○樋口
委員 ありがとうございます。
五年間の時限の
措置ということ、場所を区切ってということでありますので、しっかり今後のフォローアップをお願いしたいというふうに思います。
続いて、政府機関の
地方移転についてお伺いをしてまいりたいと思います。
石破
大臣の所信表明の中で、「
地方創生は、東京に集中した人と富を
地方に分散するなどという単純な考え方ではなく、日本全体を新たにつくり変える、日本創生ともいうべき
取り組みなのであります。」と基本的な考え方を述べられました。「
地方創生は、計画段階からいよいよ本格的な実行段階に入ります。」こう述べられたわけであります。その上で、「東京圏への転入超過数は二〇一二年以降四年連続して増加しており、東京一極集中の傾向に歯どめがかかっておりません。」と現状を分析されました。
ここで、
地方創生の一環として打ち出されている政府機関の
地方移転に関連をしてお伺いしてまいりたいと思います。
実は、御承知のとおり、この問題というのは今に始まった問題ではございませんで、三十年ほど前の一九八〇年代後半にも、東京一極集中について、その対応策として、首都機能の移転
議論が高まっておりました。
石破
大臣が二十八歳で初当選をなされた昭和六十一年の翌年、昭和六十二年に就任をされた竹下登
総理大臣は、一省庁一機関の
地方分散を提唱して、翌六十三年一月に、東京都二十三区部における人口及び
行政、経済、文化等に関する機能の集中を是正することを目指し、「国の機関等の移転について」が閣議決定をされたところでございます。その後、多極分散型国土形成促進法が成立をし、これに基づく国の
行政機関等の移転に関する基本方針にのっとって、中央省庁の七十九機関と自衛隊の十一部隊が移転対象として閣議決定をされました。この後、組織の廃止等もありましたけれども、現在までに、六十六機関十一部隊が東京二十三区から移転をしているところでございます。
その当時の目玉と言えるのは、関東財務局や関東農政局などが移転をしたさいたま新都心地区でございます。そこを例に挙げて問題提起をしたいと思います。
ここには平成十二年の二月から国の
行政機関が移転を開始し、九省庁十八機関が集団移転をいたしました。国交省の国土政策局が平成二十三年六月に作成した事例調査を見ると、こう書いてあります。「さいたま市における昼間人口の昭和六十年〜平成十二年増減率をみると、さいたま新都心周辺地区において大きな増加となっている。また、周辺のメッシュを含めた増加数は約二万三千人である。うち
行政機関の移転職員数は約六千八百人である。」ということで、公的機関の移転により
一定の効果があったということが紹介をされているところであります。
一方で、首都圏白書平成二十七年版を見ますと、さいたま市を初め業務核都市ごとにさまざまな統計の掲載がされておりますけれども、これによれば、さいたま新都心地区が所在するさいたま市の人口は、国の
行政機関等が移転を開始された平成十二年と十年後の平成二十二年を比べてみますと、百十三万三千三百人から百二十二万二千四百三十四人へと、八万九千百三十四人、七・九%ふえており、移転の効果があったように見えます。
ところが、東京二十三区の人口も、八百十三万四千六百八十八人から八百九十四万五千六百九十五人へと、八十一万一千七人、約一〇%ふえております。増加率も、さいたま市を上回っているわけでございます。
さいたま市の民間の
事業所に勤める従業員の方は十年間で六万三千百四十九人ふえましたが、二十三区では五十万三百九十六人ふえております。
この数字で全てを評価できるというものでは当然ないわけでございますけれども、これを見る限り、東京への人口集中はおさまっていない、こういうふうに思われるわけであります。
昭和六十三年、国の
行政機関等の移転に関する基本方針では、さいたま市に
行政機関の支分部局が移転をして、そして横浜・川崎地区には公団、
事業団等の特殊法人、東京都の多摩地区には研究所、研修所といった附属機関が移転をいたしました。
果たしてこの一連の移転が当時の目標であった東京の一極集中の抑制に効果があったのかどうなのか、ぜひこの
機会に検証をしてみてはどうかというふうに思います。
そこで、まずお伺いをしますけれども、総務省の
行政評価局にお伺いをいたします。
この六十六機関十一部隊等の移転にはかなりの費用がかかっていると思います。移転及びその後の業務の効率などを、旧総務庁
行政監察局時代も含めて
行政評価・監視の対象としたことはあるかどうか、お答えください。