているんです。まさに
専守防衛の象徴であります。隣の
アヤメは、少し花が葉よりもちょこっと出ているんですね。
限定的集団的自衛権行使。これが更に進むと
ハナショウブになって、葉は
はるか下にあって、ぐいと花が大きく出ております。これを称して、地球の裏側まで
米軍と一緒に行くのかと、こう
指摘されているところであります。
私の勝手な
説明でありますが、私はこれを見て、ああ、今、
日本の国で
議論されているのは、
カキツバタがいつの間にやら
ハナショウブになっていくんだなと、こういうふうに感じてこれを
皆さんにお示しをしたわけでありますが。
どうか御
両所、私も四十年という話をしましたが、東京でサラリーマンをしていて、突然家庭の事情で長野へ帰らなきゃいけなくなって、
政治の
世界へ入るように勧められて、一年半ほど小坂善太郎先生の秘書を東京でさせていただきました。そのとき、小坂善太郎先生は
皆さんと同じ宏池会であります。宏池会、前尾繁三郎先生の総裁選のお手伝いもしました。そこで大平先生の姿も見ました。宮澤喜一先生はその当時はまだお若い方でありましたけれども、
総理のときにも私は
お話をする機会が得ました。この集団は
日本のある
意味知性だというふうに言われてきましたが、私は当選してからは経世会へ所属をしましたが、経世会から言わせれば、あの連中は言っているだけで何もしないというふうによく言われておりました。
国会で様々なことが起きますと、大概その処理をするのはその人たちであったように思います。
しかし、触れさせていただいた、ただいま申し上げたような人たちのあの
政治姿勢は、私に感銘を与えてくれました。当時はまだ本当に
政治がダイナミズムでありました。高度経済成長という背景があったからかもしれませんが、私は、勉強ですから、しょっちゅう用もないのにこの院内に来て、
佐藤総理が本
会議場へ入る姿、あるいは、その後から田中角栄幹事長がたくさんの役人や新聞記者を従えて、それこそ疾風怒濤のような雰囲気でオーラを発しながら歩いている姿を見て、国政というものを吸収して田舎へ帰った思い出があります。
今日、この
参議院で二十四年間務めさせていただいて、今私は、
政治が劣化していると、
議会が劣化しているということを痛切に感じております。これは我々自身が
自覚しなければならないことではありますけれども、私は、将来にわたって
議会が法制度の下で独立してきちんと政権と対峙し、そしてただすべきところはただしていくという、そういう姿をしっかり、これは与党の
皆さん方にもお願いをしなければならぬところでありますが、そういうことを感じている次第でありまして、以上、申し上げて、私の
質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。